いつかのレストラン

秋色

いつかのレストラン

 夕食をとれる場所を探して車を走らせていた。新入社員と一緒に。夕闇はあっという間にその色を濃くして、頭上に広がるのは真っ暗でやけに広い空だけ。

 郊外の街になじみの店はなく、有名なチェーン店もあるが、イマイチ決め手には欠ける。

 営業先でやらかしてしまった後輩社員をそのまま帰宅させるのは何となく気が引け、それに夜の八時にもなっていたので夕食に誘った。

 自分は大した上司ではない。俗に言う窓際に席を占める社員だ。ただ何となく十年近く仕事をしてきて、失敗をうまく逃れるすべだけを覚えてきたような。

 そうして車を走らせていると今日に限って既視感が頭のどこかをよぎる。この道は以前、絶対来た事がある、と思った。右手の家電量販店、その隣のレンタルビデオ店、そのまた隣のチェーン店の釣具屋、と。郊外の店舗の並びなんて皆似たようなものなのだろうか。

 その時、駐車場が広くて入りやすそうな、広めの和食レストランを見つけた。なだらかな傾斜の緑色の屋根が家庭的な感じを印象付けているし、暗闇の中で煌々こうこうとオレンジ色の照明が辺りを照らしていてほっとする。

「お、ここがいい」


――待てよ。前にもこんなセリフで車を入れたな――




 和風レストランの明るい店内に入ると、予感がした通り、レジカウンターの位置等にも見憶えがあった。窓際の二人向かい合わせの席に座る。


「さ、何を食べようか。メニュー、見てみようぜ」


 後輩の若い男は、背の高さに似合わない小さな声で頷く。覇気のない男だ。何を考えているのか、分からない。かと思えば失敗に敏感で、分かりやすく落ち込む。面倒なやつ。


「何でもいいです」


 普段からその言動が掴みどころないので、不思議君と陰で呼ばれている後輩だ。その後輩の方に向けて、ラミネートされた写真付きの薄いメニュー表を広げる。大きな写真入りのメニューは、店が頼んでほしいって料理かなと邪推。

――ん。これは昔、誰かが言ったセリフだ。「大きな写真が付いているのは、店がなるべく頼んでほしいって料理だ」と――


 気になるけど心の声をスルーする。


「カツ丼とか牛丼あたりがいいかな。今日は花冷えするから」


 丼もののページを開けると、目に飛び込んできたメニューがあった。焼き鳥丼。他であまりこのメニューを見た事はない。でも以前、この料理を前にした記憶だけが残っている。


「これにしようかな」


 別にそれを食べたかったわけじゃない。鶏肉は好きじゃないし、特に焼き鳥は昔から苦手だ。酒飲み連中からは変わったやつとよく言われる。もやもやした記憶のかけらが薄気味悪かったから、怖いもの見たさか。


「僕も同じものにします」


 テーブルに備え付けのブザーを鳴らして、焼き鳥丼を二つ頼んだ。



 頼んだ料理がテーブルの上に運ばれてきた。既視感は最高潮に達した。

 蓋を開けると湯気に包まれる。食欲をそそる匂い。


「食べよう」

 後輩に声をかけ、軽く手を合わせると、一口、口にする。旨みが口中に広がる。どうしてこれまで焼き鳥が好きでなかったのだろうか?

 後輩の方を見れば、まだ蓋も取っていない。

そんなに今日の失敗に落ち込んでいるのか。


「いつまでくよくよしているんだ?」



――そうだ。過去にとらわれていたって仕方ない。


起こった事は変えようがないんだから。

いや、本当だろうか? そんなふうに割り切れないから悩むのに、何を偉そうにオレは言ってるんだ。

そうだ、少なくともあの頃はそんなふうに割り切れなかった。あの頃ってどの頃?

――



そもそも「いつまでくよくよしているんだ?」と言った瞬間、同じ会話が同じこの店でされた気がしたのは既視感なのか。


 ふと前を見ると、後輩の細く白い指が丼の蓋を柔らかな仕草で開けようとしていた。その蓋が開けられて、それでも後輩は箸を取ろうとせず、じっとその中を見ていた。

 オレは後輩の前に置かれた器の中を見た。そして驚愕した。




 その中にあるのは、オレのどんぶりの中にあるのと同じ焼き鳥なんかじゃなくて、何羽かのフワフワした小鳥だった。薄い山吹色のヒヨコ、お祭りで売られているようなピンクのヒヨコもいる。いや、あれは雀の子なのか。いたいけなビーズのような眼をテーブルの席の主の彼に向けている。

そして当の後輩は、その壊れやすい柔らかい生き物を黙ってじっと見つめている。時折、

その細い震える指でヒヨコにそっと触れながら。


 人間は信じられないものを目にした時、意外と驚いて叫んだり、倒れ込んだりしないものだ。そこは、テレビのドッキリを仕掛けるバラエティー番組でのタレントの反応とは違う。という事をオレはその時、身を持って体験した。


 ――だから食べられないんだ。食べられるわけないよな。あんなに可愛いくていたいけな生き物を。食べられるわけ……――


「食べられるわけありません!」


 ふとその言葉が頭の中をよぎった時、目の前の後輩が言ったのかと思った。でもあの声は違う。あの声は、聞き覚えのある耳障りな声。そう、オレの声だ。十二年前、新入社員だった頃の。


 そう、この店はちょうど仕事で大失態をやらかしたオレを連れた上司が選んだ店。でもあの上司は励ましたり慰めたりはしなかった。ただ腹が減ってただけだ。そして翌日の仕事に備えて何らかのエネルギーを補充しなきゃいけないって義務感があっただけ。でも今のオレだって決して褒められたものじゃない。同じだ。後輩の事を本気で考えてたわけじゃない。同じように義務で明日からの仕事のために備えてただけ。



 オレは、あの時、目の前にある上司のオゴリの焼き鳥丼を食べられないと言って、その場で立ち上がり、店を出ていったのだった。

 オレの故郷の家の近くには鶏を飼っている農家があり、その網の中の鳥の運命は知っていたものの、時折通り過ぎる時には鳥達を相手に話しかけたりして、鳥には親しみを持っていた。だからと言って、鳥料理を食べなかったわけじゃないけど。ただ、あの日、炭焼きされて器の中に入れられた鳥の残骸を上司が飢えを満たすように口の中に入れ、咀嚼している様子を見て、気持ち悪くなったんだった。それからだ。焼き鳥を食べられなくなったのは。

 そうして上司の前を立ち去ったオレは、その翌日、会社に退職願を出したんだった。仕事で失敗したのが原因ではなかった。もしそうならそれを取り戻すべく、努力しただろうけど。たぶん救いようのないほど遅く発症した中二病だったのだろう。それから転職し、処世術を身に付け、今に至っている。


 もう一度見ると、向かいの席の前にあるのは、自分の前にあるのと同じ、普通の焼き鳥丼だ。でもオレには分かっていた。さっき見たのは、後輩の心にあるモノなんだって。

 そして、昔やったようにその場で立ち上がると、「食えねーんなら出て行こう」と言い、お店の人には用事を思い出したと言って、弱冠のヒンシュクをかいながら、会計を済ませた。店の外の新鮮な空気を吸った時、ほとんど何の説明もなかったのにあいつはスッキリとした、何もかも知ってますという顔をしていた。ゆとり世代なんだかその後の世代なんだかは、結構理解力あるのかもしれないな。

 何故か不思議な満足感だけがある。だいぶヤバい人になってきている。後輩は「コーヒー、飲みましょう」と言って自動販売機で買ってきた二本の温かい缶コーヒーのうち一本を差し出した。そしてそれを飲んでいる間、ずっと満足感は消え去らなかった。


 それから先も、オレの生活に変化はない。かつてそうしたように退職したりしてないし。相変わらず何の変化もない仕事を続けている。不思議君の後輩は相変わらずだが、あれ以来、妙な仲間意識をオレに感じているような、いや、自分よりもっとポンコツな上司に同情しているのか、とにかく関係は良好だ。

 変わったのは、ちょっと前まで鳥料理も、鳥

の事自体も考えるのが嫌だったのが変化したくらい。自分の心の中にフワフワした柔らかな羽毛のヒヨコがいつもいる気がする。そしてこのヒヨコは昔、養鶏場にいた鳥とは違って空を飛べて、いつか、目の前の窓から青い空に飛び立っていく気がする。



〈Fin〉


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いつかのレストラン 秋色 @autumn-hue

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