第26話

 友人の言葉をすべて待たず、前に進む。

 自分の意思で荒れ果てた野原を踏破して、目標までたどり着こうと歩み始める。


「「「――っ⁉」」」


 ただの歩行とその結果に、全員が呼吸を止めた。

 単的に表現すれば、おれの身体は行き過ぎた。

 一歩で超えるはずだった距離の数倍を通り抜け、脈拍ひとつ分の時間で相対していた人間の真後ろにまで移動した。長さや時といった概念が、あやふやになったのではと勘違いするほどの現実だった。


 実行したおれ自身でさえ、空気がすんなりと体内に入っていかない。

 常識を追い越してしまった自らの速度に、危機感が萌芽して急速成長する。

 まず一切の移動を放棄。それから腕の中にある友人を取り落とさぬよう強く抱えようとして、安全確保すら予想以上の腕力によって危険になりうると気づく。様々な懸念が発生しては膨らんで、身体への命令をぼかす。


 当惑と鈍り。 

 度を越した力に占拠された闘争の場で、あってはならない緩手。

 体感的には三度死ねるくらいの停止をしたけれど、実際には呼吸を丁寧に整える余裕があった。

 持ち上げられた土塊も、準備された炎の塊も氷柱も雷鳴も、こちらを害するにはまだまだ時を要する。


「止まるな、友人! 失敗しても何度でも繰り返す――それが学びだ!」


 次はうまくやろう。丁寧に、平原の表面を撫でるつもりで移動する。


「――また後ろ⁉ ワタシを馬鹿にして――」


 今度の試みも、加減を誤った。

 先ほどの大失敗に比べればマシだが、多少ユミナの位置を通り越したことには変わりなく、直接手を届かせることはできない。

 次こそ、ターナが友人の手を掴めるようにする。


「ワタシも、『勇者』の端くれを、舐めないでよ!」


 やけにゆったりした、杖の一振りと紋様の展開。

 魔力を注ぎこまれ、童女への道のりを阻むために氷の杭が大地を華やかに彩る。竜の尾をそのまま氷漬けにしたかのような構造物は、荒い切っ先を斜めに空へと掲げて接近を拒んだ。

 剣山を気にせず飛び込んで、砕いてもいい――いやよくない。飛散する破片がどの程度の被害を出すか、知れたものじゃない。


「障害はすべてわたしが払いのける! 心を砕くことは友人に預けて、ただ眼前の障壁のみを破砕するがいい!」

「言ったな! じゃあ、障害と言わず後始末はぜんぶ、任せるっ!」

「~~~~っ、自分から要求できるようになったとは、大きな進歩だな! 友の成長と学びをわたしはとても嬉しく思う! この喜びを示すためにも、我が魔術をド派手な祝砲とするぞ! 『さあ、風の精よ――』」

「はずいが、頼んだ!」


 迷わず委ねて、歩法の制御のみに神経を割く。

 ひとりなら、『勇者』の力に怯えることしかできなかった。過ぎた能力が他者を傷つけるのではないかと恐怖して、足踏みをするだけで終わっていただろう。

 悲観的な想像を、腕の中にある体温が打ち消していく。


「ターナ!」

「破片や余波の無力化だろう⁉ 準備はもう終えている!」


 優秀な援護を受けたのだから、あとは位置を調整するだけだ。


「連係なんて、許すわけないじゃん! 『冷たく拒んで! ずっとずっと尖らせて!』」


 奇跡を凍らせて、平原を彩る棘が増殖を続けた。一帯は冷徹な筵と化していて、突入すれば無事では済まない。

 普通であれば。

 おれはわずかに前へ踏み出して、それを推進力に変えなかった。代わりに真下へとありったけの力をつぎ込んで、自分たちの立っている基盤を壊す。

 ユミナの魔術によって散々に痛めつけられていたものを、更に痛ましくする。


「なっ、うそ……⁉」


 鱗状になった土塊を浮き上がらせて、地中との繋がりを無くして、剥がした。

 氷の杭を支えていた基礎を崩してから、丸ごと足で蹴り上げて道を切り開く。

 少々乱暴な歩み寄りではあるが、欠片や衝撃は豪音を伴った風がまとめて連れ去ってくれる。


 先は開けた。

 あとは、友達になりにいくだけ。

 物を壊すためじゃなくて、関係を新しく作るために近づく。試行錯誤がやっと実を結んで、ようやくユミナに手が届く場所に来れた。


「来ちゃいやだ! ワタシなんかに! こうやって暴れちゃう、出来損ないの、面白くもないワタシなんかのために、――『来ないで‼』」


 おれたちと彼女の間に、氷塊で柵や防塁の類が築かれる。制御されていない拒否の感情が言葉に換えられるたびに、透明な圧力が出現して触れたものを砕いていく。

 自分の影に目線を落とせば、足元ばかりに対策は敷かれていた。一線を画す『勇者』を恐れたのならば複雑な心境だけれど、好都合でもある。


「ほっといて、離れて‼ そうやって、明るい顔を向けないでよ!」


 おれの歩みは拒まれていい。そもそもこんな人間に出る幕はない。


「暗殺者なんかに気を取られるのは、損だぞ」


 ひとりになって不安に苦しむ童女を助けるのは、勇敢で利発な女の子の役目だ。


「『勇者』でなく、わたしを見よ――ユミナ・ユクリナ!」


 抱えられた状態から脱して、ターナは身一つで戦闘へと飛び込んだ。


「ターナなんかに何ができるの⁉ おにーさんのことも『勇者』のことも、なんにもわかんないくせに!」


 駆け寄ろうとする童女の前にも、障壁が現在進行形で建設される。下方からは土壁が伸び、上方からは無色の圧力が迫る形で一枚の面が形成された。それは、侵入者を食い破らんとする獣の顎に近い。


「わたしがその程度の脅しに屈するとでも思ったか⁉ 貴女が相手取るのは、大賢者の卵だぞ!」


 ターナは凄んで、若葉のような足を軽やかに伸ばす。

 勇ましさを携えた彼女の腕からは、前のめりの気勢が放たれていた。気を確かにしなければ、肉薄してくる魔術師を幻視しかねない。


「――ビビりの、くせにっ⁉」 


 主の本能に従い、上顎と下顎が閉じた。

 魔力に操られた土砂と風景を歪める圧力が接触して、狭間にあった空気を噛み砕く。

 土埃と荒れた風が圧縮されたが、そこに血肉はない。

 狙われていたターナ・タイカナは、隔たりの内側にいた。


「なんでっ⁉ ターナは――」

「『怖がりだから、前に出るはずがない』――か? それを判断材料に後ろを重点的に制圧した? 教授の爆発魔法に怯えるような子どもだから、退却するはずだと読んで攻撃を放った?」


 にたりと笑んで、彼女は続ける。

 継続して、他者の至近まで踏み入る。


「いい予測だ。わたしの友ならばそうするだろうと信じてよかった。それに、恐怖をねじ伏せて突撃したのも吉と出た」


 勢いをもっと増して、童女は友人の手を奪い取る。


「指摘通り、わたしは、『勇者』のことも、『おにーさん』のこともよく知らない浅学の身だ。しかし――友人ひとりのことぐらいは、知っている。ユミナ・ユクリナがターナ・タイカナを知悉していることは、頭に叩き込んでいるよ」


 手首まで取って、逃さないようにぎゅうっと握りしめた。


「どうして――」


 漏れだす言葉と一緒に、伝説に謳われた力が失われていく。抵抗も暴走もできずに、行き場を失った感情は嗚咽になるほかない。


「どうして、どーして、ターナはここまでするの……⁉ 放っておいて、諦めて投げ出してくれないの⁉ なんで、なんで……教えてよ……」

「ごめん。正確な答えはまだ出ていないから、わたしにはまだ教えられない」


 幼い魔術師はただ苦笑して、


「だから、この胸中を一緒に解き明かしてくれないか――ユミナ・ユクリナ」


 友の涙を外套で受け止める。

 こうして、ひとりとひとりはふたりとなった。

 残された『勇者』が誰かは、指摘するまでもない。

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