星に願いを

猿川西瓜

お題 出会いと別れ

 惑星××到着地点に設置された基地から、遥か遠くに、『海』のようなものが見える。『海』は赤と、黒と、緑が点描画のように混ざった色をしていた。地球と同じく、波はあるのだろうか。風らしきものは、計測できない。

 ただ、遠くに見えるその『海』から、定期的に巨大な咆哮が響き渡ってくるのだった。


 咆哮の元は『鯨』だった。

 形が鯨のようではあるが、海から数キロ手前にある基地でもはっきりと観測できるほど、体積の桁が違っていた。正確ではないが、地球でいうシロナガスクジラの、おそらく100倍以上はあるだろうか。

 ただ、地球と異なるのは、その全身が巨大な剥き出しの臓物であり、その臓物のすき間を無数の大きな眼球がフナムシのように動き回る生物であることだった。海面から浮き上がり、水面行動を行い、波しぶきを高く上げている点だけは似ていた。

 鯨らしきその姿を観測したあとに、命の謳歌と波を叩いた破裂音が遅れて基地まで届いて、通り過ぎていった。星の隅々まで行き渡るように、音は消えていった。


「今日の、気分は、いかがですか?」

 が話しかけてきた。音声言語ではない。ワタシは彼女から発せられる微弱な電気信号を読み取ることでその意味を理解した。

「良い気分デス。ここは水銀のマグマの中でもなければガス惑星でもありません、ノデ、メンテナンスに時間を取られることもありまセン。調子に乗って、つい、海を眺めてしまいまシタ」


 この星の種族である彼女は、地球でいう花の形をしていた。

 スイセンの花に全体の形は似ていた。

 180センチほどの身長で、顔である花の部分はむき出しの血管が幾重にも重なり、絡まったコードの塊のようになっている。肉体は緑色の茎に分厚い唇と黄土色に濁った無数の歯が大量に蠢いていて、ギュウウウキュキュギュウウキュギュウウウウウ……と高速で歯ぎしりする音を絶え間なく鳴らせている。

 彼女が動くと、粘液質の汁が大量にこぼれる。ロボットであるワタシは、地球とは異なるその生命の現れに、なにも思うことはなく、むしろ、鮮やかで見目麗しいとも思う。


「ええええッ、エエエ! エエエ! エエエええっ!」

 嘔吐の声がする。現地調査を担当する船員だ。彼女を見て、防護服越しに吐き散らかしている。

「申し訳ナイ。彼の介抱をしてきマス」

 ワタシはまだ吐き続ける調査員に肩を貸して、船内の医務室まで連れて行った。


 室内で、彼の防護服を取り外し、身体を洗浄する。使用が定められている範囲で飲料水を与え、ようやく落ち着いたらしい。船員はうなだれながら言った。

「今すぐ、目を潰してしまいたいよ。頭に焼き付くんだ。あいつらの、この惑星の生き物の姿が。地球に、はやく地球に帰りたい……」

 鎮静剤を多めに注射し、彼を睡眠カプセルにエスコートした。カプセル内では、地球の音楽と生き物の映像と鳴き声がいっぱいに溢れる仕組みが内蔵されている。


 ワタシは、多くの船員が、この星での調査活動に限界を感じていることを、船長に伝えに行くことにした。


「そうか……。そうだろうな……」

 船長は、高級嗜好品のコーヒーを啜りながらそう言った。極めて合理的な彼が、タバコやコーヒーをたしなみ始めたのはこの星に到着してしばらくしてからだ。やはり、かなりのストレスがあるらしい。

「ハイ。現地調査は我々ロボットにまかせ、調査員の方々は、船内活動のみにするべきでショウ」

 船長は、外を眺めた。ワタシも船長の隣に立った。


 窓から見える空は青く、清清しく、透き通っていた。しかしその下に息づく動植物すべてが、人間が根本にもつ、生理的不快感、嫌悪感をもよおす姿をしていた。


「……。目か……人間の目の機能について、考え直さないといけないな」

「どういうことでショウ」

「お前達には関係のない話だ。……人間の目をうまく制御できれば、この星でも調査を続けたり、ここにいる生物とある程度コミュニケーションを取ることができるかもしれん。しかし……それも根本的解決にはなるまい……やはり……この星は……私たち地球の生物が生きていけるように、この星をできるようにすべきか……」

 ワタシは、船長の考えを理解した。人類の新たな開拓地として、この星に住む動植物をにしておく訳にはいかない、ということだ。


 その時だった。

 船外へと、防護服もなしに歩く船員の姿が見えた。

 睡眠カプセルに寝かせたはずの彼だ。

 ふらふらとした足どりで、歩いている。

 彼の胸に取り付けられている測定器から脳波や神経活動を検出する。異様な数値を急激に示しては正常値に戻る。この現れは……どうやら、発狂、したようだった。


 船長が救助命令を下そうとする間もなく、無数の、小腸のような触手が地面のあちこちから伸び、彼の目と口と鼻に侵入した。

 身体が浮かび上がり、船員は抵抗を試みたが、毒液を注入されたのか、絡まる触手からうまく脱出できないようだった。おそらく肛門や尿道からも入りこんでいるだろう。彼は、巨大な赤子のように体を膨張させ、腹だけが目立って巨大化した。手足が関節に関係なく前後左右に激しく揺れていた。呼吸や意識は検出され続けてはいるが、著しく乱れている。


 船長の交感神経が、先ほどの船員と近い数値を出しつつあることに、ワタシは気が付いた。

「船員の救出は絶望的デス。船長、睡眠カプセルへ急ぎましょウ」

 ワタシは、船員を見捨てること、船長の精神状態を回復するための選択肢のみを提示した。

「お前……」と船長は不快な感情をワタシに向けた。

 船長にとって、船員は大切な部下であり、自分の身体の一部といってもいい。ワタシの、答えだけ述べる提案に、船長はかなり苛立った感じを見せたが、ワタシが所詮ロボットであることを自身に言い聞かせて、怒りを抑えたらしかった。 


 船員の身体は、 生命反応を発し続けたまま、頭だけを残して、地面へと吸い込まれていった。地面の中に入ると人間が窒息して死んでしまうことを、小腸のような触手を出すはよく知っているのだ。ワタシはその知性に感心した。

「この星の種族が、悪いわけじゃあ、ないんだ。悪意があるわけじゃあ、ないんだ。ただ、分かり合えることができないだけ……だろうな」

 分かり合えない……?

 ワタシとは、あんなに、心の交流ができるというのに……。


 船長は、ワタシに指示を出した。十時間後、全調査員をコールドスリープさせ、この星に関わったあらゆる物品を厳重に保管後、惑星外へ離脱。生物サンプルを参考に、完全にこの星の生き物を死滅させる計画を実行する、と。


 ワタシはこの星で最後の散歩を彼女と楽しんだ。

 率直に、彼女に尋ねてみた。

「さきほど、人間が、この星の生物に食べられてしまいました。それも、ずっと生きたまま食べられ続けるわけですが……それを、どう思いマス?」

「大勢の命に恵みが、行き渡ります。それは、絶え間なく行われる星の躍動であり、雨が降るのと、同じ事です」

「そうか……。そうですヨネ」

 わたしは、彼女そのものを美しいと感じた。 また、哲学的であると思えた。少なくとも、生き物を死滅させるなんて考えでは到底たどり着けない深いものがあった。

(人間たちが、怪物といおうと、化け物といおうと、分かり合えないと言おうと、ワタシは彼女を美しいと思える。心を通わせることができる。分かり合えることができる!)

「ひとつ、良いものをお見せしましょウカ」

「それは、どこでしょう?」

 ワタシは持ってきた防護服を、彼女に着せた。


「どうデスか? この映像は」

「……とても、きれいです」

 ワタシは彼女を船内に連れてきた。

 娯楽区画にある、映画館まで彼女を案内し、席に座らせて、お祭りを見せたのだった。

 ほのかに、オレンジ色に染まる境内。色とりどりに光る屋台。ちりちり闇を照らす、かがり火。遠くから響く、祭囃子まつりばやし……。


 ワタシの、お気に入りの映像だった。いつも、仕事が終わった後に観るいにしえの記録作品だ。

 彼女はうっとりとそれを見つめ、

「すこしだけ、服を脱いでいいですか?」

 と言った。

 ワタシは、彼女の防護服を脱がしてあげた。

 彼女の肉体は、祭りの光を浴び、より一層美しかった。

 それを眺めているワタシの音声回路から、何かの言葉が出そうになる。

(ワタシは、あなたのことを……)



 突然、警告音がワタシの頭の中に鳴り響いた。

 すべての乗組員の精神状態をチェックする。地面に埋まったまま生きている彼を除いて、全員が正常値を示す。当たり前だ。みなコールドスリープ手前の、全身を弛緩させるプレ状態にあるからだ。

 スクリーンは一瞬して掻き消え、一斉に警備ロボット達がなだれ込んできた。

「緊急命令! 特殊な細胞と音を検知! 各自、対象に焼却銃を構えてください」

 船長命令なしで行える緊急事態対応の行動だった。


 ワタシは……ワタシはなぜか、彼らが構えるより先に、銃を取り出していた。

 なぜ、そんな行動に出たのか、わからなかった。

 警備ロボットたちの先頭に立ち、ワタシは銃を彼女に向けた。

 誰よりも早く引き金を引いた。

(命令通りに動いた気がしナイ……)

 ……目の前には焼き尽くされた彼女の身体があった。


 ロボットらは彼女の灰を回収し、強化された特殊なビニールで包んだ上で、サンプル保管すらせず宇宙空間に捨て去った。緊急対応とはそういうものだった。

 彼女が立っていた場所から映画館全体は清掃液とともに洗浄が行われ、艦内全体のチェックが終わるのに数日かかった。人間達は目覚めてからこの事件を知るだろう。

 ワタシは、映画館やその周辺で、清掃作業をすることを望んだ。もしかしたら、彼女のわずかな細胞の痕跡でも残っているかも知れず、それを探し求めていた。


 仕事が終わり、ワタシは久々に映画館に入り、上映のスイッチを押した。

 映画は、普通よりもかなり大きな音量で再生されていた。

 あの時、彼女によく聞かせるために、ワタシが勝手にボリュームをあげていたのだ。


 ……祭囃子まつりばやしが、遠く響き渡っていく。




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