第27話
「さあ、わたしとの約束だ。仲直りの証として、ふたりで握手!」
ユミナの手は、小動物さながらに逃げた。
おれが手を差し出したら、ちんまりした手のひらは怯えて後退。詰めた分の距離をしっかりと離されて、心まで突き飛ばされた気分だ。静かに泣きたい。
彼女は嫌というほどおれに暴力を向けたから、気まずいことぐらい理解できる。
解していることと、年下の女の子から明白に避けられている現状を冷静に受け入れられることは別問題だ。
「はい、握手!」
逃走した腕をすばしっこいターナの指が捕らえて、こちらの指に触れる位置まで引っ張り出す。知恵もへったくれもない強引な形で、和解は成った。
強制された印象を与えるのは不本意でないから、おれからも手を再び握り返す。
本当にそっと、美術品や工芸品の鑑定かと馬鹿にされてもいいくらい、繊細に慎重に自分の意思を伝えた。
相手の表情が、見事に曇る。即座にやめろと、すぐさま離れろと、昔の自分が散々に騒ぎ立てるけれど、しばし堪えてひたすら待った。
息苦しすぎて呼吸困難に陥りそうな睨めっこ。負けじと苦行を続けると、あちらの重たい唇が微動する。
「おにーさんは……どーしてワタシなんかの手を取れるの?」
「友人になれそうだから。ぼっちだからこそ、『勇者』モドキだからこそ、おれはどんな好機も逃すわけにはいかない」
本音と言い訳を混ぜて捏ねて、必死になって形を整える。途中で頬も舌も喉も熱くなって、外気で冷却しようと早口になった。
「こんな人間でも、いーの? 急に飛び出して、たくさんの力に戸惑って、自分自身を見失って、暴れて、拗ねて、自分を嫌って――そんなワタシを、友達にしたい?」
「っ、ははっ……あー、ごめん。今のは、おれが悪かった」
棘しかない言い草に、吹き出してしまう。即座に睨まれ――るまではいかないが、曇天を眺めるような瞳で咎められた。
自分の舌のとまどい具合と、口の慌て具合がひどい。細かいことを考える前に、喉が奮えて音を出す。
「そういう人間だからこそ、いいんだ」
「どういう、こと?」
「『勇者』になるような人の方が、いい。ひとりになって、周囲と敵対して、身に余る力を手に入れて、動転して、性格が面倒になって、優しい誰がいなければ手を取ってさえもらえなくて、罪悪感に塗れて不安になる――そんな人間の方が、友達になりやすい」
さすがに言葉を飾らなすぎたかと、焦る。でも頭のどこかで、これでいいんだと納得している。
「だって、そいつはおれの同類だ。同じ種類の人間の方が、世界とか社会とか大きなものから外れていたり、外れようとしている人の方が友達になりやすい――そうなんじゃないか? 気が合うって、言うだろ」
自分で言ってて、段々と不安になってきた。社会不適合者や世界不適合者の、ただの危ないやつの集合体かもしれない。
こういうときは、友人を頼るのが一番だろう。
「合ってる……よな? ターナ? どう思う?」
無言と、ほぼ無表情と変わりない微笑が返ってくるのみだった。
「――っ、あはは……さすがにおかしーよ、おにーさん」
ユミナが沈黙を破ってくれなければ、おれの心臓はそのまま止まるところだった。
「おかしくて、ありがとって思って、ちょこっとムカつく」
「悪い。さすがに言葉を選ばなすぎたか」
「そーじゃなくて、今のですっごく助けてもらったっていうか、助けられすぎたっていうか、ただでさえめーわくかけたのに、これ以上色々してもらったらどーしよってゆーか」
回り道しながら言葉を繋いで、ユミナは迂回を重ねた結果、
「どーやったら、この恩ぜんぶ返せるかわかんないじゃん……」
追い詰められた子猫にも劣らない弱々しさで、か細く鳴いた。
息を吹きかけるだけで飛んでなくなってしまう呟きを、決して消さないように返答しなければならない。
「なら、おすすめの方法があるぞ」
ぴくりと、聴衆の反応がある。ユミナだけでなくターナも肩を跳ねさせた。
「ちょうど、『勇者』の座から人を引きずり下ろすのに、手伝いが要る」
「教授か」
短く、教え子は確認をとった。
「ああ。きみたちの先生は、ひとりになった。おれが弱かったばかりに、ひとりにさせてしまった」
説明しておいて、自分の情けなさに呆れてくる。過去はどうにもならないから、これ以上情けなくならないことが最善だ。絶対にふたりの協力を取り付ける。
「ひとりの暗殺者を守るためにそいつを『勇者』へと仕立て上げて、彼女自身もきっと同じ道を選んだんだと、思う」
「きょーじゅも『勇者』に……そっか……苦しく、なきゃいいけど」
ユミナは自らの頭の中を探るも、浮かび上がってきた記憶がよほど良くなったのか、静かに俯いた。
『勇者』の力に振り回された思い出は、さぞ直視しにくいことだろう。気持ちはわかりすぎて、おれまで地面を見つめたくなる。
それでも、友の声がすれば下ばかり眺めてはいられない。
「――わたしは、彼女を苦しませない。ただ願うだけでなく、祈ることで終わらず、わが師の膨大な学恩に報いたい。『勇者』モドキであったわたしに、手を差し伸べてくれたリーリア・リリンを助けたい。ユミナと一緒に」
ターナは自分の意思を聞こえる形にして、他人に伝える。
「ワタシに出来ることなんて、あるの? 相手はきょーじゅで、『勇者』で……こっちには本物の『勇者』がいるのに……」
「なにが出来るかは問題でなくて、その……ふたりで何かをするのが大事で、ええと――」
見習い魔術師は、友達のために迷っていた。真心を削ったり付け足したり捏ねたり捻ったりと、粘土細工に似た試行錯誤で加工した末に、
「――わたしは、ユミナ・ユクリナと何かがしたい」
彼女は単純な思いを相手に送り込む。
「わたしと一緒に、ひとつのことをしよう――つまらなさをなくしてしまおう。あんなに愉快な教授が孤独に終わるなんて、面白くないことを潰していこう。たまたまそれが、恩人の救けになるだけだ」
いちばん効果的な誘い文句を、『勇者モドキ』の心に突き刺す。
遊びへ誘うのとまったく同じ、軽やかな口の動きで、童女は友達を引き込んだ。相手の両手を握って、自分の近くまで引きよせて、笑いかけるだけで茶髪は揺れなくなる。
そこには抵抗も後退なんて欠片もなくて、保たれた沈黙は回答そのものだった。
学友の反応を認めるとターナは力強く頷き、
「急ごう、教授の身が心配だ」
おれの袖を引っ張って急かす。
「いいのか、ユミナは?」
おれが改めて問うと、
「あんなことして、こんな誘われ方して……ワタシにはどーしようもない、じゃん……それに、ちゃんとした『勇者』の背中を見る、いー機会だし?」
恥ずかしさと気まずさと嬉しさをより合わせて、ユミナは細々と建前を紡いだ。本心の露見を誤魔化そうと、赤い唇が忙しそうにしている。
「た、助けるにしても、きょーじゅはどこにいるの? あの人のことだから、『勇者』になると決めたらずうっといなくなれると思うけど」
「すぐに逃げられたから、居場所はわからない。だけど、おれに少し考えがある」
おれの腕に今も嵌められている、手錠を見る。
ここには、リーリア・リリンの魔術の粋を集めたモノがある。
「ターナ、リーリアの開発した、この手枷を使えるか? きみは、師の研究にも詳しい優等生なんだろう? 学びの成果がすぐに要る」
「……困難は承知で、できるだけ努力しよう。今こそ、『わたしたち』の学習成果を御覧に入れてやる。わたし単独ならば無理難題でも、ふたりならば多少の難問だ。こちらは陣や構成の分析をするから、ユミナは魔力流の確認を頼む」
「勝手に決めて……きょーじゅのおもしろそーな道具、ちょっと触ったり失敗作で遊んだりしたことあるけど、どうやってもキチンと動かないよ。おにーさんの持ってるそれ――追跡機能付きの手錠だっけ? よくて、大体の方向が短い間分かるようになるだけ」
「それでいい。頼む」
「あと、きょーじゅは確か、追跡対象の『生体情報』――がひつよーって言ってたけど、その辺に心当たりはある?」
思いのほか、ユミナは冷静さを維持している。頼もしさしかない。
「大丈夫。不完全だけど、手がかりはある。あいつを追いかけるための材料なら、ありすぎて困るぐらいだ。おれの考えさえ合っていれば、何もかもすぐに終わる」
答えて、おれは空っぽの自分の手をぎゅっと握った。
「さあ、あのバカ教師に教えてやりにいこう――孤独になり続けるのは、意外と難しいってことを」
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