第30話
「はっ、全然、苦しくないっての。せんせーナメんな。二番目に得意な爆破魔術、ぜんぶ狙い通りだし」
「へぇ。バラバラに外れちゃった爆発位置が想定通り? これじゃ、ワタシたちが傷つかないような、意図があるみたい。魔術師見習いに暗殺者ひとり、吹き飛ばして気絶させた方がはやくない?」
気の抜けた子どもっぽい声。明るくて裏のないユミナらしい音と、裏と含みだけで出来た言葉の意味に、距離がありすぎる。
「まったく、簡単な風に言ってさ。もうすこし、厳しく教えとくんだったかな」
「簡単だなんて思ってない。ワタシ、経験者だよ? 『勇者』の力を預かって、制御しきるなんてムリなのぐらい、学んでる。『近付いて!』」
金属の杖が振るわれれば、遠方の空気が引き寄せられて炎を押しのける。師の乱雑な魔術を、それ以上の雑さでねじ伏せる。
「得意な魔術すらきちんと操作できないきょーじゅの大変さは、わかってるよ。でもそれ以上に、『勇者』のままで、虐げられたままで、ずっと耐え忍んできたおにーさんの凄さを――ワタシは理解してる」
灰色とくすんだ橙色の混ざった靄が晴れて、残滓を無機質な金属杖が薙いで散らす。
「だからさ、ワタシはダメ『勇者』仲間だけど、今はきょーじゅの言うことなんて聞かない。代わりに、本当の『勇者』を助けるよ。それが友達のためにもなるしさ」
殴打にも耐えうる棍棒が、火の粉に照らされて輝き、一際目立つ。
「わーった。恨まないでね、教え子たち! もうちょい本気出して、ちょびっと痛い目みてもらうから!」
「きょーじゅ、これ以上ほんき出せんの? 魔力、漏れてるけど」
角ばった棒が指した先に、透明で不定形の揺らぎが揺蕩っていた。浮かんで流れて建物にぶつかって、触れた先から建材を崩していく。
「はっ、これ以上侮るってマジ? 事象の分析できてなさすぎっしょ!」
杖が指揮棒代わりに振るわれると、応じて派手な爆発が中空に咲き続けた。その光景は戦争を超して災害に近く、『勇者』の忌まわしさに呆れ返る。
それでも、瞳を閉じることはしない。おれもユミナも、そして一番現実を観察して読み解こうとしているターナ・タイカナも、瞼は開いたままだ。
碧眼は細かな火の鱗粉を映し、一かけらの情報すら逃すまいと煌めいていた。力強い眼力に張り合って、彼女の舌鋒も鋭さを増し、
「教授、本気を出すというのであれば――気配の操作はどうしたのですか?」
ひとつ、急所を突いた。
「先ほどから火薬遊びばかりにかまけて、位置や存在を偽装しようとする姿勢が見られません。まさか。一度こうして追いつかれたから諦めた? 貴方の人生を賭した研究は、御父上の夢を追った探求は、たった一度の失敗程度で潰えるのですか?」
「そんなわけ、ないっしょ!」
「では、なぜ再び偽装魔術を行使されないのでしょう? しつこく追ってくるわたしたちから逃走して、たったひとりに――『勇者』になるためには、それが最適解のはず。戦闘を続ければ他者を呼び寄せる危険性も上昇するというのに、どうして?」
無回答を示す静寂は、存在すらも許されない。間断なく重なっていく破裂音が無音を蹂躙する。しかし鋭利な推測は、雑多な騒音などに潰されない。
「本当は、完全なる孤独に至るのが怖いから――『勇者』となった者の末路を知っているから、魔術行使を避けている。そうですね、教授?」
空間が爆ぜる。打楽器を何千何万と用意して、一気に打ち鳴らすよりも巨大な響きが地を揺るがす。余波で強風が生まれて、風が吹く。ひゅうひゅうと鳴って嘲笑う。
人の声など聞こえるはずもない悪環境で、魔術師の顔色はますます悪化するばかり。音に頼らずとも通じるのは、言われたくないことを当人が最も理解しているからか。
火焔の切れ間の向こうで教え子が攻撃を回避し、口を動かす度に、教授の相好から冷静さが剥がれ落ちる。彼女の焦燥と意地は溜まり募って、重なり膨れて、平常心という枠を破断させ――
「『風に投じ、森に植わり、川に流れよ――身と世の境界線は、未だ引かれず!』」
ついに、秘蔵の魔術が使われた。
喘鳴と悲鳴と嗚咽を混淆させて、まじないは少女によって紡がれる。
枯れ枝の末端に酷似した、脆そうな木の杖を魔術師が一度振るえば、星空を圧縮したような光体はたちまち広がった。輝きは線となり帯へと拡大して、曲線や円を形作って陣と化す。
地面を踏む感触が変わる。おれの四肢に宿る、『勇者』の力が重たくなる。
呼吸は軽く、一歩で霊峰を踏破する勢い。見えている世界の美しさも醜さも、一段階増しに感じ取れる。しかし、視界に赤髪はひと房もない。
目を凝らす。瞳に肌、鼻腔、舌先で感じ取る空気の流れ――暗殺者としての道具を総動員して、友人を辿る。
動く土に砂、温度の違う空気、不自然な光と影。
偽装のために行われる全ての小細工を看破して、誤魔化しようのない位置までリーリアに肉薄する。どうあっても術者の存在そのものは消しようがないから――彼女を掴めさえすれば、逃がさない。
探り探りのまま、指先で触れる。勢い余って、指で突く形になってしまう。熱くて痛くて――それはどうでもいい。
問題は、相手を突き飛ばして、わずかな距離を作ってしまったこと。
「痕跡、周辺環境――そんなんで読み取った⁉ でも、それも全部隠せばいいってことでしょ!」
離れてく。おれのせいで。おれと彼女の間が、口ずさむための時間となる。
「「『我らの影は我らの中に! 彼らの世界は彼らの中に! 閉じてぼやけよ、すべては塞がれん!』」
細枝がしなって風を呼ぶ。光の粒が集って紋様を成し、生命力たる魔力を奇跡のために燃やしつくす。
少女ひとり分、頭のてっぺんから足先まで、一片も残さず消え失せた。
わずかな雪が地面に触れて溶けるよりも早く、綿毛が強風に流されるよりも一瞬で、彼女の姿はなくなってしまった。
「――教授⁉」
「っ、ワタシがおかしくなったんじゃ、ないよね⁉ ずっと見ていた場所なのにいないんだけど、消えたんだけど違うよね⁉」
その見事な消失は、童女たちの狼狽も頷けるほどだった。
おれだって暗殺者でなければ、そしてこの手首に枷がなければ、とっくに冷静さを失くしているだろう。
腕を縛る重みを頼りに、おれはやるべきことをやる。
仲間に、友人に、全力で頼る。
「ユミナ、ターナ! 手枷の術式起動、もっかいできるか⁉」
「――任せろ、友人! ユミナは魔力流の制御を頼む! わたしは紋様の補助をやる!」
「わかった。でもギリっギリで壊れてない感じだから、なるべくすぐに終わらせて、連れ戻して、おにーさん!」
「任せろ、ぼっちの執念を信じてくれ!」
ターナとユミナが杖を振るう。無骨な金属塊と筆記具大の道具が曲線を描く。童女ふたりに導かれて、小さな身体から流れ出した光輝がおれの腕に集う。
リーリア・リリンの知性を結集させた、異常な発明品。
先生の傑作にして失敗作を、生徒たちが学びを費やして輝かせる。
どんなに姿を隠そうとする者であろうと、それが創造主であろうと、生体情報を元に居場所を暴いてしまう。
無骨な拘束具から青白い光が数条伸びて、なにもない空間を探る。虚空をやわらかな光の穂先がかき乱して、人肌を求めた。
その導きを追うのは、おれの仕事だ。流星さながらに街中を駆け、不規則に進む光線に突き放されないよう疾走する。
周囲の街並みが変わる。知らない街の外れから、ほんの少しだけ見たことのある街の隅っこへと。彼女たちと出会った街の隅へと、知らず知らずのうちに来ていた。
穏やかな明かりは散々曲がりくねって、前に進んだと思えば後ろに下がって、右に行ってから左に逸れて――やがて、光の集まりは速度を落とした。
「捕らえたよ、おにーさん!」
青く発行する線がくるくると円を描く、その中心。ちょうど少女がひとり分入りそうな、その空間。
目指して、追いついて、手を伸ばす。形が見えないから、ぶつかる。
「どうして、あたしが追えて――⁉」
「きみがくれたんだろ、この手枷。隠れた者を追跡して見つけ出す機能付きの、拘束具って話だったよな?」
姿は見えずとも声は聞こえて、彼女の焦りは目視しなくても伝わってくる。中でも強く発せられている感情は、未知に対する疑問と好奇心だ。
存在を隠すためには消音しなければならないのに、リーリアはそれをしない。知らない事象を知ろうとしている。
「対象の――あたしの生体情報ないっしょ⁉ 髪の毛、皮膚、血液を隠れて採取した――いや、そんなものじゃちゃんと発動しないから――なんで⁉」
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