第24話

 景色は雨粒を通して眺めたように不自然に揺らぎ、また歪む。その違和感に従って植物や地形は折れて、凹んで、原型を留めていない。残存していた氷塊など、同じ主の放った魔術であろうと例外はない。

 迎撃のための破壊ではなく、そこには破砕の嵐が吹き荒れていた。


 つまり、留まれば区別なく砕かれる。


「友人、追い風で後押しするから、もう少し粘ってくれ!」

「ダメだ、アレはマズい!」

「少しでいい! ちょっとでいいんだ! わたしが密着して、『勇者』としての能力を落とせれば……!」


 無理を言う。なら無茶をするほかない。

 後方に傾けた重心を戻して、危険地帯へと一歩踏み込む。怯える心に鞭打って、暴力的な歪みを肩で押しのけるつもりのまま前へ。

 それでも、筆記具一本分の距離が不足している。


「感謝する、友よ! 『大気の精に命ず、その息吹を我に分け与えん!』」


 真っ白い手が、工芸品じみた少女の指が、まっすぐに友人へ伸びていく。周囲の物が透き通った力に圧壊されていく嵐の中を、柔らかな肉体は躊躇なく進んだ。

 親しい者への信頼と狂気を裏返した信念が、ターナの小さな背を力強く押している。

 しかし、どのような献身も信念も、無作為には関係ない。

 友人の近くに結実する得体のしれない空間を目の当たりにして、幼い魔術師本人の両目が開かれる。


 ――間に合うか。

 実体のない重みとターナの間に自分の右腕を肩ごと滑り込ませる。みしりと、身体の節々がよく鳴ってくれる。流れる血液が圧迫されて、腕の末端から感覚が鈍っていく。

 おれの腕が抗うにつれて、透明な膨らみの嵩は減っていた。力が弱まっているのならいいが、問題はあちらが弱りきる前にこちらが終わること。


「すまない、友人! あとひとつ、あとひとつだ――‼」


 自分の骨が生み出す喚きを黙らせたい。友達のために黙って砕けろと言い聞かせた直後に、加わる圧力が一段階上昇した。

 ――っ、このままでは、友ごと砕けかねない。


「謝る必要はない。おれの方が、今からひどいことをする」


 前方へ倒れ込もうと傾くターナの身体を引き寄せ、遠ざけた。

 それから制限せず、用いることのできる膂力を攻撃に全て費やす。まとわりつく神秘や魔術をまとめて剥がすために、『勇者』の特権を解き放つ。


 手を空まで振り上げる。それ以外のことは思考から脱落した。

 剣で切り上げるのとまったく同様に、指先を振り抜くのみだ。

 空気が、めくれる。

 天災に迫る一時的な暴風が駆け抜け、戦いで破砕された細かな破片が突風に飛び乗って消えていく。

 強烈な余波から逃れるために、おれは友人を抱えたまま後方に跳躍した。正体不明の暴力からも、一旦これで退避できた。

 念のためターナの様子も確認して……よし、怪我はない。


「友人、どうして――いや、分かり切ったことを尋ねるまでもないか。申し訳ない」

「謝罪よりも感謝で頼む。おれにはそちらの方が効く」

「なるほど。ありがとう」


 ほどよい照れを混ぜ込んではにかみつつ、最上級の謝意をターナは示してくれる。

 効果は覿面だ。どんな霊薬よりも効き目があるに違いない。


「初めて友人から『ありがとう』と言われたんだ――おれはもっとやれる」

「それはなんとも……反応しにくいな! 軽く笑い飛ばせるように、わたしが貴方の友達を増やしてあげよう! まずはそこの魔術師から、さあもう一度いくぞ!」


 檄を飛ばされるよりも、おれの移動は先行していた。 


「はっ、『勇者』の力を攻撃に使わないとか、嘘じゃん。そんなやり方しておいて、ワタシを説得するの?」


 衝撃から体勢を立て直して、ユミナは皮肉たっぷりに問う。

 無邪気な童女に自分の弱さを指摘されるなんて、普通の奴ならば堪えられないはずだろう。おれだって今すぐ消えたい。でも、最悪なことに恥を晒すのは慣れていた。

 こちらは、弱者であることを散々味わってきた『勇者』だ。


「確かに、きみを制圧するために『勇者』にはなれない。それでも、友人を守るためならおれは躊躇なく『勇者』として力を使える」


 言い切って、笑ってやる。

 それはもう、ぎこちない笑みだろう。とにかく出来るだけ相手の関心を買うように、負の感情であってもおれに向かうならばいいと、割り切って口元の形を変える。

 頬の筋肉を吊り上げていくにつれて、注がれる敵意の量が増えた。


「友達、トモダチって……繰り返してバカみたい。しょせん、昨日の今日でしょ! カタチだけ何度も振りかざしたって、意味なんてない!」

「無意味とは心外だ。『勇者モドキ』の疑いをかけられた者が、友人という存在にどれだけ本気か、わたしが教えよう」

「言葉軽すぎだよ、ターナ・タイカナ。あなたもわたしと変わらない! だって、おにーさんの名前すら知らないんだから!」


 友人の名誉を唾で穢すように、ユミナは極めて強く言葉を吐いた。


「相手の名前を知ろうともしないくせに、友達なんて嘘ばっかり!」


 確かに、ターナはおれの名を一度も尋ねていない。彼女はこれまでずっと、おれを呼ぶ際に「友人」や「友」という言葉ばかり使っていた。

 思い返せば、リーリアもそうだ。名乗ろうとしたら割り込まれて、独特の感性に紐づいたあだ名を付けられてからは、それで呼ばれっぱなし。

 今の今まで、違和感とすら認識できなかった。冒険者ギルドでも、どこであっても、おれはきちんとした名で呼ばれることはなかったから。


「ねえ、ターナ。どうして? どうしておにーさんを、名前も知ろうとせず呼ぼうともしなかった人を、友達って言えるの? そんな人がワタシを『勇者』にしないって、ひとりになんかさせないって、なんで口にできるの?」


 杖と武器、双方の意味をもつ金属塊を突きつけられ、行いを糾弾されようとも当の本人は歯牙にもかけない。

 それどころか真逆で、銀髪の魔術師は薄く笑った。嘲笑と怒りには満たない、半歩手前の笑みを作って言葉を送り返す。


「『勇者モドキ』と疑われたことのある者に、名など尋ねられるものか。敵意を注がれがちな人間が、好んで身元を明かせるはずもないのだから」


 淡々と、されど重苦しく、童女は理由を流水さながらに紡ぐ。


「本当の名前など教えても意味をなさない。それどころか迫害の原因だ。だから名乗る際にはいつもいつも偽名を作って、その場を凌ぐため苦痛を味わう羽目になる」


 自分の経験とそれ以上のナニカを載せて、おれの友人は目の前を睨む。


「ゆえに友であっても――むしろ友人になろうと心を決めた人間にこそ、わたしは名を尋ねたりしない。それが、わが師リーリア・リリンから学んだことだ!」


 胸を張って、短い杖を軍旗のように天へと掲げて、ターナは声を張り上げた。

 それから機敏に杖で相手を指し示し、くいと手前に傾けて挑発する。


「教授が妙なあだ名をわたしたちに付けていたこと、一応の理由は見いだせる。また丁寧なことに、意図を隠すため『勇者モドキ』以外にもあだ名を付けるという徹底ぶりだ。まあ、教授の名付けの美意識に容易く頷くのは難しいが――その心遣いは、素直に見習うべきものだろう?」


 枝先を更に傾けて、戻して、再度きつくなる傾きと同じく口ぶりは苛烈になる。


「同じ教授の下で学んでおきながら、ひとりになる危険性も覚悟も十分に学習できなかったのみならず――ささやかな心配りさえも理解できなかったのか?」


 年季の入った樹枝で宙に曲線を描き、神秘に奉仕する紋様を創り出すのと並行して、魔術師は誘い文句を編み出した。


「さあ、一緒に勉強しようじゃないか、ユミナ・ユクリナ。わたしがたっぷりと、復習を手伝ってあげよう!」


 風切りの音。軽快なものと重厚なものが、重なり合ってふたつ響く。


「――『邪魔! ついてこないで! 道を無くして!』」

「――『大気の精に命ず、その息吹を我らに分け与えん!』」


 詠唱が世界に浸透して、作用する。

 後方からは大気の後押し。

 足を少し浮かせて姿勢を前のめりにすれば、間髪をいれずにふたり分の重ささえ前方に押し出される。爪先と腿にこめた力も合わせれば、平原の移動など造作もない。

 そんな見通しは、地面がそのままであればの話だ。


「揺れるぞ、しゃんとしがみつけっ!」


 ひとつ踏みしめた瞬間、足裏を押し返す異常な反発。

 一瞬視線を下に落とせば、大地が割れてところどころめくり上がり、土と岩の鱗が形成されていた。いま接地している面が浮き上がっていても、一度跨いだだけで深く沈み込んだ足場が待っている。


 障害はこれだけじゃない。

 炎球による砲撃を燃え移りかねない近距離で躱し、氷柱を横一列に生成しての掃射は潜り抜け、雷撃での面制圧は跳んで回避する。

 接近を拒む意図的な攻撃はその辺に自生している雑草より多く、意図しない不規則な脅威は現在進行形で増加。

 あちこちで節操なく生まれる不定形の圧力とすれ違って、おれたちは暴走する術者へ近づく。


「ターナ、右方向!」

「『大気の精よ、我らが困難を吹き散らせ!』」


 地表から魔術的に切り離されて飛散し、弾丸と化した岩塊。そこにターナの呼び寄せた強風が殺到して対処する。ついでに吹き荒ぶ風の一部を用い、加速。


「どうして、なんで、諦めてよ! いい加減!」

「その言葉、言い飽きたんじゃないか? おれはちなみに聞き飽きた!」

「黙ってよ――あなたは初戦――」


 何度目かの接近で、揺れに揺れた童女の瞳孔がよく見える。

 なにか言いかけて固まった口元も、鮮明に確認できた。

 あまりに多くの躊躇いを抱えこんだのか、彼女の眼の奥がふるふると不安定な様子を晒す。

 小さな口はそれ以上に形を変えて、お喋りだった舌先は鈍りを見せて、そんな状態でターナ・タイカナは喉を壊すように震わせる。


「――ワタシたちと同じ、人間じゃ――おんなじ『ヒト』じゃないくせに‼ 近づこうなんてしないでよ!」

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