婚約破棄され悪役にされたので、そのシナリオに乗ってあげることにしました。

第1話




「愛してるよ……」

「まぁ……!」


 あぁ、またですの。

 

 学園の庭園の花咲く#四阿__あずまや__#で、わたくしの許嫁のルーデル殿下が愛を囁いている。

 今日のお相手はモブリーナさん、たしか男爵令嬢ですわ。茶色のストレートロングの髪を大きなリボンで纏めた、地味だけれど可愛らしいお方。

 

 わたくし、思わず溜息が。


「……っ!」


 と、すぐそばでハッと息を飲み、目を見開いて呆然と立ち尽くす人影。

 あれは、たしか……


「な、なんで……」


 この学園の特待生として入ってきた、ウォーリックさん。

 切れ長の伶俐な眼差しと通った鼻筋で、女生徒からの人気も高い優秀な生徒。


 けれど彼の藍色の瞳はすっかり揺れて惑い、なんとなれば傷付き打ちひしがれているよう。


 わたくしは、いままさにわたくしの婚約者たるルーデル殿下によってその桜色の唇を塞がれ、幸福の絶頂のような顔で目を閉じて口付け交わすモブリーナさんを見た。


 柔らかな金色の髪、白皙の肌、爽やかな青い瞳のルーデル殿下に見つめられ、甘く囁かれて、落ちない女などこの学園にいない。

 

 残念だったわね、ウォーリックさん。

 殿下とあなたとでは身分的にも差がありすぎるし、モブリーナさんだって殿下に口説かれたら舞い上がって安い恋人のことなんかすぐに忘れてしまうわ。


 殿下とモブリーナさんは口付けを交わしたあとお互いを見つめ合い、いつまでも離れがたいかのようにくっついて、お互いの髪だの頬だの触れ合っている。


 すっかり顔色をなくしたウォーリックさんが、ふいに。

 わたくしに、気付いた。

 彼の藍色の目が見開く。


 わたくしは……


 気付いたら走っていた。


「お待ちなさい……! アレンデール公爵令嬢!」

「きゃっ……なにをするの無礼者!」

 

 ウォーリックさんが追い付いてきてわたくしの手首を掴んだ。

 なんの身分ももたない特待生の男が、公爵令嬢たるわたくしにあまりにも不躾なことだわ。

 思わずキッと睨み据える。


「……失礼しました、レディ・フレデリカ。ですが、突然駆け出されたものですから」


 ウォーリックさんは丁寧に一礼する。

 わたくしは心広いことで有名な公爵令嬢なので、寛大に彼を許してうなずいた。


「よくてよ。……なにかご用なの?」

「レディは……良いのですか。あのような光景をご覧になって」

「……なんのことかしら」


 ウォーリックさんがわたくしをじっと見据えて言う。

 わたくしは、一瞬チクリと刺した胸の痛みを素知らぬ顔で、澄ましてみせた。


「ルーデル殿下とレディ・フレデリカが許嫁同士だということは、学園の誰もが知っています。ルーデル殿下のあのような……ことは……浮気では」

「まぁ! なんてことおっしゃるのウォーリックさん。……確かに、わたくしと殿下は幼い頃から取り決められた許嫁同士ですわ。ですが」


 それは親同士が決めたこと。

 わたくしたちの意思ではない。

 学園を卒業したら、わたくしたちは否が応でも結婚することになる。

 だからこの学園で、殿下が、最後の自由の時を謳歌するのは……それを許すのは、殿下の妻になる者としての余裕と寛大さの現れ。

 ほんの遊び程度、どうということもありませんわ。


 ということをわたくしはつらつらと、堂々と、ウォーリックさんに言って差し上げた。

 ウォーリックさんは眉をひそめて口を曲げ、腑に落ちないとでもいう顔。

 これだから平民は……。


「ですが、では、殿下にあのように愛を囁かれた女性たちは? 弄ばれて捨てられるのも仕方ないことと?」

「ひとの許嫁に言い寄ってふらふら着いていく不埒な女たちよ! 淑女とは言えませんわね」


 そんなだからどうせもって一週間。

 その頃には殿下は見向きもしないわ。

 

「お可哀想なことね。ウォーリックさんも、すっかり弄ばれた側のよう。モブリーナさんも罪なこと……」


 わたくしの言葉は、ウォーリックさんをいたく傷つけたよう。

 藍色の瞳が揺れ、眉間にはぐっと皺が寄り、なにごとか耳馴染みのない言葉を呟くと、口端を吊り上げて驚くほど意地の悪い笑みを浮かべた。


「お可哀想なのは、貴女も同じでしょう、レディ・フレデリカ。殿下は貴女をかけらも想っていないのに、貴女は彼に愛されることを夢見て耐えている。あのような場面を見て、ほんとうはえらく傷付いているのでしょうに」


 バチン!


 と、高く乾いた音が響いた。


 ヂン、と手が痛い。


 何事かと思えば、わたくしが、ウォーリックさんの頬を思い切り平手打ちした音だった。


「あ……、ぁ、……ぶ、無礼者……」

「叩く相手をお間違えですよ、レディ」


 頬に赤くあとを残しながら、ウォーリックさんは鼻で笑うと、わたくしに背を向けた。


 わたくしは。


 痛む手をもう片手でそっと包み、唇を噛み締めた。


***


 長い夏季休暇の間、わたくしは久しぶりに家族と過ごして、学園に戻ってきた。

 お父さまたちはずっと、殿下とはうまくやれているのかとしきりに聞いてきたけれど。

 えぇ、もちろん。うまくやっているわ。

 彼の火遊びには目を瞑り、いまは好きにさせている。卒業するころには落ち着いて、自覚を持って王族としての国務と夫としての責務を果たしてくれるはず。


 弄ばれた女性たちにはご愁傷様ですけれど。

 わたくしと殿下には、幼いころからの約束と絆があるのですもの。


 悠々と学園に戻ったわたくしは、やけにざわつき人の集まる庭園で足を止めた。


「まぁ、いったいなにごとですの。皆さんで集まって……」

「あっ、フレデリカ様……!」


 フレデリカ様よ、フレデリカ様だわ、とさわさわと生徒たちが浮き足立つ。

 いったいなにごとなのか、わたくしは思わず眉をひそめた。


「ほう、フレデリカか。ちょうどよいところに来た」

「まぁ。殿下……!」


 その人垣の中心にいらっしゃったのは、紛れもなくわたくしの許嫁。この国の王子殿下ルーデル様。

 きらきらと陽光を反射して輝く金の髪、爽やかな真夏の空のような青い瞳。誰もが見惚れ、ほうっと息を吐きたくなるような美貌。

 ルーデル様がその眼差しをひたとわたくしに向けている。


 わたくしの胸が高鳴る。


 ルーデル様は、この学園に入ったころからわたくしとあまり話すことも、目を合わせることもしなくなった。

 小さな頃は本当に仲良しで、手を繋いで庭園の薔薇の迷路を一緒に攻略したほどなのに。

 けれど、いま、こうして皆の前で。

 その瞳が一心にわたくしに向けられていた。


 ようやく、わかったのね。

 殿下が、真に愛するべきが誰なのか。

 思ったより早かったわ。


 わたくしの顔が綻んでいく。

 殿下に、最高の微笑みを……


「フレデリカ。そして皆のもの! 僕は、本日ここに宣言する。フレデリカ・アレンデール公爵令嬢との婚約を、破棄することを!」



***


 気付くと、わたくしは知らない天井を見上げていた。


「お目覚めになられましたか……」


 わたくしを覗き込む丸眼鏡の看護師。

 その顔は心配そうな、いたましげな……。


「ぁ……あら? ここは。どうして、わたくし……」

「お倒れになられて、運ばれていらっしゃったのですよ……」


 倒れた? わたくしが? なぜ……

 ここは医務室?

 あぁ、頭が痛い。

 気持ち悪い。

 なんだかとても悪い夢を見ていたよう……。


「いま、お水をお持ちしますね。それとも、スープかなにか、温かいものを召し上がられますか?」

「……そう、ね。すこし、お腹が空いてるわ」


 かしこまりました、と言って丸眼鏡の看護師は医務室を一旦出て行った。


 ぽつん、とひとり。

 ベッドの上。

 

 静か。


 カタン、と物音がした。

 看護師が戻ってきたのかと顔を上げ、わたくしはまたもや意識が遠のいた。


「しっかりなさい、レディ」

「う、ウォーリックさん……ど、どうしてあなたがここに……」


 あの日以来、顔を合わせることもなかったのに。

 わたくしの言葉に、ウォーリックさんはふんと鼻を鳴らして笑った。

 恋人を殿下に奪われてショックを受けていたときの、あの儚げなほどの痛ましい印象はどこにもない。

 

「結構な物言いですね。あなたをここに運んだのは俺ですよ、レディ」

「……!」

「突然気を失って、みんなオロオロするばかりだったし……薄情な婚約者殿は見向きもなさりませんでしたよ」


 ウォーリックさんが、意地の悪い顔と声で言った。

 わたくしは。


 あ……


 ――――――!


「フレデリカ。そして皆のもの! 僕は、本日ここに宣言する。フレデリカ・アレンデール公爵令嬢との婚約を、破棄することを!」


 そう仰った殿下は。


「そして紹介しよう。彼女こそ我が運命のひと。この国の救世主たる聖女ミツコ! 僕の新しい婚約者だ!」


 そう言って皆に紹介したのは。


 真っ黒な髪と、つぶらな子リスのような黒い瞳の小柄な少女。

 見たこともない服を着て。

 レディにあるまじき短い履き物で脚を剥き出しにして。

 殿下に引き寄せられ、肩を抱かれ、ぽうっと頬を赤らめていた……


「ミツコは王家に伝わる聖女召喚の儀によってこの国に遣わされた御使だ。くれぐれも粗相なきように!」


 そう高らかな宣言のあと、殿下は。

 蕩けるような眼差しでミツコを見つめ、見たこともない顔で笑って……


 ――――――。


「うっ……」

「え、まさか吐くのか!?」

 

 わたくしが思わず口を手で抑えると、ウォーリックさんが慌てながらさっと桶を差し出してくる。


「吐くならここに。お召し物が汚れてしまいますよ」


 さっきまでの意地の悪い顔が嘘のように、その表情も声音も優しい。


「レディ……?」


 切れ長の、怜悧な、藍色の瞳が……揺れている。

 どうして……。


「レディ……」


 滲んでいくウォーリックさん。


「涙を。拭くなら……ハンカチがありますよ」


 そう言って、わたくしの頬に当てられたハンカチに。

 初めて、わたくしは自分が泣いていることに気付いた。


「うっ……ぅう……うぅ~!」


 自覚すると溢れるものはもう止められなくて。

 ハンカチとそれを当ててくれる優しくて大きな手に縋るようにわんわん泣いた。

 ウォーリックさんは、その間なにも言わなかった。


***


 学園で、わたくしの立場は一変していた。

 

 殿下に婚約破棄されたわたくし。

 あのあとショックで数日休んでいた間に、わたくしに関する根も葉もない噂が学園内を席巻していた。


 曰く。


 フレデリカ嬢はあちこちの男を手玉に取り籠絡していた悪女らしい。

 フレデリカ嬢は悪魔と契約して、無理矢理王子との婚約を交わしていたらしい。

 フレデリカ嬢は邪悪な魔女の生まれ変わり。

 フレデリカ嬢は魔王のしもべ。

 この国を陥れ支配する為に王子を狙った。

 

 そして。


 王子がそれを阻止すべく召喚したのが聖女ミツコ。

 神々の世界から遣わされたお方。

 王子にかけられていたフレデリカの呪いはミツコによって解かれた、

 王子があちこちの女に声を掛けて回っていたのもフレデリカの呪いのせい。

 運命の聖女を探すためだった。


 など、など、など、など。


 いつの間にか、わたくしはとんでもない悪名を着せられ、憎むべき悪役に仕立て上げられていた。


 これまで仲良くしていた方々もいまやわたくしを遠巻きにしている。


 ――今まで私も呪いにかけられていたんだわ。

 ――あんな方と仲良くしていたなんて。

 ――あの赤い髪、火の魔女の生まれ変わりに違いないわ。


 など、など、など、など!


 今まで、鮮やかな赤い髪が素敵と褒めそやしていたくせに!


「魔女め……! よくも我々を騙していたな」

「魔女め……! 王子殿下をむりやり手に入れようなんて」

「この国をどうするつもりだったんだ!」


 皆の、わたくしへの態度は、日増しに悪くなっていった。

 最初はこそこそと陰口程度で収まっていたものが、いつしか直接の罵倒に変わり。

 お茶会やパーティの招待はひとつもなくなり。

 学園長主催の全員参加が義務付けられたチャリティイベントのことも知らされず無断欠席し、学園長から叱責され……


 その間も、殿下とミツコは人目も憚らずイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ。


 ミツコ。子リスのようなつぶらな瞳、なんて愛らしいんだ。野苺のような小さくて赤い唇も思わず食べてしまいたくなるよ。


 とか。


 王子様こそ、青い空のような瞳……ずっと見つめていると吸い込まれてしまいそう♡


 とか。


 そんなことを言い合って。


 わたくしは。


「レディ・フレデリカ……いや、もう君はレディではない。アレンデール公爵から、君を除籍すると王家に申し入れがあった。それに伴い、君の学資もなくなる。学園からも出て行ってもらうことになる」


 とうとう、家からも学園からも追い出された。

 それはあまりにも目まぐるしい速さで。


***


 あれから半年。

 わたくしは市井の片隅で、代筆や庶民用塾の講師をしながら息を潜めて生きていた。

 

 最近は王都が賑わっている。


 もうすぐ王子殿下が学園卒業で、王宮に戻ってくるのだ。

 その時には大きなお祭りになる。


「王子様は、救国の聖女様をお連れになるらしいぞ」

「なんだいそりゃ」

「知らないのか? 王子様の元婚約者が恐ろしい魔女の生まれ変わりで、その魔女の呪いから王子様を救ったのが聖女様だってよ」

「へぇ~! そりゃいい。すぐ結婚式もあるのかねぇ」


 賑わいのなか聞こえてきたその噂に。

 私は胸がざわりとした。

 指先がカタカタと震える。

 あの時のことを思い出すと、頭がカァッと熱くなり、目の前がチカチカと明滅した。


 私は、身分も名前も捨て、髪も短く切り、この王都の片隅で生きていた。

 もうすぐルーデル様がご卒業される。

 運命の聖女を見つけたあの方は、女遊びもやめたのかしら。

 卒業の祝いのパレードをして、その時にミツコを国民にも紹介するの?

 恐ろしい魔女から守ってくれた聖女として?


 悔しい。


 ずっと、この半年、沸々とした感情が渦巻いていた。

 それは、悔しいという気持ちだと、気付いた。


「悔しい……! けど……どうしたら」


 どうしたら、この気持ちをすっきりさせられるのか。


「やっと見つけましたよ、レディ。……いや、もうレディではないのでしたか、フレデリカ」

「……! あ、あなたは……!」


 不意に、突如として、私の目の前に現れたのは……忘れもしない、怜悧な藍色の瞳が印象的な、ウォーリック……。


***


 私は、いま……

 王都を、見下ろしていた。


 遥かな上空から……!


「なっ……なっ……なっ……!」

「どうですフレデリカ。空から見下ろす街並みは……!」


 突如現れたウォーリックは、腕をいきなり掴んだかと思うと……私をぐいっと引き寄せて。

 気付けば私は彼の腕の中にすっぽり収まっていた。


 そのまま抱えられ、あれよあれよという間に天高く飛び上がり、いまここ。大空。


「ど、ど、どういうことなの……!?」

「感想は……?」

「えぇとっても素敵。こんな風に街を見下ろせるなんて……。ではなくて、説明なさい!」


 ついうっとりと感想を漏らしてしまいつつ、私はウォーリックに命じた。

 ウォーリックは私の感想を聞いてふふんと鼻を鳴らし笑うと、藍色の瞳を細めて私を見つめる。


 その眼差し。

 驚くほどに優しくて。深くて。吸い込まれそうな……


「どこからご説明したらよろしい? 俺が何者であるか? なぜここにいるか? どうして貴女をこのように抱えているか?」

「その全部よ……!」


 ウォーリックは今度は声を立てて笑った。


「ではご説明致しましょう、フレデリカ。俺はウォーリック……真の名をデスバルド・ウォーロック。魔界を統べる正当なる王にして……」


 ……は?


「今は世を忍び仮の姿でヒトのフリして暮らしていました。……それから、学園を去った貴女をこの半年ずっと探して」


 ……え。


「ようやく見つけた。……ので、つい嬉しくなって思わず舞い上がってしまいました。言葉通りにね。……この説明で良い?」


 ……良い? と私を覗き込む藍色の瞳。

 けれど、なんにもよくはない。

 なにひとつ頭に入って来ない。


 ただ、私を抱くその腕は温かく。

 私を見つめる眼差しは真っ直ぐで。


「で、でも……どうして……おかしいわ。あなたが私を探す理由も、嬉しいわけも……」


 よく考えてみたら私は彼を八つ当たりで引っ叩いたし。

 彼の前でわんわん泣いたし。

 でも彼との関わりなんてそれだけ。

 それっきり。


「きっかけなど些細なこと。でも、そのささやかな引っ掻き傷のようなささくれが、いつまでも心に掛かるのです。そうするともう、そのことばかりに捉われる。ひとを想うというのは、そのように些細でちっぽけなところから始まるのではありませんか、フレデリカ」


 彼の、ウォーリック……ではなくて、デスバルド・ウォーロック、の声は優しく深く私の心に染み込んでいく。

 そうして微かに、チクリと刺すトゲ。


 まだほんの幼な頃。

 ルーデル様と初めて会ったあの日。

 なんて綺麗な空の色をした瞳かしらと思って心惹かれた。

 優しく微笑むルーデル様は、私の赤い髪を見て仰った。


 ――マシュマロ焼いて食べたいね。


 どうして? なぜ私、そんなことでときめいたの? おかしくない? 


「フレデリカ。俺ではいけませんか。未だにあの王子が良いのですか? あなたを、あんなにも辱め、陥れた……」

「もうその話はよして! いま唐突に全て吹っ切れたところよ!」


 ウォーロックの藍色が瞬いた。


***


 ルーデル王子の卒業と帰郷を祝すパレードとお祭りが、王都で開かれている。


 やんややんやの大盛り上がり。

 王子様が在学中に見染めた聖女様を連れて戻るとあってみんなとっても嬉しそう。


 私はそんな王都を、遥か上空から見下ろしていた。


「フレデリカ、どうするつもりですか。あなたが望めば、どんなことでもできますよ」


 私を抱えて、ウォーロックが言う。

 彼を見つめ、たとえばどんな? と首を傾げると、彼はニヤリと意地の悪い、そしてどこか得意げな顔で笑った。


「例えば、槍の雨を降らせるとか。それとも祝砲代わりにワイバーンにブレスを吐かせるとか。民衆をみんなアンデッドにしてしまうとか。或いは、聖女を醜い化け物に」


 なんでもね、と。

 ウォーロックは、いまかいまかと私の望みを待ち構えているよう。

 不思議。ありもしない尻尾がぶんぶん振られているようにすら見える。


 私はゆるゆると首を振り、ウォーロックの唇に人差し指をちょんと置いて言った。


「ミツコはただルーデルに召喚されてしまっただけよ。可哀想なことはしたくないわ。……でも……ルーデル殿下には、少しは痛い目を見てほしい。殿下の思惑にまんまと乗っかって私に酷いことを言ったりしたりした人たちも」

「では、どうしましょうか。フレデリカ」


 ウォーロックが、私の指先にちゅっと軽く口付けして、またニヤリと笑う。

 私の指先はぽっと熱くなった。


「そう、ね……。お祝いしましょう。殿下が私にそう望まれたやり方で」


 私の覚悟は、決まった。


***


 パレードが始まる。

 

 観衆のただなかを、装飾した豪華な馬車がゆっくりと行く。


 そこには金髪に空色の瞳のルーデル殿下。そしてちんまりと小柄な、子リスのように愛らしい聖女ミツコ。

 殿下はミツコの肩を抱き寄せながら、歓声を上げる民衆に向けて手を振り笑顔を振りまいていた。

 ミツコも殿下に倣ってにこやかに手を振っている。


 観衆の中には学園の生徒だった者たちも居た。

 やがて王城前の広場に馬車が着くと、学園長や高位貴族の主だった面々、子息や令嬢たちが居並び、殿下たちを迎える。


 役者は揃った。


 ――カッ!


 空に走る稲光。


 天は俄にかき曇る。


「きゃあ!」


 淑女たちの悲鳴。

 殿下がミツコを抱き寄せる。


「どうしたことだ、この良き日にこんな天気とは……」

「いやいや、これは天空神も殿下と聖女様を祝福して」

「そうだ、そうに違いない」


 曇天に塞がれる空と稲光に、貴族たちが都合の良い解釈をする。


 もちろん、そんなわけ、ない。


 ――ピシャァン!


 雷鎚が王城の尖塔に落ち、ガラッとそこを崩した。


 ざわざわと民衆がどよめく。


 ――ピシャァン!


 更に雷鎚。

 

「きゃぁぁあ……!」


 それがミツコを打った。


「ミツコ……!」

「聖女様……!?」

「……っ、あ、わ、わたし……だ、大丈夫……無事、です」


 ミツコがぱちぱちと瞬く。

 殿下も皆も一様にほっと安堵した。


 ――ピシャァン!


「ぐわぁぁあ……!」

「きゃあ、殿下!」

「ルーデル様……!」


 次の雷鎚はルーデルを打ち抜く。

 しばらくして、ルーデルはパチパチと瞬き顔を上げた。


「なんともない。やはり、ミツコ……君が聖女だからだ」

「おお、これはやはり神の祝福……」


 ルーデルがミツコの手を取り、ぎゅっと握る。


「きゃ、きゃあ!?」

「ミツコ……?」


 ミツコが、ルーデルの手から飛び退くように逃げる。

 ルーデルが訝しむなか。


「おめでとうございます、ルーデル殿下。聖女ミツコ様」


 私はひらりと降り立った。


「! お、おまえは……」

「ま、魔女……! 魔女フレデリカ!」


 ワァっと民衆が恐れをなして逃げ出す。

 衛兵たちがさっと武器を構える。

 殿下は、驚いた顔で私を見た。


「い、いまさらなにをしにきた。というか、どこから……」

「あら。殿下が仰ったのでしょう? 私が恐るべき魔女だって。私の呪いで望まぬ婚約を強いられていたのだって」

「う……。そ、そうだ! その通りだ!」

「そう。殿下にとっては、わたくしは呪いだったのですね。ずっと、そのように思っていらしたのね。……ふふ、でもそう心配なさらないで。今日は、お二人の門出をお祝いしにきたのですわ」


 私はにこやかに微笑んで、ふたりを見た。


「先の雷鎚は、わたくしからあなた方への祝砲代わり。あなた方が真実の愛を貫く限り、あなた方を守り、子を、民を、この国を守ることでしょう」

「なに……どういうことだ……?」

「言った通りですわ。おふたりが、お互いだけを愛し、ほかには目もくれず、愛し合う限り……安泰。……けれど、もし、その愛が翳る時あれば」


 大好きだったひとだから。

 

「あなた方に、王家に、そしてこの国に大いなる禍が訪れるでしょう」


 ルーデル殿下。

 あなたの思惑に乗ってあげる。


 あなたの筋書き通り、悪役になってあげるから。

 精々その愛を貫いてみせると良いわ。


 できるものなら。


「さようなら。殿下。……それと、さようなら、お父さま」


 私を見捨てたアレンデール公爵。

 

 後悔するといいんだわ。


 みんな。みんな。


***


「本当によろしかったのですか、フレデリカ。あの程度で」

「良いのよ、ウォーロック。直接手を下すとか、美しくないじゃない」

「でも……」

「心配いらないわ。そう長くはもたないわよ。きっと……」


 程なくして。


 聖女ミツコの周りには、美しい男たちが常に侍るようになっていた。

 代わる代わるやってきては愛を囁き贈り物を持ってくる見目麗しい男たちに、ミツコの愛らしい子リスのような黒い瞳は蕩けていく。


 一方ルーデルは。


「ミツコ……! 今日は僕と婚姻の儀式の打ち合わせをする約束だったろう!? ミツコ、ドレスだってなんだって僕が買ってあげるから!」


 ミツコを追い回すも、すげなくあしらわれる日々。


 ルーデルにはわからない。

 ミツコがなぜ彼を避けるのか。

 

 私がミツコに与えたのは、私の知るルーデルの全て。

 

 数多の女に愛を囁き、ほんの数週間、ひどければ数日で見向きもしなくなるルーデルのどうしようもない浮気心。


 そしてミツコに与えたもうひとつ。


 どんな男も虜にする魅了の力。


 ミツコが好ましいと思った男はたちまちに彼女のものになる。という祝福。


 ルーデルがミツコに心から愛されなければ解けることのない祝福。


 そして、きっと。

 ルーデルが、ミツコに愛される日は訪れない。


 だって、彼って……。


「知らなかったわ、私。世界がこんなに広いことを。ずっとルーデルだけを見ていたから」

「フレデリカ、あなたが望むなら、この広い世界の全てをあなたに贈りましょう。プレゼント」

「……結構よ。気持ちだけで」


 ウォーロックの腕に抱かれ、王都を遠く離れて空の上。

 私は風を感じている。

 気持ちの良い、爽やかな風。


「ウォーロック。いいえ、デスバルド。しばらく私と旅をしましょう」

「良いですね、フレデリカ。新婚旅行ということですね。では……行き先は南の島に?」

「……新婚旅行、ではないけれど。えぇ、そうしましょう。南の島に!」


 さよなら私の生まれ故郷。

 さよなら私の最悪の初恋。


 でも、新しい人生は素敵になりそうだから、ありがとう。

 

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婚約破棄され悪役にされたので、そのシナリオに乗ってあげることにしました。 @wingsheep

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