出会って三秒で死ぬ

海沈生物

第1話

「死んでください、今すぐに」


 最初、それはほんの冗談だった。いや、状況から考えたらそうでもないのだろうか。私は電車の中で痴漢の被害に遭い、後ろにいた変な男の手を爪が刺さるほどにキツく握りしめた。その時に言ったのが、ちょうどそれだった。

 その言葉には別段、殺意を込めたわけではない。ただ、相手の事を純粋に「気持ち悪い」「理解できない」という思いを滲ませただけなのだ。それなのに、相手のサラリーマンは死んだ。無残にも八つ裂きになり、その上でスーパーで並ぶミンチのように刻まれてしまった。ただ、茶色の鞄と名札付きのビニール傘を残して。

 その日からというもの、私は「言語化できる感情を抱いた相手」を三秒以内に殺してしまうようになった。その相手には人ではない者も含まれており、例えばネズミであろうと、ダイヤモンドであろうと、あるいはミサイルであろうとも。


 その謎の力は無から生まれる暴力であり、全てを八つ裂きにしてしまう「私ではない私」という生き物でもあった。私自身が一切動かなかったとしても、私の影から出でしその存在は全てを切り尽くしてしまう。まるで「お前の感情を代弁してやったのだ」とでも言うように。

 無論、私だってそれなりに良心のある人間だ。どんな人間であったとしても死ねば悲しいし、最初の一人を除けば、何人かの市民も殺してしまっている。彼らは私が人を殺した姿を面白がったのか、スマホで撮影しようとしていた。それに対して、多少なりとも嫌な感情を向けてしまったのだろう。そうなってしまえば、言わずもがな、彼らに訪れるのは三秒以内の死だった。

 ちなみにこの三秒以内というのは、一人目をミンチにするのにかかった時間のことである。他の件もおおよそ三秒以内にことが終わってしまう。


 話を戻すが、私は何度か自殺や自害を図ってみた。九人目を殺したあたりで指名手配され、囲まれた警察官より幾つかの銃弾が飛んできた。もうその銃弾を受けて死んでしまおうか、とその時は避けずに立っていた。しかし、それらはいとも容易く打ち返してしまった。おそらく、「これから死ぬのだ」という恐怖の感情を感じてしまったのが悪かったのだと思う。警察官は無事死んでしまい、私のキルスコアは二桁に突入してしまった。

 結局、私はその場で投降した。そのまま刑務所に入ろうとしたのだが、無論、力が大人しくしてくれるわけはない。私に触れようとした者、私を撃とうとした者、全てが等しく死んだ。

 最終的にはオンライン越しに内閣総理大臣と対話するという事態になり、結論だけ言えば、自分の意思である山の中に閉じ込めてもらうことになった。その場所は人が一切立ち寄らない場所である。

 軍の指示に従って着いた場所なので位置を把握していないが、冬は寒くて夏は暑いので、日本の本州のどこかであるのは確実だろう。山の周囲には柵が張っており、そこからは決して出てはいけないし、そもそも近づかないようにと画面越しに言われた。それがここ数十年でまともな人間と対話した、最後の機会となった。

 いずれ来る老衰で死ぬことを期待しながら、ダラダラと山の生き物を狩って生きる日々。月に何度かは国からの補給物資として食料や水がパラシュートで落とされていたが、五年目ぐらいから食料が届かなくなってしまった。通信機器はもう充電がないので動かないし、餓死するというのは国から下された判決に背くことになる。結論として、自給自足生活を送ることになった。


 そんな日常が続いていたある日のことだ。私が「力」によって切り刻まれた鹿の肉を持ち帰っている途中、遠くから明らかに動物ではない声が聞こえてきた。まさか、人間が入り込んでしまったのだろうか。国の側が「厳重な態勢で絶対にこの中へ人を入れない」と言っていたのは嘘だったのか。外の世界で戦争やら紛争がはじまり、それどころではなくなってしまったのか。

 ひとまず、変にその存在に対して「感情」を抱いてしまう前に、どうにか離れようとする。しかし、足音はこちらへと近付いてくる。それも、とても速い。逃げても逃げても追ってくるのに、あぁもうとその場で目と耳を塞いだ。せめて、私がこうしている間に逃げてほしい。

 無我夢中で「近づかないでください、近づかないでください!」と念仏のように唱える。なるべく相手のことを考えずに、ただ虚空へと言葉を投げることを意識する。


 その足音の主は、私から離れなかった。むしろ震える私の肩を叩くと、強い力で無理矢理に振り向かせた。気の良さそうな青年だった。私はその顔を見て、あと三秒後にはこの鹿の肉のようになるのだと覚悟した。

 けれど、青年はビクともしなかった。傷一つなく無事でいる。それどころか、ハハッと人を小馬鹿にするような嘲笑をこぼした。


「散々ニュースでも危険性を報じられていた場所に、勝手に、無断に、立ち入る。そんな馬鹿な行為を、ただの好奇心からするように、俺は見えるかい?」


「見え……なんで死んでないんですか?」


「開口一番に”死んでいろ”とは、礼儀というものを欠いているね。やはり、十数年前に放棄されたなど、ロクでもない……」


 なんだか、イライラしてきた。ここ数十年は単純な「殺意」以外の感情を抱いた記憶がないが、動物ではない人間を相手にすると、これほどストレスが溜まるのか。出会った瞬間にミンチに出来ていれば良かった、と口には出せない冗談を心の中でこぼす。


「……まぁ、いいです。こんな鹿のミンチを持ちながら話すのもアレなので、うちに来ませんか。というか、来てください。このままだと、肉が腐るので」


「えらく強情だが、俺は寛大なのでな。その程度の無礼は許そう。しかし、それならお茶の一杯ぐらいは出してくれないか?」


 思わずアッパーしそうになった拳を必死に堪えると、青年の声を全部無視して、先へ先へと歩いていった。


 「お茶をする」と言われても、ここ数年は物資が送られてきていない。うちにはお茶請けもなければ、お茶パックもない。それでも、方法というのはある。青年の前に茶色の液体を出すと、ふむっと呟き、一口飲んだ。


「文明が停止した者が入れたお茶にしては、美味しいな。……まさか、数年前のインスタントのお茶パックを使い回しているのか?」


「いえ。お茶パックはエキスというエキスを吐き出してしまったので、庭に作ったお墓の下に埋めてあげました。これは、ただの茶色のエキスが出る葉っぱを煮詰めた液体です」


 ゲホゲホゲホとその場で吐き出してしまう青年に、この肥え舌がと悪態をつく。


「だれが肥え舌だ! というか、私のような肥え舌じゃなくても、文明人はそんな危険なものは普通飲まない!」


「そうなんですか? 私、幼い頃に”うちのお茶は、庭の低木の葉っぱから取ったものなんだよぉ”とおばあちゃんに教えられていたので。てっきり、それっぽいエキスが出るなら、なんでもいいのかなーと」


 青年は持っていたカップをカチンと机の上に置くと、ポケットから出した真っ白なレースのハンカチで口元を拭う。やっぱり、文明に生きる人間というのは、こだわりが強いものらしい。私がその姿をじっくり見つめていると、青年は眉をひそめてくる。


「なんだね、顔が近いが」


「……あぁ、すいません。今を生きる文明人を観察するのが面白くて」


 青年はさらに眉をひそめて頭を抱えたが、はぁという溜息と共に表情を変えた。


「そろそろ、お茶会をえて本題に入ろうか。まず、キミが一番に思っているであろう、”どうして俺が死んでいないのか?”という疑問について答えよう。……俺は対キミ用に作られた、改造人間なのだよ」


「えっと対キミ用って……それはつまり……私を殺しに来た、ってことですか?」


「そういう所は話が早くて助かるな。キミが契約した国……日本は五年前に滅んだ。その原因は改造されてしまった俺の記憶には存在しないが、ともかく、そうなった以上はキミという危険分子を、俺を改造した国は消滅させたいらしい。だが、近付けば国の軍隊諸共消滅させられる。だから、俺が送られたのだ」


 そうなのか。ついに、私を殺す能力を持った技術が生まれたのだ。最初に私を”兵器”呼ばわりしていたのも、それが原因なのか。納得した。


「それじゃあ、早く殺してください。できるのなら、なるべく苦しくないように」


「おや、いいのかい? そんなに簡単に命を投げ出しても」


「はい、まぁ……私が生かされているのだって、そもそも死刑執行ができない代替え手段なんですから。死んでいても生きていも、そこに大きな違いはありません」


 青年は私の真顔に対して少し考えるようなポーズを取ったが、あぁと納得の声を漏らしてくれた。


「キミは世界に復讐をしたい、と思ったことはないのか?」


「ないですね。というか、ここから”俺と一緒に人間たちへ復讐をしないか?”みたいな誘いでもするつもりだったんですか?」


「……あぁ、そうだね。それは俺のキャラじゃない。さっさと殺してしまおう」

 

 青年は無から刀を取り出すと、私の首筋に当てる。これで私の人生が終わるのだ。久しぶりに人間に会えて、対話をし、お茶を飲んだ。その末に介錯までしてもらえる。これはある意味、人生の醍醐味……「出会いと別れ」の良い所だけを、死ぬ前に堪能できたのではないか。そう考えるとなんだか興奮して、笑いがこぼれてきた。


「ありがとうございます、青年さん」


「青年? ……あぁ、そういえば俺の名前を教えてなかったな。首を斬る前に、死出の土産として名前だけ教えてやろう。俺の名は」


 その名前を聞いた瞬間、私の全神経がざわついた。それから三秒足らず、振り下ろされた刀が私の首と肉体を別れさせる。強烈な痛みに生というものを思い出し、今からまさにその生と別れるのだと感じる。あぁ、意識が落ちていく。


 そうして、私は自身の生に別れを告げた。



 

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