第29話

 碧眼が鋭利さを帯びて、秘された心を容赦なく掘り起こし続ける。


「問題は、教授が何故そんなことをってところですが」

「こわくて殺した、うざくて憎くて、許しておけなくて――そういうのじゃないの? ワタシが思いあたるのはその辺だけど。ターナがなにか理由を求める気持ちはわからなくもないけどさ、きょーじゅだって人間だし」


 ユミナは凍りついた視線で前方の人間を眺めて、同じ温度の考えを級友に投じた。ぶるりと背筋を震わせたのはターナで、極寒に晒されても涼しげなたたずまいを崩さないのはリーリアだ。


「あはは、さっすがにバレるなー。はずいけどさ。あたしだって結局善人どころか、まーまー悪人寄りっていうか、ふっつうに――」

「『そーいうこと』にしてほしい、ですか?」


 聡明な童女は震えを抑え込んで、熱をもった指摘を差し込んだ。先生に対する敬意は忘れず、丁寧に差し込み続ける。


「許せなくて、殺めた……なるほど、確かに頷けます。でもそれなら、もっと破壊が尽くされて良いはずです。人体の急所のみを狙った遺体が存在したり、建築物がより派手に破壊されていなかったりと、考えなしに戦ったにしては変でしょう」


 未熟なわたしたちでさえ、『勇者』の力があれば平原という地形を変えられたのですからと、自嘲を込めて薄い唇が鳴らす。


「数十を優に越す数の冒険者を、教授が屠るだけの理由……『勇者』や『勇者モドキ』の研究やその過程で、動機ができた? 命を奪う後押しとなるだけの、人命を軽んじるに足る、惨さや醜さを目の当たりにした……?」


 ターナが仮説を出力する度に、リーリアの仮面に微弱なヒビが入る。

 動揺には未満の反応や変化は確かにあった。幽かな変質を重ねるごとに、提唱された説の真実味は徐々に増していく。

 『勇者』になるための探求、孤立者を生まないための仕事。どちらにせよ追い求めていけば、この世にありふれた憎悪の濃縮を摂取する羽目になる。

 死に限りなく近い迫害や、死という限度を超えた仕打ちを観察して記録して分析する――想像の手前で吐き気がする。


 そんな精神的拷問を体験すれば、心の底から天井まで一体どんな惨状になるのか。

 頭を働かせるほどに、魔術師の印象がぽろぽろと崩れてしまう。

 親しみやすい雰囲気の賢者から、可哀想で近寄りがたい殺人者へと。表面の色が移り変わって、いまやまったくの別物になりつつあった。


「ターナはやさしーからさ、この戦いはワタシ向きかもね」

「優しいと褒められたからには、わたしは立ち向かわねばならないだろう。優しさを抱える者は、苦役を他者に任せない」


 これまで毅然と師に立ち向かっていた教え子二人の、片足が半歩だけ後ろに下がっている。信頼できる知り合いと向かい合うための姿勢ではなく、見知らぬ危険人物に対処するための戦闘態勢。

 リーリアは目を眇め、小さな足が地面に刻んだ跡を認めると――口角を上げる。朝露で傾く草葉ほどに、ごく僅かに口元が傾いた。

 そんな手がかりを、さすがに見逃すはずもない。

 全力疾走でギリギリ手の届く友人を諦められるほど、おれの友は多いわけじゃない。


 というか少ない。

 手をとってくれる人なんて、彼女しかいない。


「その程度のことで嫌われて、ひとりきりになれるとでも思ったのか、リーリア・リリン」


 ならば、構えを解いて少女に近づく。

 戦いに来たのではなく、手を取りに来たのだと示す。


「何をしたって、おれはきみを嫌えない。見つけ出してもらった恩が、手をとってもらった借りがある」

「そんな借しなんて、踏み倒しちゃっていいのにさ」


 魔術師が右手の杖で空気をかき回して遊ぶたび、赤い毛先が不規則に揺れた。


「お願い、あーちゃん。あたしと――あたしの父の夢を、叶えさせて。ふたりじゃなくなっても、ひとりっきりでも生きられて、決して絶えないような力をくれない?」


 ただの手慰みだ。それだけのことを、『勇者』の力は惨事へと結実させる。

 おれと彼女のちょうど間に、落書きみたいな紋様と火花が散った。


「『空気、遠くなってっ!』」

「『大地の精よ!』」


 呪文がふたつ、それと爆炎が弾ける。

 真正面を埋め尽くすは爆風。


「あたし、手加減もできないんだ。だから、諦めてよ」


 後ろには下がらない。下がりたくない。人から距離を取られると、嫌われたのかと不安になるから。

 数歩先で膨張する焔。灼熱が肌を焼く。身体を横向きに滑らせて、熱傷を対価に爆炎とすれ違う。

 重傷を負う心配は要らない。ユミナの呼んだ突風が膨らむ赤色を押しとどめて、ターナの操る土塊が隆起して防壁となってくれる。


「言われたからって諦められるか。おれには、友達がいないんだぞ」

「候補はあたしが紹介してあげたっしょ、それもふたり」

「ふたりじゃ足りない。寂しすぎる」

「前までいなかったくせにさ、欲張りさんじゃん」


 バカにして、嫌われたがりは距離を離そうと後ろに跳んだ。追っておれも前へ。


「もいちど言っとく。手加減できないから、ちゃんと諦めて」

「手加減しないでこれか? そんなんじゃ『勇者モドキ』未満、おれ以下の偽物だぞ!」

「『爆ぜて『伸びて』『狂わせて!』』」」


 行く手を、魔法陣の網と魔術の嵐が塞ぐ。またも単純な爆発かと思いきや、熱量の塊は不規則かつ迅速に伸展し、衝撃と煙がうねって空間を分断した。

 隙間はないか、探す。無ければ、身体で作る。

 忌まわしい恩恵をここで使い潰す覚悟で、死地に肉体をねじ込む。左へ急旋回するための、左足の踏み込みと踏ん張りで街路をめくり、その余波と粉塵で脅威を抑え込んだ。


 行儀よく足を上げて歩こうなんて試みれば、そのうちに安全地帯は消失してしまう。だから、黙って倒れこむ。

 滑り込んで、みっともなく地面に両手をついて、両の肘を発条にして推進力を得た。

 これでは四足歩行の獣だ。とても人間のやることではない。


 おれにはお似合いの振る舞いだった。彼女らと同じ血の通っていない、しがない暗殺者の身体には相応しい。

 この疎外感と残酷な現実こそが、リーリアを繋ぎとめるカギとなる。

 あとはそれを、爆発の嵐の中でどうやって彼女へ伝えるかだ。

 聞き逃しなんてことを許さないように、肉薄するしかない。


「しっつこい! 嫌われる男の代表っしょ!」

「どの口が言うんだよ! 最初におれの手を掴んで離さなかったのは、そっちだ!」

「うるさ! ちょっと優しくしてあげたからって勘違いして付きまとっちゃって、やばでしょ! どっかいって! 離れて!」


 際限なく出でて大きくなる焔は、連なって実る果実の形。

 爆発がとにかく道を阻んで、視界を塞いで、混沌を生み出すことに役立っている。

 明確な意図の見えない魔術行使に、ユミナが眉を顰めた。同時に、悪いと形容するほかない嬉しさを顔に表出させている。


「きょーじゅ、実は苦しいんでしょ。憧れの力ってさ、言うこと聞かなくてけっこータイヘンだよね。溢れて零れて濁って、心の欲求の何にでも反応しちゃって――おにーさん、意外とすごすぎって感じ?」

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