攻められては、攻められて

@chauchau

塩撒け、店長!


「ここに一本の焼き鳥がある」


 ねぎまだ。

 少し焦げたタレの香りが湯気と絡まり、おなかをすかせた人を魅了していたのは過去の話。冷え切ってしまっては悲しく串に突き刺さるモモの肉。されども、人を狂わす魔性が消えたわけでもなく。


「本当に焼き鳥だろうか」


「はよ、食え」


 氷が溶けた水を飲む。

 レモンの香りだけがする水は、美味しいとは言いがたく、寂しい口を誤魔化すには充分だった。


 それは、聖なる剣のように。

 引き抜き、天に捧げる姿こそ、悪を滅ぼさんと誓う騎士である。俺と彼女の間に置かれた伝票に記された酒の注文数さえ見えなければ。


「情緒だよ、分かるかな。そう、これは情緒なんだ」


「余り物の焼き鳥に、余り物の焼き鳥以上の情報はねえよ」


「これを焼き鳥と思うのか。女心と読み解くかは君の自由なんだ」


「焼き鳥で頼むわ」


 咥える。

 肉一つ。

 串から彼女の身体へと。


 酒で薄くなった口紅が、揺れ動いて咀嚼する。

 肉一つ。

 重みを失った焼き鳥は、輪切りにされて潰れたネギがお披露目される。


「愛しい男との逢瀬を一寸でも長くあれと思うが、それほど罪であろうことか」


「店にとっちゃ罪だわな」


「大丈夫。今日のバイトは私の友だ」


「見知ったからこそさっきから飛んでくる殺気に気付いてくれ」


「ラストオーダーはまだなんだ。酒の一杯でも頼んであげればよい」


「これ以上は酔うから無理」


「酔ってしまえ、酔ってしまえ」


 引き抜いた。

 器用に咥える唇が。

 ねぎ一つ。

 また、串が軽くなる。


「明日は一限から講義なんだよ」


「知っているとも。悔しいとも憎らしいとも。ああ、君は真面目だから授業をサボりやしないんだ。愛しい私を置いて君は大学へと消えていく」


「サボればサボったで文句を言うくせによ」


「当然だとも。私との恋愛、そして学業と。この程度を両立できない男に私を託せやしないんだ。二十年も大切に育てられた娘でございますことよ」


 お付き合いしております。

 報告した彼女の両親は、泣いて俺に感謝した。あの光景は、俺の幻想だったのか。


「全てを踏まえて訴えるんだ。ああ、そうだとも。私は君に惚れている。一秒だって離れていたくはないと可愛い彼女からのお誘いさ」


 バイトの殺気が突き刺さる。

 俺のせいじゃない。お前が先日彼氏に振られたのは俺のせいじゃない。だから、俺に殺気を飛ばしてくるな。呪詛まで唱えだしている。手にしているのは五寸釘。


「耳を澄ませてごらん。聞こえてくるとも、祝福の鐘の音だ。私たちを祝う荘厳なる鐘の音だ」


「俺には五寸釘を打ち付ける呪いの音にしか聞こえない」


「祝いとは転じて呪いとなる。同じだとも、言ってしまえば気の持ちようである」


「それで済ませるほど、俺は精神が図太くない」


 手を取った。

 大口開けて一口で。


 冷え切った焼き鳥を頬張った。


「行くぞ」


「君の部屋」


「分かってる」


 掴んだ手を離さない。

 おつりをもらおうと差し出した手のひらに。


 硬貨が鈍く低い音をたたき出す。

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