第十章 2
カイロスは父親よりも祖父に懐いている。どちらかといえば、父親とは少し距離を置いている。
父親の方も、カイロスに関してはあまり口出しをしない。男親というのはそういうものなのだろう。
娘のホーラは父親が大好きで、よくまとわりついている。
父親の方も娘の機嫌に右往左往しているが、かなり溺愛している。この分だと、娘に恋人ができた際は一悶着起きそうだ。
「おかあさまー」
ばたばたと足音が聞こえたかと思うと、娘のホーラが横から足に抱きついてきた。
シトラーが苦手な彼女は、兄のそばにシトラーがいると兄には近づかない。
「ホーラ、おなかすいた!」
隣のゲイル家へ遊びに行っていたホーラは、母親の姿を見つけると、迎えにきてくれた父親の手を振り払って走ってきたらしい。
「お夕食はもうできているわ。あとはみんなが食堂に揃えばいただきますができるわよ」
「はあい」
元気な声を上げて、ホーラはメルローズの空いている方の手を握る。
ホーラが走ってきた方に視線を向けると、山査子の垣根の前方をアルジャナンが歩いてくるところだった。途中でホーラに置いて行かれたせいか、なんだか寂しげに見える。
結婚する少し前から、彼はあまり魔術の研究に熱心ではなくなった。
家のことを以前よりも手伝ってくれるようになったせいもあるが、魔術から興味が薄らいだというよりも、魔術と距離を置くようになった。
そのことについて、クラレンスはなにも言わなかった。
ただ、アルジャナンがメルローズと結婚したいと告げたときは、喜んでくれた。
アルジャナンはいまでもクラレンスの弟子だが、いずれクラレンスの後を継ぐのはカイロスだと決めているようだ。彼の中ではなにかこだわりがあるらしい。
「おとーさまー、だっこしてー」
歩き疲れたのか、立ち止まったホーラがアルジャナンにねだる。
娘に甘いアルジャナンは、はいはいと言いながらホーラを抱き上げた。
「ホーラはなんで魔法に興味がないんだろう?」
父親に甘える妹を眺めつつ、カイロスは首を傾げた。
「別にわたしは、あなたやホーラが魔法に興味があってもなくてもかまわないわ。でもあなたは、魔法に興味を持ちすぎるあまり、学校の勉強がおろそかにならないかが心配よ」
「ちゃんと勉強してるよ。お祖父様から、魔術を理解するには数学や化学、語学にも長けていなければならないって言われてるんだ」
クラレンスも一応はカイロスが学業をおろそかにしないよう、注意をしてくれているようだ。メルローズが子供たちに対して魔術の勉強を禁止することを恐れているのだろう。
この子なら、きっと父やアルジャナンの期待以上の魔術師になれるに違いない。
(わたしはお父様の期待に応えることはできなかったけれど)
いずれはアルジャナンそっくりに成長したカイロスの姿が目に浮かぶようだ。
(――あら?)
ふと、既視感を覚え、メルローズは記憶を辿った。
カイロスはいずれアルジャナンそっくりに成長するはずだ、と妙に確信を持っている自分によく疑問を抱くのだが、なぜかこれまで一度としてその自信が揺らいだことはない。
(あぁ、そうだわ。夢で見たんだわ)
カイロスがアルジャナンと瓜二つの青年になるという根拠の元を思い出す。
以前から、彼女が時折見る夢がそれだ。
メルローズの夢の中では、二十歳の頃のアルジャナンそっくりに成長したカイロスが立っている。
カイロス、と呼びかけると振り返るのだが、強気な性格が表情によく表れており、彼がアルジャナンではなくカイロスだとわかる。
息子が腹にいた頃から、そんな光景がしばしば夢に出てきていたのだ。
きっと、あっという間にカイロスもホーラも成長してしまうことだろう。
いずれ、夢で見た二十歳のカイロスやホーラを見られるはずだ。
カイロスがこうやって手を繋いでくれるのも、あとわずかに違いない。
思春期を迎えて、反抗期がきて、と想像するだけでメルローズは楽しくなった。
「僕は、絶対にお祖父様との約束を果たすんだ」
固い決意を込めて断言する息子の姿に、メルローズは目を細めて微笑む。
フロリオ島での平穏な日常が、とても愛おしく感じられた。
了
万象の書 紫藤市 @shidoichi
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