後編:災禍をふりまく猫鬼と化す
ましゅまる死去から半月も経たぬうちに、春谷社長は新たな仔猫を用意した。やはり短毛種の立ち耳のスコである。この子猫はゆきまると名付けられた。シルバーグレイと白の毛並みは在りし日のましゅまるに似ていなくもないが、別に血縁関係があるという訳ではない。
しかし何となく似ている容姿から、ゆきまるをましゅまるの生まれ変わりとして打ち出す事にしたのだ。余人が見ればあからさまな子供だましに思えるかもしれないが、信者はこれを信用したらしい。日本にて輪廻転生の概念が根付いているのは賢明な読者諸兄姉もご存じの事であろう。
ともあれ新しい仔猫・ゆきまるを使って春谷社長とチームは新たに進みだそうとしていた。ましゅまるの生まれ変わりという設定を前面に打ち出しているので、ましゅまるとのアレコレは文字通り葬り去る事が出来る。そう思っていたのだ。
つまるところ彼らは猫を侮っていた。そしてその事をすぐに思い知らされたのだ。
※
異変があったのはゆきまるがデビューしてから二十二日目の事だった。茹でたささみを食べたゆきまるが体調を崩したのだ。始めは仔猫だからだとかストレスだろうかとやや楽観視していたのだが、数日を待たずして腹が蛙のように膨らんできた。
それまでは内輪でどうにかしようという風潮が漂っていたが、尋常ならざる状況にゆきまるは追い込まれていた。ゆきまるはすぐに動物病院に連れ込まれた。ペットタレントであるゆきまるを露出するのは気が引けたが、そもそもゆきまるが死んでしまっては元も子もない。
「これは……」
動物病院の一室。青白い顔の獣医と春谷社長一行は、机の前で向き合っていた。彼らの視線は楕円の金属バットに載せられたそれに注がれている。
ゆきまるの腹部膨張は、彼の体内に異物が入り込んでいたための物だった。異物は手術で取り出さざるを得なかった。だが出てきたものが文字通り異様な物体と言うほかなかった。
ゆきまるの腹から出てきたもの。それは一羽のヒヨコだった。バラバラになった肉片などではなく、きちんと嘴の先から爪の先まで完全に揃ったものである。何故そんなものがゆきまるの腹から出てきたのか。それは経験豊富な医者であっても解らない話だ。ゆきまるがヒヨコを捕食したのならば、消化された状態で出てくるであろう。しかしゆきまるはヒヨコなどを食べてはいない。それにそもそも未だに小さいゆきまるがヒヨコを丸ごと一匹捕食するなど不可能だ。
医者は汗を垂らしながら見た事も無い症例だと言っていた。誤飲の可能性はまずもって考えられず、腫瘍だったとしてもヒヨコの形をしているのはおかしいと。
春谷社長たちはこの尋常ならざる状況に震えていた。猫の腹からヒヨコが出てきたという不可解さにおののいていたのも事実だ。だが彼らはそれ以上に、金属バットの中で粘液にまみれ横たわるヒヨコに心当たりがあった。ましゅまるが元気だった頃対面させたヒヨコにそっくりなのだ。いや、ヒヨコはおおむね黄色くて丸いからそう思ってしまっただけなのかもしれない。しかしそうかもしれないと思えてならなかった。
そんな事を思っていると、事もあろうにバットの上のヒヨコが動き出したのだ。足は痙攣したままで立ち上がりはしないが、代わりに首をもたげて目をすがめ、嘴を動かして一声啼いた。
「……ニャァ」
ヒヨコの嘴から出てきたのは在りし日のましゅまるの啼き声だったのだ。この騒動で春谷社長の一行は取り乱し、ひきつけを起こしたスタッフさえいたという。
しかしこれは、全ての始まりに過ぎなかった。
※
「ぐっ、うぐっ……」
深夜。ましゅまるとゆきまるの世話係を務めていた男は、唐突に目を覚ました。奇妙な猫の夢を見たかと思うと、息苦しさと喉の奥をザリザリと刺激する感覚に苛まれ始めたのだ。
ひとまずトイレにと思って動き出した途端、喉の奥に詰まっていた何かが僅かに動いた。たまらず立ち止まり、盛大にえづく。吐瀉物と胃液と共に一層太くて大きなものが男の口から飛び出してきた。
「う……嘘だろ……」
汚した床を清める事も忘れ、男は出てきたものに釘付けになる。粘液にまみれながら、シルバーグレイの毛皮に覆われた猫の前足が一本転がっていたのだ。男はその足がましゅまるの右前足だと思ってしまった。仕事とはいえ二年強ましゅまると一緒にいたのだから。
新生ましゅまるチャンネルは振るわなかった。というよりも撮影自体が難しい状況だったからだ。ゆきまる自体は生きているのだが、手術のあとは猫が変わったように大人しく、臆病な猫に変貌してしまった。
それに何より人間サイドに降りかかる異変がひどくて撮影どころではなかった。世話係の男がましゅまるの右前足を吐き出してからというもの、他の人物の体内からもましゅまるの身体の一部が出てくるようになったのだ。
共演した幼子の脚が腫れてきたかと思うと、そこからましゅまるの眼球が出てきた。
カメラマンの耳の奥から、ましゅまるの鉤爪が摘出された。
ましゅまるを選出した女性スタッフは、長く苦しんでからましゅまるの尻尾を吐き出した……と言った塩梅である。
これらの珍事・怪事件に対し、トップである春谷社長は何も言わなかった。というよりも最近彼は撮影部屋にも職場にも姿を現さなくなっていたのだ。
身近な人物によると、彼は少し前にちょっとしたミスで腹に切り傷を負い、それが中々治らないのだという。若いのに傷の治りが遅いのは気になるが、それも不摂生や派手な遊びが祟っての事かもしれない。皆はそう思っていた。
それにましゅまるに関わっていた人物がましゅまるの一部を排出するのを間近で見ているのだ。明日は我が身と震える小市民たちには、春谷社長の身を案じる余裕もなかった。
※
春谷社長宅。オシャンティな彼らしからぬ様相を呈する自室で、彼は耳をふさいでいた。寝ている時も起きている時も猫の声――厳密にはましゅまるの声が四六時中聞こえるのだ。
原因は解っている。腹にできたコブのせいだ。傷を負った部分は塞がらずに奇妙なコブに変貌したのだ。そのコブは今や猫の、ましゅまるの頭部になっている。
コブもきっと春谷社長の身体の一部なのだろう。しかしましゅまるの頭部と化したそのコブは、春谷社長の意思などお構いなしに啼き、餌を欲するのだ。そもそも春谷社長はコブを猫の頭部に育てる事など望んでいない訳であるし。
ましゅまるの首を、この奇怪な腫瘍を包丁で斬り落とそうとした事もあった。しかし包丁に力を入れると途端に痛みが走り、斬り落とせなかった。せいぜい猫を黙らせるために小突いたりするくらいだ。耳を引っ張っても痛む訳だから。
「畜生……一体どうなってるんだ……?」
春谷社長はゴミ袋が両脇に並ぶ布団に寝そべったまま、タブレット端末で調べ物をしていた。病院には通っていない。しかしこの腫瘍をそのままにしておくつもりはなかった。
猫 腫瘍 人体。全くもってでたらめな検索単語の配置であるが、オシャンティさを失った春谷社長がその事についぞ気付かなかった。
しかし――この支離滅裂な検索のお陰で、ましゅまる錬成によって苦しんでいるのが自分だけではないと知ったのだ。
※
「マオグイに憑かれているわね」
路地裏の奥にある占いの小部屋にて、その娘はそう言った。一応ここも都内、それも二十三区内ではあるがごみごみとした、ネズミが走り回るようなうらぶれた場所である。オシャンティな事を追い求める春谷社長が足を踏み入れるような場所ではないが、そうも言ってはいられなかったのだ。
この娘は占い師と言っているが、怪奇現象についても臆せず見、そして解決してくれるという噂があったのだ。怪奇だのオカルトだのと言うのも全くオシャンティではないが、もはやましゅまるの件をどうにかせねばならないのは明白だった。
娘は確かに本物なのだろう。マオグイが何なのかは解らないが春谷社長はそう思った。まずもって春谷社長の現状を見ても、娘は眉一つ動かさず落ち着き払っているのだから。横っ腹からメロン大になったましゅまるの頭部を生やしているのは言うに及ばず……春谷社長本体は情けないほどに痩せこけていたのだ。食事は二つの口で十二分に行っているはずなのに。
ややあってから娘は言葉を続けた。
「
だけど――そこで娘の顔に笑みが広がる。その笑みを見て、何故か路地裏を走り回るネズミたちを思い出した。
「その兇悪さは犬神の比ではありませんが。何せ本場の大陸で最も恐れられた蠱毒の一種なのですから」
「そ、そんな……何で俺はそんなのに取り憑かれちまったんですか?」
「それはあなた自身がご存じなのではないかしら?」
猫鬼に取り憑かれた理由を聞こうとしたが、娘はすげなく突き放すだけだった。
「あなたに憑いている猫鬼は、元々はあなた達が酷使して金儲けの道具として扱っていたのでしょう。もちろん本式の猫鬼の作り方とは違うけれど、恨みを持ったその子が、猫鬼として取り憑き仇をなすのは当然の流れだと思うわ。
そもそも、猫鬼にしろ犬神にしろ恨みや呪詛と縁深いのよ。熟練の術者であっても、向こうに隙を突かれて取り殺される事が多いんだから。ましてや、そっちの方面に疎いあなた方が太刀打ちできないのは致し方ないわ」
「ど、どうすれば助かるんだ……?」
「ニャア、ニャアアアン」
春谷社長のかすれ声に肥大したましゅまるの啼き声が被さる。それでも娘は怯える事無く、むしろ笑みを深めた。
「その子を使って稼いだお金を全額、私に寄越しなさいな。蠱毒の中には蠱毒によってもたらされた財宝を全て手放す事によって蠱毒とも縁を切る事が可能なの。その子も、自分を使って荒稼ぎしたお金を手放す覚悟を見せたら怒りも収まるでしょう」
「そんな、そんなの無理だよぉ……」
ましゅまるで稼いだ金を全額手放す。それはもはや春谷には出来ない事だった。金を稼いだ快楽に酔い痴れている事もあるが、実質手許には金などほとんど無かったからだ。
※
それからゆきまるチャンネルは唐突に閉鎖した。春谷社長がどうなったのかは定かではないが、彼が表舞台に出る事はまずないだろう。
ただ、仔猫だったゆきまるは保護施設に預けられ、新たな飼い主の許で幸せに暮らしているという事が唯一の朗報であろう。
マオグイ――招福と呪詛の物語 斑猫 @hanmyou
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