三 行き詰まる調査

 設計者は、建築業界では知らない人のいない著名な建築家ではあったが、別荘自体は古いもので、ネット上の情報はかなり限定されていた。それでも深く掘っていくと、いくつかの新しい情報を入手することができた。図書館にも通った。それらのテキスト情報から、ある程度、地域は絞れたものの、別荘地を限定するまでには至らない。

 なにしろ絞れたと言っても、長野もしくは山梨の二県であろうことがわかっただけで、おまけにその二つは、東京圏の避暑地となる一帯で、日本でもっとも別荘地が多いと思われる地域だ。政府の発表している『住宅・土地統計調査』を見ると、両県合わせて十七万軒以上の戸建て別荘があるようだ。

 別荘地レベルまで絞り込めれば、頼りになるのは航空写真系だが、それは上空からの建物の形状での判定となる。建物の形状も、長細い長方形であること(寸法を含む)とその配置(方位)が分かっているだけだし、特徴的とは言い難い。あとは屋根の色。

 ネットでは、グーグルアースにしても国土地理院にしても、そういった地域は画素の粗い航空写真しか見ることができない。建物の形状もぼやけていることが多い。かといって手当たり次第に高解像度の航空写真を国土地理院から買うわけにはいかない。たとえそうしたところで、それだけの軒数があると、見つかる可能性は極めて低い。

 着手後、二週間ほどして、途中経過を報告を兼ねて、私は「難しいかもしれない」と半ば泣き言のようなメールを田原氏に送った。いや、実際、完全に行き詰っていたのだ。ネットからは、これ以上、新たな情報は出てきそうになかった。だとすると、手持ちの情報から隠れた情報を引き出すしかない。

「ネットの検索」から「情報の抽出」へと勝負のステージが変わったのだ。


 田原氏からは「楽しんで仕事ができれば、君の勝ちだ」と、分かるような分からないような返事をいただいた。

 でもその言葉で少し気が楽になった。

 気分転換によく散歩に出るようになった。

 私は、田原氏の奥さんへの思いを想像しつつ、景色を眺めながら、ゆっくりと歩いた。

 季節は、梅から桜へと移り、その桜の花びらが道路を覆うようになったころだった。

 ある時、頭の中で〝何か〟が繋がった。

 事務所に戻って、気持ちを落ち着かせるようにコーヒーを丁寧にドリップしてから、もう一度、入手した資料に目を通した。

 ある若い建築家が、その別荘を管理する業者に連れて行ってもらったというブログの記事があった。そこには道中の風景写真も載っていた。季節は冬で、葉の落ちた木々や遠くの山並みが写っているだけだ。場所が特定できないように写真は慎重にセレクトされているらしく、ほとんどヒントにならないと思っていた写真だった。

 でもその中の一枚、帰路に撮影したという写真に、遠くに見える山並みがが記載されていた。これがどの角度から撮影されたかが分かれば、かなり地域を限定できる可能性がある!

 ところが、グーグルアースで見ることのできる3D風景は、航空写真(もしくは衛星画像)から三次元化したものだ。さほど標高の高くない地点の、地上から撮影した写真と同じ角度で見ることは不可能だった。それにグーグルの景色は主に夏のもので、ブログの写真の雪に覆われた山並みとの比較は困難を極めた。ブログに書いてあった山並みを、グーグルアースでいろいろな角度から見てみたが、どこもそれっぽく見えて、まったく特定できない。それほどまでに、夏と冬とでは山々の表情は異なっている。

 またまた手詰まりだ。

「なかなか楽しめそうにはないですよ、田原さん」と呟きながら、グーグルアースを二次元に戻した。ミルクティーを飲みながら、画像を少し引いて、北陸から千葉辺りまでの広域が見える状態で全体をしばらく眺めた。

 そしたらとても単純なことに気がついた。

 あのブログの風景写真は八ヶ岳の東側でしか撮ることができない、ということだ。西側からは八ヶ岳が邪魔をして、撮れない。

 別荘地は西側の方がずっと多いし、別荘地の開発時期とその別荘の建築年が合っていたから、どちらかというと、西側の名の知れた別荘地に焦点を当てていたのだ。

 そこからは早かった。ストリートビューを使って、いくつかの別荘地の周辺からの、山並みの見え方を調べた。すると、すぐに撮影スポットの大まかなエリアが把握できた。そして、そこから二つの別荘地に絞ることができた。さらに当たりをつけた上で高解像度の航空写真データを二枚購入して、ほぼその別荘であろう建物を特定することができたのだ。

 そしてその別荘地周辺の道路をグーグルビューで移動してみると、なんとブログの風景写真とほぼ同じ形の山並みを発見!! 季節が違うから印象は少し違うけれど、一〇一%間違いない!

 調査開始から二十日ほどが経過していた。

 田原さんにメールで知らせると、すぐに電話がかかってきた。

「そうか、ありがとう。さっそくだが、いつなら行けそうだ?」

「私はまだ次の案件を始めるまで一〇日ほどありますので、まあこの一週間なら可能です」

「ゴールデンウイークはもう少し先か」

「所有者がいた方がいいんですか?」

「僕は嫌われているということだから、どっちがいいだろうな。まあ、外から建物を眺めるくらいなら怒ったりはしないだろうけどな。いずれにせよ、早いほうがいい。ということは、今度の土日でどうだ?」

 四月十六日土曜日に、レンタカーを借りて、別荘に向かうことになった。

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