多過ぎる出会いと一つの別れ

小石原淳

多過ぎる出会いと一つの別れ

「こうも出会いが多いと、さすがにうんざりするよ」

「ああ。出会いが多すぎる。中にはいいものもあるが」

 学校の廊下で同じクラスの男子二人とすれ違う刹那、聞こえた。美形ならではの贅沢な悩みってやつ?

 柔和で優しい感じが浜本はまもと君、彼より少し背が高くて鋭い目付きが松田まつだ君。転校生の私にも、彼らが校内で知らない人はいないくらいの存在なのは、じきに飲み込めた。眉目秀麗、学業優秀、スポーツ万能という三本柱に加え、生徒会に積極的に改革案を持ち込み、校則及び施設利用規則の改善や校内ネットワークの充実等、成果を上げている。

 生徒会長の座には興味がないらしく、今年度の立候補機会を当然のように見送った。ネットビジネスに乗り出す計画があり、余裕がないというのが大きな理由らしい。

 私は彼らの声が聞こえなくなるところまで来て、立ち止まった。掲示板のすぐ横の壁にもたれかかり、ほう、と息を吐く。

 私は中学高校と目立たない道を選んできた。人と争って勝っても、上には上がある現実を小学生高学年にして思い知ったし、他者と争うことで生まれる嘘や妬みにほとほと疲れたから。

 そんな私でも、松田君と浜本君の活躍を羨ましく感じるのは、多分、強さに憧れるのだ。二人は攻撃にも防御にも強い。

 彼らを悪く言う人もいる。浜本君はチャラくて軽い、松田君は常に睨んでいるみたいで怖い。生徒会役員になろうとしないのは、いざというときに責任を取りたくないからだと誹られる。異性から非常にもてて、いつも遊んでいる風に見えるため、嫉妬に拍車が掛かるのかもしれない。

 松田君と浜本君は動じない。陰口はスルーし、面と向かって言ってくる相手には堂々と反論する。なんて言うか、“自分”というものを持ってるなあ、と思う。

 はぁ……私も“自分”を持てていたらな。過去を悔やんで、溜息がこぼれた。

「何て溜息ついてるのさ」

 いきなり頭上からの声に、伏せがちだった目を開くと、浜本君がほぼ目の前にいた。物凄く焦った。けど、平静を装う。

「ちょっと考え事」

「おまえ、耳の聞こえがよくないのか?」

 松田君の声が右から聞こえた。

「耳は特別よくも悪くもないつもりだけど」

「じゃ、うっかりか。浜本は『何で』じゃなく、『何て』と言った」

「うん?」

 意味が分からず、浜本君へと目線を戻す。

「松田の言う通りで、僕、『何て溜息ついているの』と言ったつもり。ごめんね、滑舌が悪くて」

 笑顔でさらさらと流れるように言われ、やっと理解できた。

「ううん。私こそごめんなさい」

 掲示板に用事があるのかなと、二歩、真左に移動する。浜本君が何故かついてきた。松田君の方は掲示板に何か貼るでもなく、掲示板のある壁をじっと見ている。

「あれ、訳を話してくれないの? 僕は君の溜息が気になったから言ったんだ。単なる口だけのお節介野郎と思われたなら悲しくて、訂正せずにいられない」

「そ、そんなこと思ってません」

 首を振る。昔の癖で、髪が長かった頃みたいに手をやりそうになったが、堪えた。そこへ今度は松田君が言う。

「何で丁寧語なんだ。折藤おりふじさんは同じクラスだろ」

「今まであんまり喋ったことなくて、圧倒されたので……」

「えー? 松田はともかく、僕、そんなに威圧感ある?」

「見た目や態度だけじゃなくって、行動が、何て言うか羨ましいぐらいに自信に溢れていて、自由だなと。結果出してるし、尊敬する」

「うーん、尊敬は嬉しいけど、かしこまられるような尊敬はいらないかなあ。女子に敬遠されたくない」

「俺はうるさくない方がいい」

「さっきと違う……」

 二人を見つめながら、私はほぼ自動的に言っていた。

「え?」

「さっきの会話、聞いてたんだから。おかしいわ、二人とも」

「俺の何がおかしいって?」

 松田君が聞き返してきた。怖くはないが迫力はある。

「言ってたじゃない、浜本君は『出会いが多くてうんざり』、松田君は『出会いが多すぎるがいいものもある』って。今の発言と矛盾してない?」

 何故突っかかってるんだろう。彼ら二人を理想化していて、裏切られた気持ちになった? いや、そうじゃない。

 二人とも、人との出会いを軽く考えているように思えた。それが気に入らなかった。

「……」

 松田君が先に浜本君の方を向き、遅れて浜本君が見返した。

「もしかして勘違いされちゃった? 僕らがさっきまで話してたのは、ネットの投稿小説の第一章の副題に『出会い』が多いねって」

「……はあ?」

「統計を取っちゃいないが、印象では『出会い』が目に付く。多すぎてうんざりだ。中にはいい作品もあるのに、副題で損をしているとしたら勿体ない、と語り合っていたのだが」

 松田君が朗々と述べた。

「ごごめんなさいっ。まさかそんな話をしてるなんて、全然思わなくって」

「文学ってキャラじゃないもんね、僕も松田も」

「許す。が、決めつけには注意しろよ、折藤さん」

「はい……でも、何でネットの投稿小説の話なんて」

 己のミスを棚上げし、興味本位で聞いた。浜本君は嫌がる様子もなく、答えてくれた。

「僕らがネットビジネスを考えてると耳にしたことあるでしょ? その候補の一つが、小説投稿サイトでの評価システム。感想コメントを機械に読み込ませ、作品を読まずに書いた点数稼ぎの定型文か、きちんと読んで書いた感想か、はたまた作者を貶める中傷なのかを判断するAIができないかってね」

「予想以上に難しい。滅多に誉めない人が誉めたらその作品は凄くいいのかもしれない。幼い子が一言、『おもしろかった!』とする感想は、短くても最高の賛辞ではないか。そういった学習させるべきポイントを定めるのが大変でね。感想を書く側の属性を絡めると、属性の正しさの担保や時間経過で更新する問題なんかも出て来る」

「難しいのは当たり前だと思う」

 かつての経験から私は即応した。

「人の感想なんて、その人の気分次第でも変わるわ」

「なるほど。真理だ」

 浜本君のアイコンタクトに松田君が頷く。

「これは縁だと思う」

 松田君の改まった口調に、警戒心が働いた。

「何もない掲示板の前で話し掛けてきたのが? そういえば、二人は掲示板に何の用があったのよ」

「電子化できないかと思って」

 答えたのは浜本君。

「限られたスペースに紙を貼るやり方では取り合いになる。いちいち貼り替えるのも手間。電子化なら一括制御でき、たとえば三十分おきに内容が入れ替わるとかすれば、スペースの取り合いもなくなる。妙案と思ったけど、予算や配線の都合もあるし、試験的に一つ二つ導入するならどこの掲示板がいいか調査してたんだ」

「納得した。続きをどうぞ、松田君」

「お節介を承知で聞く。差し支えありなら、ずばり言ってくれ」

 松田君の口ぶりと前置きから、私は予感を抱いた。身構えることができるのなら大丈夫、多分。

「五年前まで芸能活動をしていなかった? 芸名は沙折原詩織さおりはらしおり、愛称オリオリで」

「よく知っているね」

 被せ気味に返答。本名の折藤美里みさとから折だけ取った、愛称優先の芸名だ。

「浜本君達って、子役タレントとかジュニアアイドルに興味あるの?」

「君が活動していたときも僕らは君と同じ年齢なんだけど」

 浜本君が苦笑と共に言った。

「じゃ、当時から知ってたの?」

「割と普通にテレビとか出てたじゃない。ドラマや再現Vに。かわいくて印象に残った」

「……」

 赤面を自覚した。でも顔を背けたのは、恥ずかしさが原因じゃない。恐らくこの二人も聞いてくる。「何でやめたの?」と。

 ジュニアアイドル路線に一歩だけ踏み出したから。それが何か違うと感じ、何もかもやめた。

 浜本君が言ったように、当時の私はちょっと売れ出していた。けれども人気爆発にはまだまだ。そんなとき関係者に勧められ(そそのかされ)、母がジュニアアイドル的な売り出しに乗り気に。小五の終わり頃には大人の人の嗜好や性癖には色々あると知っていた私だけど、母が言うならと従った。自分を持てなかった。

 結構売れたみたい。でも、嫌な思いの方が上回った。母は謝ってくれて、私も許したんだけど、父は母を許せなくて離婚した。父とは今でも時々会っている。

 と、こんな重たい話をするのは苦くて面倒なので、どう返事しようか頭を悩ませていると。

「現在の折藤さんが己を殺してるのは、そのことが関係しているのかな」

 松田君の口からは思いも寄らない質問が飛び出した。

「……うん」

 答えた途端、松田君が「馬鹿」と呟き、浜本君は「勿体ないよ!」と続く。

「詳しい事情は知らん。だが、自分自身を低く見せる理由が、俺には理解できない」

「あのー、僕ら知ってるんだ。君がテストでわざと間違えるとこ、見ちゃって」

「え?」

「数学で早々と全問解いたあと、最後の解答欄、消しゴムで消してそのままにしたよね。満点を避けたとしか思えない」

「……目立ちたくなくて。目立って、人目について、小学生の頃の私を思い出されたくないの」

「……やっぱり分からないな。何があったって、全部ひっくるめて折藤さんだよ。昔のことを選挙カーみたいに声高に言って回る必要は勿論ないけど、過去が原因で自分を押し殺すのには、僕は反対だな」

「分かってる。私が思ってるほどみんなはオリオリのことなんて覚えてない。問題は私の気の持ちようなの」

「提案なんだけど……もし、今の髪の短さが過去のせいなら、まず好きなスタイルにすることから始めるのはどうかな」

「小学生の頃みたいに?」

「うん。大丈夫。君は凄く成長してる。小学生の頃の君みたいになるんじゃなくって、今の新しい君になるんだ」

「口のうまいプロデューサーみたい」

 くすっと来た。そこへ松田君が言った。

「よければ将来協力して欲しい。色んな人から評価されてきた折藤さんの経験は、AI開発にきっと役に立つ」

「これはビジネストーク?」

「ビジネスには違いないが、折藤さんに興味関心があるからこそだ」

 松田君の真顔に、またくすっとなった。

 何か始まりそうな気がする。

 私はオリオリに別れを告げ、折藤美里に再デビューする。


 終わり

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多過ぎる出会いと一つの別れ 小石原淳 @koIshiara-Jun

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