四 別荘と生還⁈

 田原さんと車で別荘に向うその土曜日は、穏やかに晴れていた。

 約束通り、道中は討論会にはならなかったけれど、質問責めにあって、少々辟易へきえきした。「今の政治をどう思うか」とか、「日本はどうなっていくべきか」とか、「ロシアによるウクライナ侵攻についてはどう考えるか」とか。ま、プライベートをあれやこれや聞かれるよりはずっとましだけど。それに日々考えていることを田原総一朗さんにぶつけられることなんて、滅多にない機会だ。

 さしたる渋滞にも遭わずに——そして少なくとも退屈はせずに——、五時間ほどで別荘地に到着した。

 入手した航空写真で特定した位置を元に、緯度経度を割り出してあったので、別荘地内ではスマホのマップアプリを頼りに進んだ。周囲の林にはまだ少し雪が残っているけど、道路に雪はほとんどない。

「あ、あそこじゃないですか?」

「ああ」

 田原さんはどうも落ち着かない様子だ。

「車が停まっていますね」

「持ち主が来てるってことか」

「おそらく。あの車だと、管理会社のものではないでしょうから」

 停まっているのは、BMWの白いSUVだ。

「どうしましょうか? 外から見るだけでいいんですか?」

「とりあえず車でぐるっと回ってみよう」

 その別荘の前を通り、区画を一回りして戻ってくると、少し離れたところに車を停めた。

「すまんが、君が行って、先に話をしてきてくれないか?」

「え? 私が?」

「僕は嫌われるとなると嫌われるから、嫌われているのに来て挨拶するというのも向こうだって不愉快だろう。だから、君が経緯いきさつを話してくれると助かるんだが」

 田原総一朗もこんな弱気な一面があるのだ。それだけ奥さんへの思いが強いのかもしれない。

 交渉ごとはあまり得意ではないので躊躇ちゅうちょしていると、「頼む」と田原さんが頭を下げてくる。

 自分としても一ヶ月近くこの別荘と向き合っていたから、どんな人が所有していて、中はどんな感じなのか、興味は強くなっていた。

「わかりました」

「すまんな。ありがとう」

 外に出ると、この辺りはまだかなり寒い。上着を着込んで、別荘に歩いた。

 玄関に着くと、ちょうど中から、初老の男性が出てきた。

「こんにちわ」

「はい? 何かご用ですか?」

「突然、うかがいましてすみません。あの、この建物を設計した建築家から、田原総一朗さんがここを見たいと言っているから場所を教えていいか、という連絡が来たと思うのですが」

「ああ、それね。もしかして、その交渉のためにここまでいらしたんですか? 田原さんの秘書か何か? それにどうしてこの場所が?」

 男性は細身の長身で、すごく穏やかで知的な感じの人だった。にもかかわらず、少々不機嫌な様子。

「あ、いえ。私はこの別荘の場所を探してもらいたいと田原さんに頼まれた者です」

「なんだ。そういうこと? そういうことなら帰ってください」

 しまった。やっぱり、交渉の運び方が下手すぎる……。

「だけど、なんでそこまでして、ここを見たいのかな、田原さんは」

 そうか! 経緯を話してほしい、と言っていたということは、田原さんは奥さんのことを話してないんだよな。これはチャンスかも知れない。

「実は……」

 私は、田原さんから聞いた奥さんの話を感情を込めて話した。交渉は不得意だけど、こういうストーリーを話すのは割と得意なのだ。

「なるほど。亡くなった奥さんがねぇ。え、そのためだけに、わざわざあなたに依頼して、ここを探り当てたわけ? そして調査のプロが一ヶ月近くもかかったのか。相当な執念だなぁ」

 オーナーは感慨深げな表情をしている。少しは心を動かせたのか?

「ところでなんで、そんなに田原さんをお嫌いなんですか?」

「いや、まあ。会ったことはないけど、うるさいし、ちょっと独善どくぜん的なところがあるでしょう? 別に嫌いってほどじゃないんだけどね。まあ、さほど興味がないというか。断るための方便ほうべんみたいなものかな」

「でしたら、もし、田原さんも一緒に来ていたら、会っていただくことはできますか?」

「え、本人も来てるの?」

「はい。本人は奥さんが住みたいと思った別荘を、外から眺めるだけでもいいとおっしゃってはいましたけど……」

 ちょっと嘘も混じっているけど、それこそ噓も方便って言うしな。

「……そうか。まあ、そういう、健気で可愛らしいところもありそうだよね、あの人」

「駄目ですか?」

「そんな話を聞かされちゃうとねぇ」

「じゃあ?」

「うん、いいよ。呼んできてください。お茶くらい出しますよ」

 よっしゃっぁー! 心の中で雄叫びを上げる。


「いや、結局、あの人、田原さんのこと、全然嫌いじゃなかったですね」

「確かに、僕は騒がしく話すし、独善的といえば、人からはそう見られても仕方ない部分もあるよな。でもそれが僕なんだからね」

「今日のことは誰にもいいませんから」

 おそらくは田原さんの過去を知らない別荘のオーナーが、「きっと奥さんは、こんなけっぴろげな、風通しのいい人間関係がお好きな方だったんでしょうね」と言った時、田原さんは突然号泣し始めたのだ。

「いや、まさかね。自分でも驚いたよ。まあ、でも、どうもありがとう。君のおかげで、妻の願いも叶えられたような気がするよ」

「はい」

「ところで君の事務所はなんで、101%と言うの?」

「いや、まあ、毎日一%でも成長したいという決意と願いを込めてですかね。事業もですが、人間としても。今日は昨日の一〇一%の自分でありたいというか。この間、ある有名な投資家が『成功する鍵は、毎晩寝るときには前の日より少し賢くなっていること』と言っている記事を読んで、少し自信を持ちました」

「そうか。うん、頑張りなさい」


 着手金をもらうことをすっかり忘れていたのだが、別荘から戻った次の月曜日には、少し上乗せして、五十五万円が振り込まれていた。

 それからしばらくしてゴールデンウィークに入った。私の仕事は連休などあまり関係ないが、せっかくだからと思い、久し振りに『朝まで生テレビ!』を見ることにした。

 冒頭、進行役の局の男性アナウンサーが、「いや、前回の放送直後に田原さんが倒れられた時は、冷やっとしました。でもこうして無事、今日またこの番組を始めることができて、なによりです」と言った。

 え? 田原さん、あの後、倒れたの? 全然、知らなかった。

 そして、田原さんが口を開く。

「いや、僕も倒れた後は、一ヶ月間、ずっと意識がなかったから、自分ではわからなかったんだけどね、その間、亡くなった妻と会っていたんだよね。そういう意味じゃ、かなりマズイ状態だったんだろねぇ。ただね、その間、別荘で妻とゆっくりして、僕は幸せだったんだ。で、目が覚めたら病院のベッドの上だ。だけどね、今はこれまでになく力がみなぎっているんだよ。医者も驚いていたよ」

 ちょっと待て。前回の放送って言ってたよな。それ、いつ?

 ネットで調べると、放送は三月十八日の深夜。実際は十九日の午前一時過ぎだ。

 田原さんがここに来たのは十八日の午後三時。放送の直前だけど、それはありうるだろう。

 でも、今、田原さん、一ヶ月間意識がなかった、って言ってなかった?

 その後、一度だけメールでやりとりして、返事もあったし、一緒に別荘にも行ったじゃないかよ!

 今度はもうひとりの女性進行役が、「それにしても十七日に意識を取り戻して、今日は二十九日ですから、わずか二週間弱で何事もなかったように復帰されるとは驚きです。さすがといいますか、なんというか……」と話す。

「なんだ、人を化け物みたいに言うなよ」と、田原さんが返す。

 十七日って、別荘に行ったのは十六日じゃないか。

 あ、もしかして本当は回復していたのに、隠してたのか? でも、そんなことは言っていなかったし、そんな感じもなかったよな。じゃあ、なんなんだよ!

 あれ、田原さんに送信したメールはあるけど、返信はない。ちゃんとしまったはずの名刺もない!!

「では、田原さん、心配されていた視聴者の皆様に一言お願いします」

 田原さんはほんのわずかの間、目を伏せ、それからカメラを見据えて言った。

「ありがとう。楽しんで仕事ができれば、君の勝ちだ。毎日一%でも人間として成長できれば、いずれはきっと誇れる自分になれる!」

                                (了)

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田原総一朗の探し物 百一 里優 @Momoi_Riyu

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