第28話

「まっず……魔力の通りがわっるくなってきた――おにーさん、もうちょいで手錠壊れちゃうかも。あと、この運び方なんとかならない⁉」

「問題ない! 大まかな方向さえ掴めたら、あとは『勇者』の力が位置を教えてくれる!」

「――それでおわり⁉ ずた袋のおっきいやつ運ぶみたいな、ワタシたちの雑な抱え方はどうにかなんないの⁉ ねぇ、ターナもなんとか――」

「方陣の維持に、集中してるから、しずかに……あと現実に引き戻されたら、速すぎて怖すぎてたぶん泣く……でも、教授はもっと苦しいから……頑張らなければ……」


 警告も悲鳴も泣き言も頑張りも、ぜんぶが速度に置き去りにされてしまう。

 『勇者』の力を余すところなく費やした全力疾走は、通り過ぎていくモノがどのような色形をしているか、認識することさえ許さない。


 誰とすれ違おうと、人口密集地を目指そうと、『勇者』の力は衰えない。穀物の袋を抱えるみたいに、両腕で保持した友人たちを強く抱え直したところで、脚力はそのまま。

 皮肉なことに、伝説に由来する恩恵が維持されているおかげで、おれたちの指針は揺らがずに済んでいた。

 手首の枷から行く先に向かって伸びていく、青い明かりの線にも頼らずに済む。


「おにーさん、こっち、街の北東方向だけどあってる⁉ あそこ、なんにもないけ!ど」

「ああ、ばっちりだ。一歩踏み込むごとに、忌々しい活力が削られてる」


 進めば進むほど、自らの能力がそぎ落とされていく。それは過ぎた力の放棄と自分がひとりでない証明という喜ばしい出来事だ。その一方、減速による焦燥と罪悪感があちこちを苛む。


 しかも、足首を引きとめる現象は他にあった。

 開けた視界を満たすのは、地獄よりは多少マシな惨状。 

 倒れ伏した冒険者と、彼らの身体から流失した液体で彩色された平原だった。人の歩みを止める効果としては、針で出来た床の比ではない、


 『勇者』の恵みで視力が強化され、凄惨さをいち早く受け取ってしまうし、その情報量が一層増している。吐けるのならば吐きたい。喉奥でわだかまったものも、弱音も嫌悪もぜんぶ。


「ターナ、ユミナ、目を閉じた方がいい。見なくていいものを、目に入れることになる」

「配慮感謝する、友よ。しかし、不要だ。惨禍をひとりに背負わせるより、我々全体で分け合った方がよい。我らは単独でなく、ならば集団であることを活かすべき」

「きっついね。でも、どーせたくさん見ることになるし、今のうちに慣れといたほーがいいのかも。ワタシたちだっておにーさんがくる前、似たようなのに出くわしたから」


 唇を噛みしめながら、二人は溜めこむよりはいいとばかりに、負った苦しみを分散する。


「『勇者モドキ』誕生を抑止するための暴力や殺害。もしくは――」

「リーリアとおれを襲ったやつの同類で、『勇者』の力に目が眩んで驕ったか、だな」


 大きな力を手にして箍が外れた冒険者が、暴挙に及んだ可能性は十分にある。

 呼び水となる悪意や暴行は、少しでいい。

 悪夢を作るだけの材料が揃っていることは、この身が嫌というほど知っている。


 誰かがひとりになればそれを咎めるやつが大量に生まれ、その混乱から『勇者』になろうと試みる野心家が現れ、はぐれ者を狩ろうと混沌が際限なく拡大していく。


「おれみたいなやつに振るわれていた悪意が表に拡大しただけ、とも言えなくはないか」


 抑圧に野望、夢や怨恨、不安や恐れ――人間の底の底に溜まった、どす黒くて輝かしい塊を解き放った果てがこれだ。


「教授、無事だろうか……」

「無事だといい――じゃなくて、ワタシが言うべきは無事にしよう、なのかな」


 友の変化にターナが瞳を輝かせたのも束の間、ユミナは表情を曇らせる。


「でも――こんなにうるさいと、どうしても不安になるよね」


 重たい目つきで彼女がじっと眺める先、おれたちが暮らす街の方から、ひどく物騒な音だけが聞こえる。

 さっきから身体を震わせる振動は、あまりにも危険な色を帯びていた。破壊を音で感じる度に、視界には立ち上る粉塵や火焔の数が増加していく。

 街の入り口はもはや煙幕と形容してもよく、ぶ厚くなっていてまったく情報が読み取れない。そんな中に、今からおれたちは飛び込もうとしている。


「このまま突入するけど、二人とも準備はいいか」

「構わない。恩師のために、杖を振るう用意は済んでいる」

「もいちど、覚悟しとこ。ワタシが言えたことじゃないけどさ、躊躇なく魔術を使える気持ちにしといた方がいいかも。『勇者』の魔力は大きすぎて、自分が変な風になるから」


 後悔と反省を多分に含んだ助言に、


「錯乱状態だったのはお互い様だ」


 ターナが軽やかな調子で笑いかけると、若干雰囲気に温かみが戻ってくる。


「先のわたしとユミナの攻防は、両者ともに友人へ振るう力を超過していた。あの不気味な高揚や混乱、後から襲ってくる悔やみや反省だけは、いくら学徒でもこれ以上知りたくはない」


 愛らしい苦笑に耳をくすぐられながら、衰えていく走行速度を必死に上げる。鈍っていく両足を懸命に前へ運んで、全力を尽くせば尽くすほどに勢いは減じていく。

 それでも鼓動ひとつぶんでも早く、彼女の元にたどり着こうと息を切らす。


 権能の剥奪は、リーリアに近づいている証左だ。

 突風さえも追い越せる一歩から、泥濘に沈み込むのに等しい感触。

 心地よい無力感を目印にして進路を定める。友人二人を抱え込んだままで、城壁さながらに聳える戦火の煙に突入して――白い世界が、途切れる。

 おれは止まって、仲間を地に降ろす。それから前を直視して、気楽に声を発した。


「手を取りに来たぞ、リーリア・リリン」



「血に塗れまくったおててと握手とか、シュミ悪いなー、あーちゃんはさ」



 両目を刺すほどに鮮烈な赤毛が、広場の中心で静かに揺蕩っていた。長髪の所々は煤と砂塵で汚れているのに、獰猛な鮮やかさはまったく翳っていない。

 彼女の周囲に広がっている血だまりと比べれば、その眩しさは一目瞭然だ。

 逆に、血液や死体の色味がおかしいのではないかと、疑問が膨らみに膨らんでゆく。ひとりの魔術師を中心として散らばる体液と、横たわる肉体の色彩が壊れていた。


 折れた矢に杖、剣に槍、そして腕に足。

 冒険者たちの、『勇者』と孤独を嫌う者たちの、ダンジョン以上に濃密な墓場が街中に作られていた。

 焚き木さながらに積み上げられた死体に、左隣では活気がしぼんでいた。ターナから口を開くだけの力が失われていく。

 身代わりとなるように、一歩前へ出るのはユミナだ。


「きょーじゅも、ちゃんと息ができなくなるんだね」


 曇天を睨む眼差しで、生徒は教師の方をじいと見た。


「気配消したり、存在操ったりするのは得意だったよーな気がするんですけど」


 手厳しめの指摘を受けて、当人は周囲の骸に似合わぬ脱力を披露した。


「えへへ、結構いうなー、ゆーみゃん。じゃなくて、経験者って言うべきかな」


 厳しい視線を受け止めるリーリアは、離れ離れになっていた家族を出迎えるような振る舞いを維持する。そのままの調子で、茶髪の教え子に笑いかけた。


「でもさ、ちょい言い過ぎじゃん? これを経験してるってことは、ゆーみゃんもわかるでしょ。わかっしょ。あたしたちは『勇者モドキ』の研究してたんだからさ、ね?」


 軽々に求められる同意が、幼い顔つきに影を落とす。ユミナの華奢な身体すべてが暗い雰囲気に飲み込まれていくものの、彼女の反骨心は絶えていなかった。


「皆から――ほんとうにほぼ全ての人から、悪意と敵意と殺意でメッタ刺しにされる怖さなら、勉強するまでもなく知ってるよ」 


 呼吸と同等に荒んだ体験を吐き出して、眼前の少女に負けじと童女は笑顔を作る。


「こわくてこわくて仕方なくて、持ってる力を使っちゃったよって、それぐらいわかってよって、きょーじゅはそう言いたいの?」

「そーそー。たっくさんの人が目を真っ赤にしてさ、瞳と刃をギラギラさせて、少しでも痕跡を見せれば嗅ぎ付けてきて、ヤバいよね。こわくてこわくて、ブルってガタガタってして、隠蔽とか偽装とかムリっぽい」


 へらへらと語って、へなへなと両手を振って、赤い瞳の芯だけは揺るがない。


「教授、それだけじゃ、ないですよね」


 その不変さを優等生は決して見逃さなかった。


「倒れ伏す方々にはところどころが損壊しているものもあれば、きちんと急所を狙われて倒されたものもあります。理不尽で乱暴な暴力と理性的で計画的な攻撃が入り混じっていて、これは――」


 赤と茶と肌色とでぐちゃぐちゃになって判別のつかない町中を眺め、受け入れがたい惨状を噛み砕きながら、銀の魔術師は気づきを拾い上げる。


「復讐、怨嗟、憂さ晴らしと義務に執念……が、混ざった結果ですか?」

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