焼き鳥

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

焼き鳥なんかクソ喰らえだ

 女のくぐもった声が聞こえる。けれど、何を言ってるのかまではわからず、それよりも男のはあはあという息遣いのほうが大きい。

 雑居ビルと雑居ビルの間の、本当に人がひとり通れるかといった隙間。

 そこで女がゴミ袋の上に押し倒され、男がのしかかっている。

 ほんの数米先にはネオンと喧騒があるのに、ここだけぽっかりと空いたブラックホールのようだ。

(助けなきゃ助けなきゃ)

 その状況にたった一人気づいている詰襟の少年は、半分は闇の中に足を突っ込みながらも、それ以上先に進めない。

 女性の呻きは、抗っているのか、それとも無理矢理腹の中を掻き回されて出た吐息なのかすら、もうわからない。

(助けなきゃ……)

 少年はそう思いながらゆっくりと一歩を踏み出し、そうして崩れ落ちた。

 その音はそれなりに大きく響いたはずだったが、通りを歩く若者の嬌声や車のクラクションに紛れ、光のほうには届かない。

 闇の中にいる、必死に腰を振る男にも、ゴミ袋に埋もれて揺すられる女にも届かない。

 倒れた少年の手の中から、プラスティックのプレートがまろびでる。安っぽい、漫画めいた鳥の図案の描かれた板が。


 少年は息絶えていた。


       *


「焼き鳥? そんなの聞いてねーよっ!」

 急遽、代打ちで入った五十嵐伸治は、半荘終了時に急に焼き鳥のことを持ち出され憤慨した。


 旧部室棟の端、演劇部の部室。

 まだ新しい部室棟はほとんど体育会系の部が占拠し、いつ朽ち果ててもおかしくない旧部室棟に文化部はおいやられていた。

 その狭く家鳴りがする部屋に、詰襟の学生が四人、麻雀マットを囲み、ひとりは立って観戦していた。


 それでなくとも字一色一向聴まできてたのに、親でもない奴に食いタンのみで上がられてカッカきてたというのに。

 伸治の怒りは収まらずにいたが、ふと気づいて、

「え、てことはおまえさんも焼き鳥だったわけ?」

 安アガリした演劇部部長にいうと、えへへ、という笑いがかえってきた。

 なるほど、と伸治は思った。

 背後に立つ、先ほどまでここに坐っていたSF研の会長を睨む。

「ようするに、おまえが説明不足だったし、そんな状態で俺にぶん投げたんだな?」

「いやあ、だって」

 SF研会長の富樫は、揉み手をしながらいった。

「いいから変われ、俺にも打たせろって問答無用だったのはおまえじゃん……」

 ふう、と大きく息を吐いて、伸治はこくんとうなずいた。

「そうだな、たかだかマイナス30ぐらい、ちょうどいいハンデだわ。ほら、次行くぞ次。……かっぱいでやる」


 麻雀における「焼き鳥」とは、半荘と呼ばれる一回のゲーム終了時に、たったの一度もアガれなかった遊技者に科されるペナルティのことである。


 半荘などというとちょっとしたお試しゲームのように聞こえるが、四人の遊技者全員に親が回る×2セットの、なかなか長丁場だ。もっと手短に遊ぶなら、半荘(東場、南場)のさらに半分、一巡だけで終了する東風戦などがある。一昔前、ネット麻雀といえばで有名だった東風荘の名の由来でもある。


 逆にいえば、それだけの回数があって一度もアガれないというのは、喰われるだけの弱者ということで「焼き鳥」なのだ。



「おまえも下手クソのくせに、すぐ誘いに乗るんじゃねーよ!」

 駅に向かうまでの帰り道、伸治は富樫の脇を小突いた。

 結局、あのあと半荘を三回やって、伸治は演劇部の部長と部員をハコらせた。それでもトップになれなかったのは、ひとり、あまり見かけない奴がやたらと強かったせいだった。

「しかし、あんなのいたか? 見た感じひょろりとしてるし、運動部って感じでもなかったけどよ」

「あー、あれ転校生」と富樫。「彼の歓迎会ってことで麻雀始めたのよ」

「歓迎会で麻雀はいいとしても、焼き鳥ってのはどうなんだ? 普段焼き鳥なんてやってなかっただろうに」

「それは……彼が『焼き鳥ありにしましょう』って言ったから」

「そういえば、その転校生から何かもらってなかったか?」

「ん? ああ、……これだよ」

 富樫がポケットから取り出したのは、焼き鳥ルールの時に使う、焼き鳥札だった。消しゴム大の、プラスティック製の安っぽい札。

「なんだよ、持ってんなら使えって話だよな」

 場に出てれば、わざわざ説明されずとも焼き鳥アリだと気づいたのに。

「いる?」

 上目遣いで富樫が言って、そんなのいらねーよ、と伸治は返した。


 その日の晩、富樫は死んだ。

 繁華街のビルとビルの間の狭い路地で。



 葬儀は家族葬で行われた。


 卒業式の日、送辞を読む中に例の転校生の姿があった。

(山津三鷹というのか。変な名前だ)

 転校してきてまだ数ヶ月と経っていないのに、という違和感が次いでやってきた。

 しかし、それをいえばもうすぐ三年生になるという時期の転校がそもそもおかしいような気もした。

 編入試験をパスできるほどの優秀な頭の持ち主なら、転校など苦にもしないだけなのか。麻雀の強さも、ほんの少し対戦しただけだがひしひしと感じた。多分、頭の出来が自分とは違う。

 送辞を終えた山津と目があった気がした。



 部室の戸が開いて、そちらに目をやると入ってきたのは転校生、山津だった。

 古ぼけたソファに寝っ転がっていた伸治は、一瞥して目を逸らした。

「演劇部はどうだか知らんが、ウチは新入部員とか求めてねーよ」

「入部するつもりはないですけど」笑いを含んだ声で山津は言うと、断りもせずにパイプ椅子を引っ張り出し座り込んだ。

「なんの用だよ」

 つっけんどんに言う伸治に、

「君にこれを渡しにきました」と山津。

「これ……?」

 身を起こして、伸治が目にしたのは、山津の手の中にあるプラスティックの板——


 焼き鳥札。


 思わず叫びそうになってから、伸治はぐっと堪えた。

「なんだよ、それ」

「見てのとおり焼き鳥マークですよ」

 にこやかに言う山津に、たまらず伸治はつかみかかった。

「おまえがそんなものを渡すから、富樫は死んじまったんだろ‼︎」

 これまで一度も本気では考えたことのない、ただの八つ当たりに——

 山津は笑顔を崩さずに、

「ええ、そのとおり」

 と応えた。



 山津の言ったことは本当らしかった。富樫が死ぬ前に、すでに二人死んでいる。高校は違うが、市内でふたりの変死者が出ていた。

 突然死、心不全というの名の原因不明。

「彼等は焼き鳥でした。さあ、君は?」

 仏の笑みのようなうっすらとした笑みで差し出された焼き鳥札を、伸治は受け取った。


「僕は、きっと君が受け取るだろうと思ってました」


「あの子から渡してくれるものと」


「まさか受け取らないとは」


「あの子は犠牲になったんです、君の」



 山津の言葉が頭をぐるぐると巡る。


 自分は神の使いだと。うら若き命を散らせたいわけではない。むしろ選別することによって正しき使徒を育て、地上に恒久の平和をもたらしたいのだ——


「君は選ばれたんだよ、五十嵐くん」


 焼き鳥札を持った者は、日に一度、必ず正義を成せねばならない。どんな小さなことでも良い。なせば日課はクリア。

 ただし、気付いてしまった不正を見過ごせば、その時点で罰符——

 寿命が縮む。

 大きな不正を見逃すほど科料は大きい。

「説明しなくても、君の体はそのことを知ってるし、それを事実だと認めているね」

 伸治は冷や汗を垂らしながらうなずく。

「ああ、わかってる。だが、確認したい。これは本当に焼き鳥なのか?」

「もちろん」

「ローカルルールが多いぞ、どの焼き鳥だ」

「どの焼き鳥でも……君が思い浮かべただけ」

「わかった」



 伸治は交番を襲った。銃を奪った。不正を見過ごせば罰符とはいわれたが、犯罪を犯せばどうとは言われていない。

 銃を持ってヤクザの事務所を襲った。ひとり殺した。手に入れた機関銃でチャイニーズマフィアの占拠するビルを襲った。何人か殺したし、中には女もいた。奪った車を人質にとった女に運転させ、追ってくるパトカーにダイナマイトを投げた。

 爆発、炎上した。

 何台か車を乗り捨てながら飛行場についた。俺は飛行機をハイジャックするつもりなのだろうか、と自問する。頼む、早くしてくれ——

 管制塔にたどり着く前に、頭に衝撃が走り、そのあと破裂音が聞こえた。

 伸治は死んだ。


       *


 五十嵐伸治は、演劇部の建て付けの悪いドアを開けた。

 麻雀マットを囲む四人の高校生。一番手前の男子が振り向いて、泣き言をあげる。

「頼むよー、伸治ィ! 変わってくれよ」

 富樫の言葉を無視して、手の中のプラ板を奥にいる見慣れぬ顔に投げつける。

「焼き鳥なんてクソくらえだっ!」

 みんながどよめく中、富樫の腕を掴んで立たせると伸治はともに部室を出た。



 ひとりだけ焼き鳥になることはあっても卓を囲む四人全員が焼き鳥ということはありえない。そう、通常ありえないのだ。

 だが、ありえないとわかってるからこそ無茶なことを設定したがるのが年頃の男子というものである。


 もし全員が焼き鳥になったら、全てはご破産、金輪際麻雀はしない。


 それは五十嵐伸治だけのローカルルールだった。

 不正を見逃さないためには自ら不正を働き、正義を成さないために犯罪を犯す。これを一日が終わるまでにこなさなければならなかったのだ。ずいぶん無茶をしたと思う。


 最初は、自分が焼き鳥を回避することによっての「焼き戻し」を考えた。最後の一人が焼き鳥を解消することで全員の焼き鳥が復活する、というルールである。

 しかし最後の一人ではあるけれど、そもそも誰も焼き鳥を解消できていないのだ。

 となれば根底からぶち壊すしかない。


 あれが悪魔ではなく神の使いだというのなら、約束は違えないだろう。そうでなかったとしたら——

 自分が死ぬのはともかく、残された家族が世間から石を投げられ地獄を見たかもしれない。そこまで考えが至るほど冷静でなくてよかった……。



 卒業式の日、在校生送辞を聞きながら、かつて一度あったこと——あるいは夢で見た景色を伸治は思い出す。


 いまでもどこかで正義は行なわれ、正義に人は殺されている。



 

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