第23話

 ふたりではなく、ひとりずつ。

 向けられた杖の片方は筆記具のように小さく細く、もう一方は金属製の棍棒だ。両者の放つ雰囲気は、それぞれが有する道具の設えそのままだった。


 棒の先が空間を裂いて、空に浮かぶ紋様の光量が増す。

 魔法の行使だ。


「ユミナ、ターナ、落ち着け!」


 雷鳴、猛火、烈風、氷塊。人が発した音など、魔力で育まれた轟音に飲まれて簡単に潰される。

 これが、『勇者』となった者の力。

 その変化は完全でなくとも、才能ある子どもを甚大な災害へと作り変えていた。おれが到着し人数が増えた今でも、彼女たちの吐き出す魔力量は落ちていない。


 空の青も、平原の緑も変色していく。様々な熱や力、色とりどりの光が交じり合っては弾けて、周囲の色彩をも塗り替えてしまう。

 一見すると、地獄絵図だ。踏み込めない。

 だが魔術師は両者とも傷ついていない。遮るもののない平原を揺るがすほどの魔術の応酬も、あくまで牽制。それどころか喧嘩の前段階。


 友人を引き留めようと肩に手をかける代わりに、のたうつ炎の蛇を遣わしている。掴もうとする指を払いのけるために、雷のあぎとが迎え撃つ。

 本当に二人には怪我がないのか、何度も瞬きをして確かめてしまう。


 彼女らが無傷なのは、一重に相手を傷つけまいと意識しているからだ。

 その努力も、あふれ出る力が偶然にも拮抗しているからこそ成立している。

 もしその均衡が破れればどうなるか。突然転がり込んできた大きすぎる権能は、易々と操れるものではない。

 身体に伝わってくる、振動の質がわずかに転じた。

 献身と友情で出来ていた、美しい偶然が崩れる。


「ターナっ、こっちに倒れろっ!」


 一瞬生まれた暴力の空白に、自分の身体を滑り込ませる。

 魔術の奔流がもう一つの濁流に呑まれる瞬間は、危機であり好機でもあった。衝突が蹂躙に移り変わるその時だけ、生きたままの行動が許される。

 ターナまで、三歩で届く。たった三歩の間が、障害の山に埋もれている。


 砕けて鋭利さを増した氷の刃、水分を含んで体積を増す焔、火炎を内包して荒れ狂う雷撃。

 身体の表面をあちこち削り取られながらも前進し、折れそうで触れるのも恐ろしい細腕を攫う。指示通り倒れこんできてくれたから、間に合った。


「――ゆ、友人! 助かった!」

「そう呼んでくれるのはうれしいが、舌噛むから気をつけろ! それに、杖を振る手は止めない方がいい!」

「了解した! 頼みがあるのだが――」

「あのバカをひとりにさせない、だろ! 当たり前だ、言われなくともそうする! 折角の友人候補、逃してやったりなんてしない!」


 高温のナニカが、背の近くを通り抜ける。振り返って正体を知る権利なんてない。止まれば死ぬ。


「友人、こうして窮地に現れたんだし、なにか作戦があるとか――」

「悪い、そんなものはない。出してやれる案は――ただがむしゃらに隙を探ってユミナに近づいてやるくらいだ!」


 誘拐した友をそのまま引っ張り上げて、姫を救う英雄さながらに抱える。

 体重というには軽すぎる負荷を確認した後、一気に前傾姿勢を取る。


「こないで!」


 ユミナの喉から、悲鳴と拒絶を混ぜ合わせたものが飛び出した。それに呼応して、彼女の後背を守護する紋様から炎の波が吐き出される。

 身をよじらせる火焔の蛇。その巨体はおれたちに触れることすら叶わず、明後日の方角に暴走して平原に焼け跡を刻む。

 ユミナ・ユクリナは、明らかに『勇者』の力を掌握できていない。


「友人、急いでくれ! 過度な魔力は心身を破壊しかねない! わたしも全力を振るうから、とにかく早く!」

「わかってる。だけど、全力は出すな。きみも破滅しかねない」

「大丈夫だ。わたしには友がいる。ひとりではないからな!」


 照れもなく堂々と吼えて、ターナは満面の笑みを浮かべる。その嬉しさを孤立した童女に見せつけて、説得材料にしようと試みていた。

 非言語交渉の返答は、乱暴な魔術。前方からは殴打と同等の暴風がくるも、


「『爆ぜて!』」


 ターナの起こした爆発が攻撃を相殺する。


「きょーじゅの真似事ばっか! そんなんでさ、つまんなくないの⁉」

「わたしが教授のやること大体できるからって、嫉妬? それで急に飛び出していくなんて、子どもすぎる」


 場を制圧する轟音の隙間を縫って、ふたりは互いに挑発を交わす。

 銀髪の魔術師は関心を買うために煽り、茶髪の魔術師は暴れだした感情をそのまま噴出させている。


「きょーじゅだって、ひとりになりたがってた! 『勇者』が夢で、たったひとり自由になるのが目標だった! だから、ワタシだっていーじゃん!」


 激情が揺れてこぼれるたび、編み上げられた魔術がほつれていく。

 術者の手綱から外れた雷鳴を躱し、意図せず生じた衝撃を受け流して接近する。

 あと数秒で手の届くところまできた。

 だが。


「おにーさん、殺すこと以外できないでしょ⁉」


 単純な弱みを提示されて、怯む。足がわずかに鈍って、それ以上に心が硬直した。

 暗器の投擲は出来ない。魔術の波濤を突破する威力の投剣では、死を招いてしまう。それに友達になってくれるかもしれない人間に、投げる刃は持ち合わせていない。


 斬ることも出来ない。童女たちが自分の魔力を制御できないように、おれも自分の力を完全に操れてはいない。ユミナを無傷のまま制圧できる保証がない。

 取れる手段は徒手空拳のみ。それも杖を掴んで破壊するという、原始的な手段だけが残っている。

 それでも、要領悪くおれは手を伸ばす。


「認める。おれの力は、『勇者』の武力はきみを取り押さえるのに使えない。使用できないのならば、使わずにやるだけだ」

「――なに、それ。……うざい、だるい! 『離れて! 風の言うことを聞いて!』」


 魔術師による拒絶と、合わせて巻き起こる強烈な向かい風。

 地面を精一杯詰ったところで、身体が前に進んでいかない。水中で移動するかのように行動を妨害され、それどころか押し戻される。


「無理なんだから、諦めなよ!」

「やめない、ぜったい。ユミナが『勇者』を諦めないように、ユミナをひとりにしないことを諦めない! やめてなんて、あげるか!」


 ターナは決意を口にして、重ねて固めて逃げ道を断って、それから魔術の枝を天へと掲げる。


「『草木よ、咎人をその幹に括りつけ――』」

「『お願い――』だから、離れてって言ってるじゃん‼」


 懸命な詠唱を、苦しみが上から塗りつぶす。彼女らしい適当な呪文すらユミナはもう紡げていない。口ずさもうとした呪文を切り上げて、切り詰めた言葉を荒い呼吸と一緒に叩きつけている。


 口上のぶつかり合いと同様に、衝突するのは魔術だ。

 ターナの指揮に従って草木が急成長し、葉の先端を童女の四肢に向かって伸ばした。

 自由を奪おうとする成人大の植物たちは、すべて残らず腰を折る。神秘的な紋様の輝きに合わせて、無形の力が全てを薙ぎ払った。


「なんだ、あれは⁉」

「――っ、魔力漏出⁉ 力が制御されていない! 友よ、触れるな! 喰い潰されるぞ!」

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