中編:慾にまみれた搾取の果てに
言うまでもない話であるが、仔猫の成長は早い。猫が成猫と見做されるのはおおむね一歳を迎えた後であるが、成猫と変わらぬ姿になるのはもっと早い。箱の中で広々と寝そべっていたちっぽけな仔猫が、半年後には同じ箱の中にぴっちりと納まってしまうという事態はそう珍しい事ではない。
その一方でまた、成猫になってからの暮らしの方が長い事も紛れもない事実である。個体差や品種によりまちまちなので一概には言えないが、猫の寿命は十五年から二十年ほどであるという。仔猫の愛らしさに魅了されたとしても、その愛らしさを堪能できるのは半年未満の短い期間なのだ。それ以降は成猫になった猫と共に十数年以上暮らさねばならない。人間は猫よりも長生きではあるが、それでも十数年という期間は短いとは言い難い。
話はやや逸れるが、スコティッシュ・フォールドやスコティッシュ・ストレートの平均寿命は十年から十三年であるとされる。他の猫種よりもやや短命なのだ。理由については諸説あるものの、他の猫種よりも用心して飼わねばならない証拠ともいえるだろう。もちろん、全てのスコが短命という訳でもない。現にウィーチューブ最初期の頃から視聴者を楽しませているスコなどは、老猫になった今でも健康な姿を視聴者に見せているのだから。
さて、成猫になったましゅまるはどうなったのだろうか?
※
ましゅまるの家という名の撮影部屋。或いはましゅまる専用の監獄にて、半日にも及ぶ撮影が終わろうとしていた。世話係の許に友人男性が訪れたという設定のもと撮影が進められていたのだが、そこにいるヒューマンは世話係と友人男性だけではない。監督、脚本、サブのカメラマン等々が、妙に殺気立った様子で猫と主役になりうるヒューマンたちを取り囲んでいたのだ。殺気立っているのは仕事人故の妙なプロ根性なのか、はたまた思い通りに動かないましゅまるに対する怒りなのかは定かではない。
「…………」
囲まれているましゅまるがどのような事を思っているのか、慮ったり考えたりする人間はいない。しかし目つきや水平に倒した耳の向きから察するに愉快な気分ではない事だけは確かだ。戸惑っているのかもしれないし、怒っているのかもしれない。
友人役を務めていた男――春谷社長はましゅまるを凝視していた。ましゅまるチャンネルが始まってはや二年が経つ。生後八週目から登場していたましゅまるは既に二歳を過ぎている。人間で言えば二十代半ばであり、まだまだ元気でエネルギーを持て余している年頃でもある。同業でましゅまるチャンネルよりも先にデビューしている猫のカシス君(長毛のスコ・二歳半)などは、甘えん坊ながらも活発で好奇心旺盛なのだから。
そのカシス君よりも半年は若いましゅまるはどうだろうか?
視聴者を熱狂させた、純白とシルバーグレイの上品なサバトラ模様は昔から変わっていない。しかしましゅまるの表情や面立ち、態度は無邪気な仔猫の頃とはまるきり異なっていた。
まずもって表情が昏い。灰緑色の瞳には常に疑念と抑圧された怒りの念が渦巻いており、やや三角に吊り上がってさえいた。その瞳からそう言った感情が消えるのは完全に眠っている時か、多用されるマタタビで酔っている時くらいだった。
実を言えば、仔猫の頃から可愛いと評されていたましゅまるは成猫のサイズになってもその可愛らしさは損なわれてはいなかった。むしろ成長して美猫になったと喜ばれていたくらいなのだ。だがそれも過去の話である。今は常に卑屈な表情を浮かべるようになってしまい、遠のいたファンからは「美猫だったのに不細工になってしまった」という嘆きの声さえチラホラと聞こえる始末である。
さらに言えばましゅまるの体格も貧相とも何とも言えない代物に仕上がっていた。対外的には「食べ過ぎてしまい肥ってしまうから」と言いつつ、ましゅまるは食餌制限をされていたのである。しかしその一方で人間の食事を与えたり触らせたりしているのだから、その食事制限も猫を思っての事ではないのは明白だ。
前置きはさておき、春谷社長に話を戻そう。彼はましゅまるとおのれの手の甲を交互に眺めていた。友人役として参加した春谷社長は、ましゅまるに猛烈な猫パンチを喰らっていたのだ。ましゅまるも腹に据えかねる所があったのだろう、鋭い爪を立てて春谷社長の手の甲を引っ掻いていたのだ。
引っ掻かれた手の甲には薄い筋が走り、わずかに血が滲んでいた。消毒すればそれで処置が終わるような軽傷である。しかし春谷社長はチクチクとした苛立ちをましゅまるに対して抱いていた。オシャンティな事を目指している彼にしてみれば、猫に引っかかれる事自体がオシャンティな事に反している。しかも平素のましゅまるはなすがままになる事が多かったので尚更気に入らなかった。
それにそもそもからして、春谷社長はここ半年ばかりましゅまるチャンネルの方針や評判について頭を悩ませていた。実の所ましゅまるチャンネルが素直にバズっていたのは最初の一年足らずのみだったのだ。その頃は牧歌的な動画として再生回数が右肩上がりの上昇し、純粋なファンのみで構成されていた気がする。
ところが何処からともなくアンチが発生し、度々炎上するようになったのだ。
そりゃあ確かに、春谷社長だって面白い動画を造ろうと色々と演出したのは事実である。かりんとうを置いて猫の反応を見るという事は他でも行っていたではないか。他の動画でも、仔猫とヒヨコが楽しく戯れる動画はあったから、ましゅまるチャンネルもそれに倣っただけに過ぎない。
しかしかりんとうは不謹慎だとか、ヒヨコに猫を近づけるのは非常識だとか、そもそもヒヨコが死にかけているではないかとか、蒙昧な連中がましゅまるチャンネルにケチをつけ始めたのだ。全くもってオシャンティではない状況だ。
※対面動画に使ったヒヨコはその場限りの存在であり、彼がその後どうなったのか、それを追求するのはそれこそオシャンティではない事である(笑)
もちろん炎上対策はスタッフで行った。きな臭いコメントを抹消し、サクラを配置して癒しの猫チャンネルだと思わせる事に余念は無かった。だがその一方で、ましゅまるへの撮影の内容は穏健にはならず、むしろ徐々に過激なものになっていった。他の猫チャンネルとの差別化という物もあったし、何より潰しても潰しても姿を現すアンチ共への挑戦でもあったのだ。
――俺は頑張ってましゅまるチャンネルを運営しているんだ。それなのに、なんであほなアンチ共は付きまとうんだ……
春谷社長はそういう意味では苦しんでいたのかもしれない。しかしそのとばっちりを受け一番苦しんでいたのはましゅまるに他ならなかった。悪趣味な実験やドッキリに付き合わされてきた彼は、もはや世話係にさえ心を開いていないのだから。
しかも間の悪い事に、「飼い主に従順な甘えん坊」という設定が彼には付与されていた。甘えん坊であると思わせるために、一日二回の餌を減らされたり、餌の時間を遅らされたりした事さえあった。餌を求めるために近付かざるを得ない状況に追い込まれていたのだ。無論ましゅまるの不信感はいや増すばかりなのだけれど。
「全くこの畜生は……恩知らずにもほどがある」
よく躾ておくんだぞ。撮れ高が減ったら承知しない。すごむ春谷社長の表情こそが、それこそ外道に住まう畜生のようなものだった。だが彼自身がオシャンティな事を望んでいると知っているためか、誰もそのような指摘はしないけれど。
※
春谷社長引っかかれ事件があってからひと月も経たぬうちに、ましゅまるチャンネルは方向転換を余儀なくされる事と相成った。主役であったましゅまるが急死したからである。無論ましゅまるの死因はうやむやにされたが……虐待まがいの撮影行為が彼の寿命を削ったのだろうという憶測はネット界隈で飛び交っていた。ましゅまるチャンネルではないにしろ、猫が早死にしたであろう事をひた隠しにし新猫を投入して動画を続けているチャンネルもあるのだから。
虹の橋を渡ったという特集にてましゅまるの亡骸を執拗に撮影した動画を流した後で、春谷社長たちは動かざるを得なかった。
看板名であるましゅまるはいなくなった。しかしそれでも猫動画で金銭を得られる喜びを覚えてしまったのだから。
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