ピーナッツ!

石田宏暁

出会いと別れ

 僕はもう我慢できなかった。


 新都心地区合同の新人教育、職業ビジネスセミナーに出席していた面々との親睦会。誰とも親密になる気はなかったが、会社が金を出すというなら出席する他なかった。


 今更、学生気分の抜けない社会人一年生なんかと仲良くなって何の意味があるというのか。会社も職種も違うのに。


 ほとんど初対面の人間と会話するのは苦痛だった。どうせ二度と会わない連中と決まりきった社交辞令。とにかく席をはずしたくてたまらなかった。


 やっとの思いで、トイレから戻ると会場で青い顔をしている高橋さんとぶつかった。彼女もトイレに用があるのだろうか。と、思ったが違った。ノートや筆記用具が冷たい廊下に落ちたのを慌てて拾っている。


「たしか、高橋さんだったね。ずいぶん慌ててるみたいだけど」


「ご、ごめんなさい。急いでいて」長い黒髪に白くて細い手。彼女からはいい匂いがした。


「そ、祖父が危篤なんです。い、今すぐ臨海病院に行かなきゃならないんだけど、ここからだと……どうやって行くかわかりますか?」


「ええっ!?」


 綺麗な娘だったが、別に下心があったわけじゃない。たまたま借りた車で会場ここに来ていたので、すぐさま彼女を助手席に座らせて病院へ向かった。もちろん善意からだ。いや、すぐここから立ち去りたいのが本心だった。


 慣れない運転で知らない道を三時間ほど走った。運転にも、女性にも緊張していたから会話の内容は覚えていない。


 どのみち病院の前で、彼女を降ろせばそれで終わり、もう二度と会うこともないだろうと思っていた。


「ここまでしてもらって図々しいとは思いますけど、一緒に祖父にあってもらえませんか。ちょっとした友人のフリをしてくれるだけでいいんです。私、友だち居なくて……」


「はあ? 僕はそんな」言いかけて言葉を止めた。高橋さんも二日間のセミナーでは誰とも打ち解けられずに、親睦会で隅に追いやられているくちだった。


 人付き合いが下手で友人も少ない。なんとなくそれが理解できたのは、彼女と僕が同じ種類の人間だったからかもしれない。なんていうのは、勝手な言い分で、まったくの誤解だった。


 両親を亡くして祖父と二人で逞しく生きていた彼女。たった一人の身内の死を前に、誰かにすがりたかったのだ。


 お爺さんの女房代わりに家事をこなし、家計を切り盛りし、やっと社会人として迎えた新人研修と親睦会だったという。


「わかったよ、まかせてくれ」


 静かな病室はカーテンが閉められて暗かった。僅かに差し込んだ光が、白いシーツを際立たせ、優しそうな顔をした老人が眠っていた。医師がいうには容態は悪化していて、いつ息を引きとってもおかしくはないそうだ。


「たくさん話しかけてください。きっと聞こえていると思います」


「……」


 高橋さんは医師と話をしながら廊下にでていた。親戚か誰かに電話をしている様子だった。少しのあいだ、病室には彼女の祖父と僕だけになった。何も共通点のない僕に何を話せというのだろうか。


「初対面の僕がプライベートな質問をするのって変ですよね」


「……」


「死ぬんですか?」


「……」


「いいお爺さんだって、聞きました」


「……」


 彼女のお爺さんは、ぴくりともしなかった。意識はないように見えた。何でもいいから話題がないか、部屋をみまわすと医師の使う手袋が見えた。


「このラテックスの手袋で死ぬ人がいるらしいですよ。ピーナッツで発作を起こす人もいますよね。それと同じでアレルギー発作を起こすらしいです」


「塩――」


「!!」お爺さんは小声で確かに、そういった。慌てた僕は聞いた。「え、今なんて、塩ですか、ラテックス手袋に塩の成分が入っているんですか?」


「……ぴ、ピーナッツのほう」


 それが最期の言葉だった。一瞬、意味が分からなかったが、アレルギーの原因は塩じゃないのか聞きたかったのかもしれない。


 僕は駆け込んだ医師に、突き飛ばされないようベッドの脇へ逃げた。彼女はお爺さんにしがみつくように泣き崩れた。


「なんて言ったの、お爺さん! お爺さん!」


「…………」


「……」


 あれから三十年。新人教育セミナーで彼女と出会い、初対面だったお爺さんの葬式に出席し、その四年後には結婚式。更に二年後は子供が生まれ、入学式に卒業式。あっという間に、我が子は職業セミナーに行っている。


 人生は不思議なものだ。偶然の出会いから、突然の別れ。巡り合わせには何の意味もないように見える。でも、全部つながってる。無意味な出会いなんかない。僕は高橋さんと結婚して、幸せに暮らしている。


 彼女は僕に寄りかかり、キスをした。隠し事なんてないけど、お爺さんの最期の言葉だけは秘密にしてる。想像力が豊かだから、きっと自分のことを頼むとか、幸せにしてやってくれとか気の利いたことを言ったと信じている。


「あなた、お酒のおつまみは何もなくていいの?」

 

「ああ、何もいらないよ。こっちにおいでよ、おつまみならあるから」


 僕は冷えたビールを飲みながら、桜の季節を感じた。ずっと初対面の人が嫌だったあの頃を思い出していた。本当に苦手だったのは、別れることかもしれない。出会わなければ、別れもない、何にもない。


 でも、殻を破らなければ、美味しい実にありつくことは出来ない。僕らは二粒のピーナッツみたいだった。殻にとじこもってた。


 英語圏では、ピーナッツは「取るに足らないこと、ちっぽけなこと」って意味があるそうだ。きっとお爺さんは僕にそう言いたかったんだと、勝手にそう思ってる。


 ああ、ああ、わかってる。たぶんお爺さんは違う意味で言ったのは分かってる。意味なんかないのも知ってるよ。


 勝手な妄想だけど、言わせてくれたって別にいいだろ。出会いや別れがぜんぶ偶然だとか、意味のないものだなんて思えないんだ。人生には必要だろ、そういう教訓とかハッピーな台詞が――。


「あなた何を食べてるの?」


「ふふふっ、ピーナッツ!」



              END



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