第25話

 一瞬だけ、時が堰き止められた。

 わずかでも気を緩めれば命を取り落とす、尋常でない密度の戦場に身を置きながら――全員の動きが淀んだ。


 おれは、とくにひどい。

 ――自分だけが異なるのではないか。

 周りから虐げられるのは、自分が他よりも遥かに劣っているのは、自己が周囲とは違うものだからではないかと、疑わなかったことはない。


 冒険者としての性能も、好む言葉も、みんなから認められないのも――この身がまっとうなヒトではないことに起因する。

 それは自分の中を、隠れて支配していた。これまでどうにか見ない振りを出来ていたのは、違いを認めてしまったら何もかも崩れてしまうと、どこかで理解していたから。

 今まさに、身体の中心から芯が抜かれたように脱力していく。機動するための関節も、速度を得るための筋肉も、まとめてガラクタに等しくなって――


「おい」


 手を、握られる。

 小さく、だがあたたかい存在が、おれのやるべきことを教えてくれる。腕の中にいる女の子を守らねばと、心情の根元が訴える。

 まだおれは彼女たちの仲間だと、ギリギリのところで踏みとどまれた。


「――言ってはならないことがあるだろう、ユミナ・ユクリナ……!」


 硬直から最も速く復帰したのは、ターナだ。


「友人といえど、否、友人だからこそ、その言い草は許されない! 咎められるべき行為だと理解しているか⁉」


 彼女は激怒を噴出させ、その勢いをもって得物とその口舌を振り回す。


「わが友への非礼と失言、詫びてもらうぞ――わたしの友人。仲直りの握手もさせる、絶対にだ」

「本当のことを、人間じゃないものに言っただけで、非礼? 失言? おにーさんは絶対に普通じゃない! 異常で、危険で、特別で――ワタシたちとはまったく別種の、すごく妬ましい『勇者』様! そんなのに何を言っても、どうでもいいでしょ!」


 学友から遣わされた風の刃を金属塊で引き裂き、ユミナは心を覆わずに叫ぶ。

 落ち着かない呼吸を抑え込み、暴れ狂う『勇者』の力に振り回されながら、扱いきれない情動を言葉に押し付けていた。

 ひとりが乱雑に自らの負担を消化する度、もうひとりの怒気が膨らんで爆ぜる。


「明らかな同胞を『別種』と呼ぶなど……過ぎた力に、適切な思考も視界も歪められたらしいな。やはり、わたしたちに『勇者』は早すぎたらしい」

「笑える。考えが歪んてるのはどっち? 落ち着いて目の前を見れば? 甘い友情に釣られて、分析を諦めてるのはそっちだよ。だっておにーさんがワタシたちと同じならさ――」


 敵を殴るための棍棒。その角ばった頭で、ユミナはおれの顔を指し示し、



「その人がここに駆け付けたとき、どうしてワタシたちの力は衰えなかったの?」



 暴力的に、純然たる事実で異種を殴りつけた。


「おにーさんがここまでやって来て、ワタシたちはひとりとひとりじゃなくなった。ふたりとひとりになった。なのに――『勇者』の力はそのままだったよね? 成長に合わない量の魔力も、勉強したばかりで上手く使えない高出力の魔術も、弱くはなんなかった」


 ひとりの暗殺者を力いっぱい、現実の列挙と冷静な分析で殴打する。


「――それは……『勇者』の力がすぐには失われない性質を有するとか、『勇者』が複数人で集った場合は集団と認識されないだとか――」

「否定するのが遅いよ、ターナ。それに、ワタシたちはそんなこと習ってない! 誤魔化すのはいーけどさ、雑に時間稼いでどーなるの⁉」

「時間稼ぎではない。仮説と、考察だ。まだ解明されてないことが世界にはあって――」


 訴えを継続する級友に、童女は結論をぶつけようと大きく口を開ける。


「なら、これがワタシの立てる仮説。めんどくさくて回りくどい教科書よりもすっごく単純で、簡単なおはなし」


 ユミナは手に持った棒で、おれにバツ印を描いて重ねた。


「根拠なら、たくさんある。目立つし珍しい金の髪、見慣れない灰の瞳。ダンジョンに潜って日焼けしない冒険者の癖して、ワタシたちよりほんのり濃い色の肌、違和感のある発音に、ヘンテコな訛り。あとは、『レベル』とか『スキル』とか、よくみんなが言ってる言葉を使わずに、『練階』とか『業術』って言葉を使ったこと」


 何度も否定の印を空に書いて、


「そこの暗殺者は、ワタシたちと同じじゃない。最低限のカタチは似ていても、根元はどこか離れた場所、遠くの地に由来する別物だから――あなたは、あなただけはこの世界の人たちと異なり、本物の『勇者』になれる」


 執拗に繰り返して、


「だからそれは、ワタシたちとは違う」


 彼女は、そう結んだ。

 無意識のウソを、強引に暴いてしまった。

 とにかく必死に見ない振りをして、おれが自分自身にさえ隠していたことが丸ごと詳らかにされて、薄っぺらい虚構と認識が剥がれていく。

 自分がどうしようもなく、この世界でたったひとりなのだと、嫌でも理解させられた。


 『勇者』への羽化を阻んでいた枷が、完全に外される。

 神話に噂された権能が、髪の毛一本に至るまで満ちていく。


「ああ、やっぱりね。おにーさん、本物なんじゃん……どうしようもない、ビビっちゃうぐらいの力を持った、伝説そのもの……」


 ユミナの目には、一体なにが映っているのだろうか?

 完全に自分と同じ種類の人間だと、軽々に頷くことは出来ない異邦の民――その程度であればいい。

 伝説を満たした畏怖すべき存在、それでも上々だ。 


 ただ、その目だけは、やめてくれ。

 自己とは完璧に異なる種類のなにかを見て、遠い外側から檻の中を眺めるための瞳だけは――



「こっちを見ろ――『アーちゃん』」



 頤に、自分とは違う体温が触れる。


「わたしの方を見るがいい、わが友人よ」


 細いのに熱をたくさん抱えた指が顎先をもって、顔の向きを誘導する。


「わたしの瞳に映る、貴方自身を見ろ。これまでと変わらないわたしの目つきと、出会ったときから移らぬ自分自身の姿を確認するがいい」


 視界にあるものが、やわらかい微笑みを絶やさない友人ただひとりになった。それだけ。そんなことにおれは抗えない。


「存分に観賞しろ。わたしは、ターナ・タイカナは……かわいい。自分で言うのは、うむ、少し気恥ずかしいものだが、かわいらしい。だから、怯えずに思うまま視線を浴びせろ」


 茶化して、照れて、出来るだけ摩擦なく触れあおうと、彼女は試みていた。


「わたしは、友達を『勇者』にさせない。自分の周囲にいる誰だって、追放してやるものか。本当のところ、教授だって孤独にしたくないくらいだ」


 空っぽになったおれの手を何度も繰り返し握って、ターナは体温を受け渡そうとする。


「『勇者』になりたがりのユミナも、御父上の夢を追おうとする教授も、すぐに遠くへ行ってしまう貴方も――ずっと、わたしが逃さない。逃してなんか、やらない」


 手指のみならず、ひとの心までも抱きしめてながら、彼女はおれを問いつめる。


「わが友よ。貴方は自らの境遇を情けなく受け入れ、甘美な諦めに浸るか? 孤立したいと望んでいるか?」

「望まない」


 否定する。

 部屋の隅、あらゆる暗がりから脱するために、否と伝える。


「むしろ逆だ。きみが逃れたいと言っても、絶対逃がさない」

「――よくぞ吼えた! ならば行こうか友よ! 友達を百人作って忌まわしき『勇者』の鎖から逃れるぞ! ――まず手始めに、目の前の女子からだ!」

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