スイートホーム、ハッピードリーム

百舌鳥


 母が言うところの「花嫁修業」なんて、東京では何の意味も持ちませんでした。


 鍋から湯気が昇り、換気扇へと吸い込まれていきます。ことこと、ことこと。粘度の高い水面を突き破り、浮かんでは消えていく泡。鍋いっぱいに煮立ったシチューをかき混ぜると、食欲をそそる香りが鼻腔を満たしました。涎が出そうになりますが、私にこのシチューを食することは許されていません。小皿にほんの一口、味見であれば業務の一環として許されるでしょう。ですが、それ以上は横領として見做されてしまいます。 シチューだけではありません。広々としたアイランドキッチンから見えるダイニング、樫の木のテーブル、その上。それぞれ食品保存容器に詰められて並ぶ、茄子と挽き肉の炒め物も。麻婆豆腐も、菜の花の胡麻和えも、棒々鶏も、真鯛のアクアパッツァも、筍の炊き込み飯も。依頼主であるこのマンションの住人に確認をとったのち、私のいない食卓に並ぶその時まで冷蔵庫に入れられることになっています。

 湯気と共に拡散する香りに誘われたのか。ダイニングの扉が開き、でっぷりとした中年男性が顔を出しました。テーブルに並べられた品々を眺め回し、満足そうな笑みを浮かべます。

「やあ、高森さん。そろそろ時間だけれど、どうだい?」

「はい。こちらのシチューで完了となります」

 淡々と答えて、コンロの火を消します。料理を終えた後の キッチンを掃除する手順のことを考えながら。交通費や材料費などの諸経費を差し引いた、家事代行としての純粋な手取りは幾らになるのかを計算しながら。


「良いお嫁さんになるのよ」

 高知の片田舎で、母は常々私にそう言い聞かせてきました。女の子は男に混じってあくせく働くよりも、稼ぎの良い男の妻となって家庭を支える方が幸せなのだと。令和の今となっては噴飯物なのでしょうが、高知には未だに息づいている価値観なのです。

 そして、実際に母が辿ったのも同じ生き方でした。同性の、娘の私から見ても、母は美しい人です。そのことは母自身も自覚しており、存分に美貌を活かす振る舞いを選択したのでしょう。高卒で工場の事務員として就職した母は、工場を経営する親会社の正社員と結ばれました。東京から出向してきた父はうだつの上がらないサラリーマンでしたが、高知に生まれ高知に就職した同世代と比べればずっと多く稼ぐ男でした。それこそ、渋い顔をしながらも一人娘を東京の短大で独り暮らしさせてやれる程度には。

 男性の胃袋を掴みなさい。そう告げる母の教えに従って、高校卒業後の進路は調理学科を選びました。ただ。進学先は、東京を選びました。煌びやかな都会の生活とやらに憧れていたのが主な理由ですが、それだけではないのでしょう。唯々諾々と母の言葉に従うだけの人生。それに反発してみたかった。母の指図が及ばない場所に行きたくて、父を説得して上京してきたのです。

 猪狩女子短大の調理学科。女子が八割を占める、料理を専門に学ぶコースです。入学してみて驚いたのは、東京の物価の高さでした。学費と家賃だけは父が出してくれましたが、食費などのその他費用は自分で稼がねばいけません。短大と両立できる、少しでも割のいいバイトをと探した結果。私はガールズバーで働くことにしました。飲み慣れないお酒を勧められるがまま口にするのも、酒臭い男性に卑猥な言葉を浴びせられるのも好きではありません。ですが、ガールズバーではそれなりに人気のあるキャストだったと自負しています。いつなんどきでも愛想良くしていなさい。母の教えが実を結んだのでしょうか、だとすればその点は母に感謝するべきなのでしょう。もちろん、地元では母親譲りだと褒められてきた私自身の容姿についても。

 驚いたのは、もうひとつ。東京に生まれ、東京に育ってきた同級生達の生活でした。高価なブランドバッグで通学するのは当たり前。アルバイトもしていない、親からの小遣いで生活している人も多数いました。経営学を学び、自分の喫茶店を開くのが夢だと語っていた女子の堂々たる声は今でも耳に残っています。花嫁修業のためにと短大を訪れたのは、私だけのようでした。いえ、本当は他にもいたのかもしれません。口には出していなかっただけのこと。家庭を支えるのではなく、手に職をつける。自立こそが正しい道。私の実家とは、母の教えとは、あまりにもかけ離れた空気でした。

 そんな短大の雰囲気に抗うように、私がのめり込んだものがありました。マッチングアプリ。十八歳以上の男と女が恋の駆け引きを繰り広げる、スマホの中の社交場。花嫁修業であるからには、夫となる人を探さなければいけません。結婚相手の選定は早いうちから行えというのも、母の教えのひとつでした。結局、東京に来てまで母の言葉に縛られ続けている。滑稽ですが、私の不安を解消するにはそうするしかなかったのです。手の届きそうな幸せのかたちが、より良い男性との結婚しか思い浮かばなかったのです。

 最初からアプリで男性を探していた訳ではありません。同級生の紹介、合コン、バイト先のバーでの出会いなどは一通り試しました。ですが、駄目でした。どうしても彼らを好きになることはできませんでした。ある人は身長が低かった。ある人は勤め先が零細企業だった。ある人は高卒だった。ルックス、居住地、年収、趣味。出会う人出会う人皆何かしらの欠点が目につくのです。とうとう我慢ができなくなった私は、より効率的な出会いを求めてマッチングアプリに登録しました。

 それ以来、人生はがらりと変わりました。東京には、ルックスも身長も年収も何もかも申し分ない男性が多く暮らしていると知りました。高校の時に付き合っていた野球部主将の森下くんや、サッカー部エースの前川くんとは比べ物になりません。高知を出なかったら決して出会っていなかったような人たちと何度も食事に行き、デートを重ねました。もうブランドものの鞄や服、化粧品を持っていないことで同級生達に劣等感を抱くことはありません。媚びた声を出してねだれば、男性達は大体のものは買ってくれました。短大で習った手料理を振る舞ってやれば、お返しにと高級な寿司を奢ってもらえました。

 それでも。短大を卒業し、家事代行サービスの会社に就職する頃には気づいてしまったのです。男性達は、私と遊ぶのは良くても結婚することなど最初から考えもしないのだと。少し可愛くて家庭的な女と飽きるまで付き合ったら、結婚相手としてまた別の女を捜すのだと。

 有名大学を卒業し、大企業に勤めて高い収入を稼ぎ出す。所謂ハイスペックと称される男性は、同程度の学歴や年収の女性を妻に選ぶ。一定の年数東京にいれば、嫌でも身にしみてくる事実です。家事代行サービスの年収など、一流企業のそれと比べれば雀の涙。幾ら若いと言っても、短大卒の低収入の女など彼らには結婚相手として考えられない。半ば諦めながらも、僅かな希望を捨てられずにマッチングアプリで新たな出会いを求めることをやめられないのが、私でした。



 物思いにふけりながら歩いていると、気づけばマンションを出ていました。家事代行としての仕事は終わり、数枚の紙幣が入った紙袋が懐に入っています。駅まで歩いたところで、ポケットからスマホを取り出しました。昼に仕事を終えれば、夜には男性とのアポイントがあります。結婚したい女と、遊びたいだけの男。ほとんどの男性は食事代を払ってくれますが、割り勘を主張する男性とも稀に出会います。このまま歳を重ねれば、いずれは割り勘を主張する男性の数が奢ってくれる男性のそれを抜かすのでしょう。憂鬱な気分になりながら、私は指定された待ち合わせ場所へと足を進めます。



「勿体ないな。俺は、優美さんと結婚したいと思うけど」

 どきんと、心臓が跳ねました。

 社交辞令。何度となく交わされた定型文。数時間前までの私なら、いつもの愛想笑いで軽く受け流していたでしょう。ですが、今日に限っては違いました。

 端整な顔立ち。洗練されたエスコート。話を弾ませる話術。輝かしい経歴。数十人に一人会えるかどうかといった、全てが完璧な男性が目の前に座っています。

「優美さんは、料理教室の先生なんでしょう? 凄いな、手料理のプロだ」

「ありがとうございます」

 嘘はついていません。家事代行サービスはチェーンの料理教室とも提携しており、私自身も月に数回ほどスタッフとして参加しています。料理教室で教えていると話した方が男性の受けがいいと気づいてから、そう告げることにしているのです。

「俺は、温かい家庭に憧れているんだ」

 慣れた仕草でワイングラスを傾けながら、彼は言葉を続けます。

「仕事から帰ってきたら家に明かりがついていて、美味しい手料理が湯気を立てている。落ち着いた家庭で食べる、ゆったりとした時間。優美さんとなら、そんな時間を作れそうだ」

「……私も、そう思います」

 磨き上げられたワイングラスには、はにかんだ私の笑顔が映っています。この人と結婚したい。この人と、完璧な人生を築きたい。はじめて、そう思える人と出会いました。

「また会ってくれますか?」

「勿論。仕事が忙しいけど、できるだけ努力するよ」

 そう言って、その日は別れました。次に「会いたい」と連絡が来たのは一週間後。仕事が終わった彼を私の家に招き、力作の料理を振る舞うと彼は満面の笑みで食べてくれました。何度も彼を招き、手料理を振る舞い、体を重ね、翌朝仕事場へと送り出す。幸せな時間でした。――その瞬間が、来るまでは。



 それは、額縁付きの写真立てでした。チェストの上に立てられたそれを、呆然と見つめます。写っているのは、三人の人物。五歳ほどの男の子、ジャケットを着たつり目の女性、そしてスーツ姿の彼。桜並木を背景にして、三人は幸せそうに笑っています。

 ごほん、と咳払いの音。振り返ると、依頼主である女性が立っていました。仕立てのよさそうなワンピースに身を包んだ、目つきの鋭い女性。彼と並んで、写真に写っていた女性。私は慌てて正面に向き直り、掃除機を握りしめました。対価をもらっている以上、請け負った掃除の仕事を時間内に完遂しなければならないのです。決して、女性の左手に輝く指輪から目を逸らしたわけではないのです。

 マッチングアプリには、そういう男性も何食わぬ顔で混じっていることは知っていました。特に、ルックスと年収を兼ね備えた男性。わざわざマッチングアプリになど登録せずとも女関係には困らないような男性が、既婚の事実を隠して非日常の火遊びを楽しんでいるのだと。

 ――自分だけは、大丈夫だと思っていました。あの優しい彼がそんな真似をするはずがないと、盲信していました。甘かったのです。若くて家庭的、そこそこ可愛い程度の私が、釣り合うはずのない男性に結婚の話を匂わせられた時点で気づくべきだったのです。


 心がどれだけ衝撃に打ちのめされていようとも。私は生きていくためにお金を稼がねばなりません。私の登録している家事代行サービスは、口コミが命です。仕事に手を抜いていたなどと投稿されれば、今後の依頼にどれだけ打撃を与えることか。

 口を一文字に引き結んで、黙々と部屋を磨き上げました。タワーマンションの一角に位置する、3LDKの部屋を。調度のひとつひとつが私の月収に匹敵するような、自分では決して住めない部屋を。掃除が終われば、次は料理です。提示された予算の中で買い込んだ食材で、指定された品数を作らなければいけません。自分以外の誰かが暮らす、温かい家庭の手助けをせねばなりません。

 広々としたキッチンで、黙々と食材を切ります。ふと、ぱたぱたという足音が耳に届きました。横を見やれば、男の子がこちらを見上げています。小学校低学年ほどでしょうか。小さな手には、ひとくち囓られた唐揚げが握られていました。先ほど揚げ終わって、テーブルの上で冷ましておいたものです。「危ないですよ」と声を掛け、包丁を握る私のそばから遠ざけようとした時。

「おいしい」

 屈託のない笑顔、屈託のない声。ひとことだけを発した男の子は、唐揚げの残りを口に放り込んだのちキッチンから走り去っていきました。

 作りたての、湯気を立てる料理。家族の待つ、明かりのともった家。彼が欲しがっていたもの。

 ――なんだ。もう、持っているではないですか。



 三人家族が住むその家からは、その後も数回の呼び出しがありました。一度家事代行として入った家がリピーターになるのは珍しくありません。子供が、貴女の料理を気に入ってしまったのだと。私を呼びつけた女性は、どこか複雑なまなざしで告げました。

 マッチングアプリで出会った彼とも、逢瀬を重ねていました。場所はいつも、私の住むワンルームのアパートか何処かのホテル。彼自身の家に招かれることはありませんでした。会話の中で彼が口にした住所は、私が通うあのタワーマンションの位置する区とは全く違う方向です。愛想笑いが引き攣るのをこらえて、私は「いつか連れていってほしい」と口にするばかりでした。

 月に二、三度ほど。彼の妻である女性に招かれ、求められるサービスをこなしていけば、自然と家庭の事情も察せるようになりました。

 大輝くんが床に脱ぎ捨てた、私立小学校の制服を拾ってブラシをかけます。弁護士である香苗さんが自室で在宅の仕事をしているときは、音を立てないよう静かに掃除をします。昌宏さんと――彼と、顔を合わせることはありません。多忙のため帰宅は遅い時間になることが多く、帰らない日も多いそうです。香苗さんが苛立った様子で電話をかけているのを、しばしば目にしました。彼が、仕事が忙しいと偽って何をしているのか。秘密を知っている私は口を噤んで、三人のための料理を作りおきます。この日々に、意味はあるのかと自問自答しながら。

 毎週のように替えられる、玄関の花瓶に活けられた花。今月は水仙が黄色い花を咲かせていました。大輝くんはバイオリンを習っているようですが、わんぱく盛りの男の子のこと。楽器を床に放り出しては、香苗さんの雷が落ちています。直接顔を合わせることはありませんが、食器の移動や洗濯機の中の衣服からは昌宏さんの痕跡が感じ取れました。裕福で、教養のある、幸せな家族。訪れるたびに自分の場違いさを恥じ入るような、住む世界の違う人たち。夢を見ているのだとすれば――どちらが、真実なのでしょう。

 いえ、ひとつ訂正すべき事柄がありました。昌宏さんとは時折顔を合わせています。「優美さんの料理が食べたい」との求めがあれば、単純で卑しい私は喜んで買い出しに向かうのです。彼は、自宅の冷蔵庫にも私の作った料理が入っていることを知っているのでしょうか。妻が家事代行サービスを利用していることを、どう思っているのでしょうか。泡のように湧き出す思いに蓋をするのにも、限界があります。

「結婚して」

 日付も変わろうとする頃の、私の部屋。私の作った料理に舌鼓をうち、そして事を終えた後のベッドの上。押し込めてきたものが、ついに溢れてしまいました。

 私の言葉を聞いた彼は、困ったように笑って。裸の胸に私を抱きしめました。

「来週、両親に紹介するよ」

 心臓が、どくんと跳ねます。至近距離で昌宏さんの顔を見つめました。

「信じてもいい?」

「もちろん。最初に言っただろう?俺も、ずっと優美さんと結婚したかった」

 嬉しい。その感情だけが、私の心に溢れます。香苗さんとは離婚するのでしょう。彼女は私と違って自分の稼ぎがありますから、経済的な理由で離婚を拒むことはないでしょう。大輝くんの親権はどちらになるのでしょうか。もしも、昌宏さんと私と暮らすことになれば。あの年相応に可愛らしい声で、私の料理を美味しい美味しいと毎日食べてくれるでしょう。幸せな想像に胸を躍らせているうちに、私はいつの間にか彼の腕の中で寝入っていました。

 そして、翌朝。ベッドの上に、部屋の中に、彼の姿はありませんでした。スマホで送ったメッセージに既読はつきません。電話にも出る気配はありません。一週間待って、二週間待って。そしてようやく、私は全てを理解しました。



 タワーマンションのエントランスを抜け、何度も通った部屋に足を踏み入れます。水仙の生けられた玄関で私を出迎えた香苗さんに、次回以降に訪問する担当者が変わることを告げました。香苗さんには引き留められましたが、別れを惜しんでいるのではなく担当者の交代に伴ってサービスの質が変化することを懸念しているのだと、ありありと伝わってきます。

 最後のサービスになることを説明して、いつものようにキッチンに向かいました。香苗さんは自室に籠もって仕事を片付けているはずです。何度か訪れるたことで私を信用するようになったのか、作業の進捗を確かめにキッチンを訪れることはなくなりました。

 持参した食材を袋から出していると、大輝くんがやってきました。

「お姉ちゃん、もう来ないって本当?」

「ええ、残念ですが本当です」

 そう告げると、泣き出しそうな目で見上げられました。汚れを知る前の純朴な瞳。あの男の血を引くとは思えない、悪意のない子供。この部屋を出ればもう会うことはないのだと実感しながら、私は口を開きます。

「そうですね――これで最後ですし、お母さんお父さんにサプライズをしてあげましょうか」

 大輝くんの目が、ぱちくりと瞬きます。きょとんとした顔に、思わず笑みがこぼれました。

 私が提案したのは、大輝くんが料理を作ることでした。大輝くんが私の代わりに料理ができると示すことで、両親を安心させる。大輝くんは、まんまるに目を見開いて賛成してくれました。早速とばかりにメニューを選定し、材料の確認にかかります。

「よくできました。次に必要なものは何ですか?」

「えっと、あと必要なものは卵とにら……どうしよう、足りないや」

「あるではないですか。ほら、あそこに」

「本当だ! 取ってくるね」

 大輝くんが主体として調理するという体裁を取りつつ、火や包丁は私が扱いました。万が一にも大輝くんが怪我をしないように。完成した料理を、大輝くんが満面の笑顔で両親に差し出すことができるように。


「お世話になりました」

「こちらこそ。お元気で、高森さん」

 玄関で社交辞令の挨拶を交わします。香苗さんの後ろで、大輝くんがぶんぶんと手を振っています。大輝くんの作った料理だということは、香苗さんと昌宏さんが食べる直前に伝えるという話でした。

 サプライズが成功することを願っています。偽りのない気持ちを瞳に乗せて、大輝くんに伝えて。私はマンションを後にしました。


 数時間後の夜。タワーマンションにほど近いカフェテラス、路地に面した席で私はコーヒーを啜っていました。目の前の道路は、高級車が忙しなく行き交っています。喧噪の中に、遠くから響いてくる音がありました。音は段々と近づき、車の流れに変化が現れます。やがて、サイレンの音で他の車両を追い立てるようにして救急車が現れました。赤色灯を輝かせた救急車は、昌宏さん達の住むマンションの駐車場へと入っていきます。カフェからは確認できない角度で停車してしまったことを残念に思いつつ、私は席を立ちました。


 高知には花にらと呼ばれる野菜と、それを使った料理が存在します。昼間に、私が大輝くんに語って聞かせたことです。花にらと水仙を、あえて取り違えさせるように仕組んだのも。

 花にらの葉と観葉植物の水仙が、よく似た形をしていること。観葉植物の水仙は葉に毒を持つこと。実際に、にらと水仙を間違えた事による食中毒事件がしばしば起きていること。――偶然にも、これらも母の教えでした。

 料理を作ったのは大輝くん。幼い子供による、不幸な取り違えで済まされるでしょう。ただ、花瓶に活けられた水仙だけで人は死にません。大輝くんが意識を取り戻せば、私が関与したことも話してしまうでしょう。

 ですから。調理を手伝う振りをして、にらと誤認させた水仙に農薬を塗り込みました。食用になるはずのない観葉植物から検出されてもおかしくない薬剤を。子供なら死んでしまうような、有毒の化学物質を。

 昌宏さんは、彼は、大輝くんの料理を食べたのでしょうか。仕事で帰宅が遅くなり、まだ口にしていないのでしょうか。それとも残業と偽って、私でも香苗さんでもない女性と二人きりで食事をしていたのでしょうか。

 完全犯罪を成し遂げたとは思っていません。見る人が見れば、私を怪しむでしょう。いずれ裁かれる日が来るのでしょう。

 それでも。作りたての、湯気を立てる料理。家族の待つ、明かりのともった家。花嫁になれなかった私が、彼の守りたかったものを奪う。それが叶ったことは、私がずっと求めていた――優越感をもたらすのです。

 

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