大阪女と原始の焼きとり

一矢射的

これは、焼き鶏が出てくる物語



 立往生。

 唐突だが、こうして文字に書き起こすとなかなかユニークな響きを持った単語だ。


 たちおうじょう。

 うむ、どことなくコミカルで話し上手なニュアンスがある。

 なんだか若手のお笑い芸人でそんな名前のコンビが実在しそうだ。


 だけど、実際にそうなってしまったら? 


 そりゃあ、笑ってる場合じゃない。

 コミカルさなんてどこにもない。人生にトラブルは付き物とはいえ、ここまで酷いのは出来ればゴメンこうむりたいな。


 恋人とのドライブ中に車がパンクした挙句、山奥で立往生するなんて。

 そう、僕と奈々子は今、車内ですっかり途方に暮れていた。

 


「アカンわ、携帯も圏外や。これやからド田舎は!」

「ロードサービスが呼べないとなると、自分で何とかするしかないか」

「タッちゃん、普段は電車とバスで車の運転せえへんやろ? 大丈夫なん?」

「頑張ってみます……」



 そう、問題はそこ。

 僕、小杉達也は都会では圧倒的多数を占める「車を持たない派」である。

 今日も兄貴から特別に車を借りて、おっかなびっくり運転していたくらいだ。

 言い訳させてもらえば、東京じゃ駐車料金も馬鹿にならないし、自家用車は維持費もやたら かさむものでして。

 

 そうやって車の勉強をサボっていたツケが、此処にきていよいよ回ってきたというわけだ。彼女の前で醜態をさらすなんて……そんなこと絶対に許されない。恨みがましい視線を辺りに向けても、付近に助けてもらえそうな民家はなし。

 そこは川沿いのS字カーブで、少し目線を上げれば、初夏を満喫する青葉が遠方の山肌を覆いつくしていた。


 一方で、渓流の水面は斜陽を反射して美しく輝いている。

 このような事態でなければ、釣り糸を垂らしてみるのも悪くなさそうである。



「ツイとらんなぁ。せっかく美味しいニワトリが手に入ったのに」



 助手席でパタパタと首を仰ぎながら奈々子が呟いた。

 エンジンは止まっているので車内の温度はジワジワと上昇しつつあった。

 わざわざ遠出をして訪ねた養鶏農家で、昔ながらのやり方で育てた健康な鶏肉を丸まる一匹分購入してきたばかりだ。ちなみに羽根はむしられ、モツや頭といった邪魔な箇所を除去した処置済みの状態になっている。帰ったら冷蔵庫のビールを飲みながら出来立ての鶏から揚げで舌鼓をうつ予定だったのに。

 まさか帰路でこのようなトラブルが待ち構えているなんて。


 奈々子が愚痴ったりせず、軽口で意気消沈した僕を励ましてくれるのだけが救いだ。いつもは小憎たらしい関西弁も、有事には暗闇に輝く灯火に思える。くさらず前向きな彼女に心から感謝せねばなるまい。

 もっともクーラーボックスの中身は、この暑さでは腐るのを待つばかりだが。



「鶏肉なんて車内に置いといたら痛んでしまうなぁ。いっそのこと川の水で冷やしてみようか」

「ははは、車内で待つよりは河原の方が涼しくて良いだろうね。」



 奈々子はクーラーボックスを担いで、河原へと降りていった。

 真っ白なワンピースとたなびくポニーテールが深緑に映えてまるで写真みたいだ。


 思わずウットリするニヤケ顔をぴしゃりと叩いて、僕は車に向き直った。

 今はそれどころじゃない。


 用心深い兄貴のことだから後ろにスペアタイヤぐらいは積んであるはずだが。


 スペアタイヤ、ある。

 パンタグラフジャッキ、どうやら使えそうだ。

 だが、工具は?


 なぜかシャベルは積んであるのに工具箱がない。

 トルクレンチがなければタイヤ交換なんて出来ないのは素人にだって判る。


 お手上げだ、これでは民家を探して歩くしかない。

 恐らく僕は泣きそうな顔をしていたのだろう。

 報告を聞いた奈々子は、子どもをあやすように優しい調子でこう言ったのだ。



「せやなぁ……それならいっそ、この場でニワトリを料理せえへん?」

「はぁ? こんな山奥で? 調理器具も何もないよ?」

「だってタッちゃん、昼間から何も食べてへんのやろ? サービスエリアでおにぎり食べただけやん。お腹が空いたら冷静な判断も出来なくなるさかい。まずは腹ごしらえや。河原で料理なんて、なんだかキャンプみたいで面白いやんけ」



 この肝のすわり具合、我が彼女ながらタダ者ではない。

 僕は失笑してうなずいた。



「では、お嬢さん。このニワトリをどう調理してやりましょうか?」

「ニワトリの『穴焼き』や。やり方は本で読んだことがある。どうにかなるやろ」



 ニワトリの穴焼きとは。

 どこかの島に住む、名も無き原住民が用いた野性味あふれる調理方法である。


 こう聞くと、皆さんは「いい加減な説明だ」と思うかもしれないが。別に彼女の記憶があやふやなのではなく、なんと参考にした本の著者がすっかり元ネタの名前を失念していたそうな。

 随分とアバウトだが。

 大丈夫だろうか、その料理本。


 ともかく、やり方としては地面に穴を掘ってそこに石を敷き詰める。

 その上に流木を並べ、火をつける。

 熾火おきび(炭化して赤くなった薪のこと)を用意して石を温めるためだ。

 要は石焼きイモと同じ要領らしい。

 

 充分に石が温まったら、葉っぱで包んだニワトリを置く。

 その上にまた焼け石と熾火を重ね、さらにその上で流木の焚火をする。


 上下から同時に熱を伝えることで蒸し焼きにする寸法だ。

 原始時代の焼き鳥といったところか。


 車にはシャベルが、ダッシュボードを調べるとライターもあった。

 河原には石や乾いた流木なんて捨てるほどあるし、近くの雑木林を探るとニワトリを包むのに丁度良いほおの葉や、種火となりそうな枯れ葉も見つかった。

 文明を離れた山奥でも、どうにかなるものである。

 


「せやで~、諦めなければ必ずや道は開けるんや。ウチ等ふたりならきっと生き残れる!」

「そこまで危機的な状況? すいません、僕の考えが甘かったです」

「おう……笑う余裕が戻ってきたやんけ。やっぱりキミは笑っとった方がええよ」

「うん、ありがとう。奈々子」


 夕暮れの河原で僕たちは穴焼きの炎を見つめながらくつろいでいた。

 水も食糧もあるのだから慌てることはない。

 日も沈み、暗くなってしまったからには朝を待つしかないのだ。


 今はこの突発的なキャンプを二人で楽しむべきなのだ。

 僕らは河原の岩に腰かけて鶏が焼き上がるのを待った。


 だいたい一時間ほど待っただろうか。

 シャベルで焼石を掘り返し、僕は恐々とほおの葉をめくってみた。


 そこには綺麗に蒸しあがった丸まる一匹の鶏肉があるではないか。

 タレどころか醤油さえない、塩も胡椒も何もない。

 それでも火の通った鶏肉が辺りに漂わせた香ばしさときたら、僕らの腹の虫を鳴らせるには充分すぎる破壊力だった。


 グゥウウ。



「やだぁ、タッちゃんたら」

「奈々子だろ、今のは」



 ナイフもないものだから、葉っぱを熱遮断しゃだんの手袋として使い、手羽先を千切って僕らは念願の焼き鳥をその手に掴んだ。

 直火で焼いた鶏は皮がパリッとして焦げ目がついているものだが、蒸し焼きにした鶏肉は皮まで柔らかくジューシーだった。

 噛みついた途端、口内にあふれる肉汁ときたら!

 じっくり丹念に熱を通したせいか、肉の脂が全体に染み渡り、芯まで熱々だ。

 僕たちは無我夢中で鶏肉にむしゃぶりつき、みっともないことに骨までしゃぶりつくしたことをここに告白する。

 野性味あふれる料理には、ワイルドな食いっぷりこそがお似合いなのだ。


 ただ、顔を見合わせた僕たちは致命的な味の欠如を感じずにはいられなかった。

 やはり文明社会に生きる者として、この味は少しばかり物足りない。

 せめて、せめてここに、アレが有りさえすれば ――。


 そこへ突如として光が差した。

 掌で両目を庇う僕たちに向けられたのは闇を切り裂く懐中電灯だった。

 そこには麦わら帽子を被った老人が、偏屈そうな面持ちで立っているではないか。



「こら! 許可なくバーベキューなんかすんな! ゴミを片付けないんだから」

「お、おじさんは? どうしてこんな山奥に?」

「ああん? すぐ川下にオラの家があるだよ。火が燃えているのを見たから、一言注意してやろうと思って来たんだよ。都会のモンは後片付けもせんでバーベキューしやがって」

「いや、それは誤解です」



 僕たちが慌てて事情を説明すると、老人の顔から敵意が消え驚きへと変わった。



「なんと車が動かなくなったって? そりゃ大変だな。何か要る物はあるかね? オラでよければ何でも力になるぞ」



 僕と奈々子は顔を見合わせると、深々と頭を下げてお願いした。



「お願いします。どうか、醤油をわけて下さい」




 老人からわけてもらった醤油で、野生の焼き鳥は完全なる美味を得た。

 やはり醤油のうま味は日本人に欠かせないものなのだ。

 老人も始めこそ呆れた顔をしていたものの、鶏肉を味わうとまんざらでもなさそうに微笑むのだった。ウマい肉は老若男女や都会田舎を問わず、誰にでも通じる共通言語であった。



 打ち解けた老人から工具を借り、スペアタイヤに交換し終わった頃にはすっかり夜もふけていた。丁寧にお礼を言って老人と別れ、僕たちは三時間ぶりにドライブへと洒落込んだ。



「なーんか、思わぬハプニングやったな」

「せっかくの鶏肉が無駄にならなくて良かったよ。でもゴメンな、工具箱があるか出発前にチェックしておけばこんな事にはならなかったのに」

「ミスなんて誰にでもあるもんやろ、それにトラブルもまた旅の一環やん。ウチは楽しかったで。穴焼きも試せたし、タッちゃんと一緒やったもん」

「そうだね、僕も奈々子と一緒だからイライラせずに済んだ。やっぱり旅というものは誰と行くかが最も肝心なんだな」

「なんやねん。旅行じゃなくても、ウチと一緒ならどこでも天国と言ってくれや」

「はいはい」



 こうして僕たちの思いがけない夏キャンプは終わりを告げた。

 トラブルの時にこそ人の本質は見えるもの。

 食いしん坊な僕たちは共に焼き鳥へかぶりつき、ある種の恐れを克服したのだ。

 素顔をさらけ出すことへの恐れは、もう二人の間に存在しない。

 臆病な二人は鶏肉と一緒に胃の奥へ消え失せたのだ。


 そう、チキンだけに。






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