橋下さん。

ぴとん

第1話


 高校を中退してから親の視線が痛いし、暇だし、何よりお小遣いも欲しいので、重い腰をあげてコンビニバイトを始めた。



 平日の昼間は元同級生と会う確率も低いので、家の近所のコンビニでも安心して働ける。



「タナカァ、私レジみてるから揚げ物やってくんね?油怖い」



「……いいっすよ」



 同僚のギャル店員に頼まれ、俺はフライヤーの前に立つ。



「さんきゅー、優しいじゃん」



「…………」



 なんと返せばいいかわからず、黙ってしまった。


 この同僚のギャルは、名を橋下という。同時期にバイトを始めたらしく2週間前のシフトではじめて出会った。


 彼女は同年代なのだが、いわゆるコミュ力強者であり、俺とは別世界の住人である。



 こんなにも簡単にひとに頼み事をするなんて、俺には無理なことである。また気安く会話やお礼をできるのも、見習いたい点である。




 高校に通っている時は、教室でうるさい女子たちを白けた目で見ていたのだが、今考えれば彼女たちは、適切な年齢で健全なコミュニケーションを学んでいる立派な人間たちであったのだ。



 中退したいま、ギャルに対する見方が随分と変わってきた。偏見を捨てれたのは、人間として一歩成長した証だと信じたい。



 店内にちょうど客がいなかったので、橋下さんは雑談を振ってくる。



「ん、そういやまた新しい一番くじ来てたよね。あれってタナカが好きなアニメのやつじゃない?」



「ん、ま、まあゲームの、ソシャゲのやつだね……」



 脂のパチパチした音にかき消されそうな掠れた声で俺は答えたのだが、橋下さんはしっかりと聞き取ってくれたらしく、やっぱり、と頷いた。



「たしか黄色髪の子が好きっつってたよねー?いひひ、店員特権でこの子のグッズパクっちゃえば?」



 悪魔の提案をしてくる橋下さん。俺はいやぁ、と苦笑いして断る。



「まあバイト終わりに自分で金払って引く分には問題ないっしょ……ってか高いな意外とこのくじ。二、三個も引けば時給分じゃん」



 まあそれはわかる。この手のくじは高い。一番下の賞のちっちゃなストラップなど正直割に合わない気がする。



「ラストワン賞とか、これどうやったら引けるんだろ。もしかして大人買い前提?」



「あはは、そうかも、ね」



 ぎこちなく応答する俺。揚げ終わったのでケースに入れにいく。



「おっできた?揚げたてうまそぉ〜。あーあまかないでこれ食えたらいいのに」



「店長から怒られるって……」



「にひひ」



 いたずらっ子のように笑う橋下さん。


 上がる口角。赤いリップに思わず目が奪われる。



「…………」



 俺は、うまい返しどころか、なにも言えなくなってしまった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 半月後、橋下さんがバイトを辞めることになった。


 遠距離恋愛していた彼氏と同棲を始めることになったらしい。


 俺がレジ打ちをしている最中、橋下さんロッカーを片付け終わり、店内から出た。


「ありがとうございましたー…!」


 接客中の俺には、このくらいの別れの言葉しかかけられなかった。


 橋下さんは振り返らなかった。


 後ろ姿のシルエットが。


 闇に消えた。


 なにかが手のひらから零れ落ちた気がした。


 夜も深まってきて、店内に客がいなくなった時間、俺は品出しもせず、ボゥとしてしまっていた。


 橋下さんの後ろ姿が頭から離れなかった。


 俺は橋下さんにとって、バイト先にいるただの同僚でしかなかった。

 

 たまに話し相手になってくれる、とはいえ面白い返しもできないデクノボウ。


 いうなれば人形のような存在。


 別れの挨拶を過度に期待するなど、お門違いも甚だしい。


「……っし」


 俺は奥に雑誌をとりにいった。


 紐を解き、店内のラジオを聴きながら週刊誌を並べる。


 そして今月発売の月刊誌を並べた瞬間。


 ちょこん、と右の頬に、突き刺すような感触が。


 右を向くとそこには、指を一本、俺の頬に刺した橋下さんが笑っていた。


「にしし」

 

 俺の乾いた喉が声を絞り出す。


「あっ……はし、もとさん。バイト!いままでありがとうございました!」


「うん!」


 橋下さんは別れの挨拶をしにわざわざ戻ってきてくれた。


 彼女は、最後に缶コーヒーを奢ってくれた。




 この一件以来、俺は他人へもっと心を開けるようになろうと決めた。


 ただ、このコンビニバイトは早くに辞めてしまった。


 もういない橋下さんの影を追いかけてしまいそうだったから。


 


 


 

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