全身タイガーと中白ドラゴンはセントラル・リードを目指す

清水らくは

全身タイガーと中白ドラゴンはセントラル・リードを目指す

 彼は、全身タイガーと呼ばれていた。生まれたときに付けられた名前があったのだが、誰もその名で呼んでくれず、皆が彼を全身タイガーと呼んだ。

 彼の両親は獣人だったが、彼はほぼ虎として生まれのである。全身タイガーはよく悩んだ。自分は何なのだろう。なぜこのような姿で生まれたのだろう。

 そんなある日、虎人族と豹人族の間で争いが起こった。戦況が不利になった時、全身タイガーの父親は言った。「お前は逃げろ。虎のふりをしていれば捕まらない」

 全身タイガーは抗ったが、父親は彼の首根っこをつかむと、崖から放り投げたのである。獣人ならば死んでいたかもしれないが、彼は四本の足を必死に動かして、崖を駆け下りていった。

「なんということだろう。俺はもう、あそこには戻れないのか」

 全身タイガーは高い木に登って、崖の上を眺めた。そこからは何も伺うことはできなかった。

 彼はとぼとぼと、あてもなく歩き始めた。その姿はそのまま虎だったので、彼を襲う者もいなかった。

 話す相手もいない。急に全身タイガーは怖くなった。このままでは自分は、本物の虎になってしまうのではないか。

 彼は、歌い始めた。母親がよく歌っていたものだった。幼いころからそれを真似して歌っていたので、彼はとてもうまく歌えるようになっていた。森の中に、全身タイガーの歌が響いた。毎日のように響いた。一度追手の豹人が歌を聞きつけたが、虎の姿を見ると逃げ帰ってしまった。



 あてもなく歩き続け、全身タイガーは自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。どこを目指せばいいのかもわからない。そんなある日、何かを叩くリズミカルな音が聞こえてきた。動物の仕業ではない音だった。深い森の中だったが、誰かがいるのは確かだった。そろりそろりと、全身タイガーは近付いていった。

 木々の間の少し開けたところに、大きな体躯が見えた。全身タイガーの二倍はあるだろう。そこにいたのはドラゴンだった。ただ、話に聞いたこともないようなドラゴンだった。顔と手足の先は緑だったが、それ以外は白かったのである。ドラゴンはグリーンドラゴンやレッドドラゴンなどの種類がいるが、その色が濃いほど強いとされる。今目の前にいるのはおそらくグリーンドラゴンだが、濃淡と強弱の理屈で言えば最弱ということになる。

 しかもドラゴンは、腹の前に置いたドラムをリズミカルに叩いていたのである。ドラゴンの手はごつごつとしているが、手の甲なども器用に使って実に繊細にリズムを刻んでいた。

 全身タイガーは勇気を出して、ドラゴンの前に歩み出た。

「やあ、こんにちは」

「ん? え、虎がしゃべった?」

「ああ、驚かせてしまったね。俺は一応獣人の子なんだ。全身タイガーと呼ばれている」

「それは珍しい。いや、僕も珍しいよね。僕は中白ドラゴンと呼ばれているよ」

 全身タイガーは思わず噴き出した。

「いやいや、失礼。でも、まさか俺以外にもへんてこな呼び名のやつがいるもんだと思ったものでね」

「まあね。でも僕は、この姿のせいで仲間のもとにいられなくなったんだ。グリーンドラゴンにとって、美しく光る緑は誇りだからね。君は?」

「争いが起こって、逃げてきたんだ。行くあてはない」

「そうなんだ」

「中白ドラゴンは、ドラムが得意なんだね。実は俺は歌うのが好きなんだ」

「そうなんだ。聞かせてみせてよ」

「うむ」

 全身タイガーは歌い始めた。聴いてくれる者がいるので、いつもよりも大きな、艶のある声が出た。

 体を揺らしながら聴いていた中白ドラゴンは、歌に合わせてドラムをたたき始めた。二人は目を合わせて、笑った。

 それから一か月ほど、しばしば森の中に歌とドラムが響き渡ることになった。



 ある日、音楽を奏でる二人の前に客が訪れた。バサバサと羽音を立てて飛んできて、枝の上にとまった。

「なんとなんと、噂の森の演奏家たちが虎とドラゴンだったとは」

 それは、蝙蝠男だった。彼は嫌われ者だったが、日ごろから悪さをして回っているわけではない。

「噂になっているのか?」

「むむ、虎がしゃべるとは。まあ、歌うのだから当然か」

「俺は全身タイガーと呼ばれている。いちおう両親は獣人だ」

「僕は中白ドラゴン」

「面白いコンビだ! いやね、私は噂話が大好きで。君たちの音楽が聞こえてきた時に、是非このことを伝えたいと思ったんだよ。中央歌曲都市セントラル・リード・シティというのを聞いたことがあるかね?」

 全身タイガーと中白ドラゴンは、目を見合わせた後首を振った。

「ふむ。人間の都市だがね、人間のみならず様々な音楽家が集まるらしい。あんたたちの腕があれば、いけるんじゃないかな」

 二人は再び顔を見合わせた。

「それは見た目が虎でも?」

「腹の白いドラゴンでも?」

「もちろん大丈夫だろうとも。音楽はみんなのものだ」

「それはいいことを聞いた」

「ありがとう。蝙蝠男は優しいってみんなに言っておくよ」

「うむうむ、噂を広めておいてくれたまえ」



 次の日から2人は、セントラル・リードを目指して旅を始めた。歌い、ドラムをたたきながら。

 一年近くの年月をかけ、二人はようやくセントラル・リードの手前までたどり着いた。しかし、すぐに都市に入ることはできなかった。

 セントラル・リードには12個の楽団があり、そこに所属しなければ音楽家は都市で生活することができないのである。一年に一回新しい楽団員を採用するドラフトと呼ばれるイベントがあり、そこで指名されるように音楽家たちは大会などでアピールする必要がある。

 セントラル・リードを目指す者たちは周囲の町に滞在し、腕を磨きながらドラフトで指名されるのを待つことになる。蝙蝠男の言っていた通り、獣人やモンスターなど、多様な者たちが存在していた。

「すごいや、こんなに音楽好きがいるなんて」

 中白ドラゴンは初めて見る様々なものにはしゃいでいた。それに対して全身タイガーはさえない表情をしていた。

「ライバルが多い」

 あふれかえる音楽家たち。歌を歌う者は特に多かった。その中で目立つには、相当の実力が必要だろう。そう考えると、不安が大きくなっていくのである。

「大丈夫だよ、僕たちなら!」

 中白ドラゴンは自信満々だったが、実際彼らは頭角を現していった。大会に出た二人は、息ぴったりの演奏で次々と上位入賞していったのである。ついには二人とも、次のドラフトで指名確実とまで言われるようになった。

 そしてある日、練習をしている二人の元に人間の男がやってきた。

「やあ、こんにちは。単刀直入に言うとね、ヨミューリ楽団のスカウトだよ」

 ヨミューリはセントラル・リードで最も伝統と人気がある楽団だった。二人もできれば入りたいと思っているところだった。

「こんにちは。まさか、俺らを見に来てくれたんですか?」

「うむ。君たちの噂を聞いてね。ぜひ我がチームにと思うんだが、二人ともとなると他のチームの使命との兼ね合いもあるからね。特に中白君は評価が高い。他のチームからの誘いを断ってくれるなら、二人一緒に入団できるようにするのだが」

 断る理由はなかった。スカウトの立てた計画はこうだった。中白ドラゴンは勉強のためアマチュアの楽団に入団し一年勉強する。そうやって他の楽団を油断させておいてヨミューリは全身タイガーを一位、中白ドラゴンを二位で指名するというのだ。

 こうして話がまとまり、ドラフト当日を待つばかりとなった。


「ムシャーシノ楽団第一巡指名、中白ドラゴン」

 ドラフト会場がざわついた。客席にいた中白ドラゴンは飛び上がって驚いた。その様子を呆然と全身タイガーは見ていた。

 すでに約束通り全身タイガーはヨミューリからの指名を受けていた。二巡目までは中白ドラゴンの名前は呼ばれないはずだったが、事前に情報を入手していたムシャーシノが強硬指名をしたのである。

「どうしよう……」

 中白ドラゴンはうつむいて、ちらりと全身タイガーを見た。全身タイガーは獣のような鋭い目つきをしていたが、数回頷いてこう言った。

「行くべきだ。大丈夫、お前なら一人でもやれる。どこに入ったって、俺たちは、遠くに離れ離れになるわけじゃない」

「でも、君といたから楽しかったんだよ」

「……俺もだよ。だけど俺たちは、セントラル・リードという大きな仲間に入ると考えよう。いつか移籍して、同じ楽団になることだってあるさ」

 中白ドラゴンは太い腕を組んでしばらく考えていたが、全身タイガーの目を見つめると、はっきりと言った。

「わかった。ムシャーシノで、正ドラマーを目指すよ」

「そうこなくちゃ」

 全身タイガーは猫のような眼をして笑った。



 こうして二人は二つのチームに分かれて入団することとなった。

「最高の友人と、ここに導いてくれた優しい蝙蝠男に感謝します」

 入団会見で中白タイガーは言った。それを見ていた全身タイガーは、「あ、すっかり忘れていたわ」と思った。彼の会見はすでに終わっていた。

 二人は楽団に入ると、必死になって練習した。お互いのことを思い出しながら、それでも演奏中はただ楽しみながら。

 お互いの存在を励みにすることもあれば、活躍に嫉妬することもあった。十年後、中白ドラゴンはヨミューリに移籍することになるのだが、二人ともまだそんなことは知らない。

 セントラル・リードでは、今日も様々な者たちが音楽を奏でている。

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