Happiness Another Disteny~約束~

古河楓@餅スライム

Happiness Another Desteny   ~約束~

 ――春になった。まだまだ寒かった潮風は徐々に心地いいものに変わり、漁船もちらほらと増えてきた。カレイとかカイナゴなんかを狙っているとしたら、近いうちに駅前の大衆食堂・”夜空”のメニューに載るだろう。



「セ、先生……どうでしょう」

「ええ、症状もよくなってきていますね。春樹くんもあんまり肺のところ苦しくないでしょ?」

「うん! くるしくないよせんせー!」

「そうですね、今後は経過観察にしましょう。万が一の時のために痛み止めを処方しておきますが、かなり強いので本当にダメだ、というときに服用してくださいね」


 それから2,3回会話を繰り返すと、笑顔で親子が診察室から出ていく。これで今日は僕の勤めは終わったことになった。後ろのスペースで右往左往していた看護師さんには申し訳ないが、今日はこの後大事な用事があるんだ。この病院に勤務し始めてから2年目で半休を取るのは少し図太いが、こればっかりは譲れない。


「あ、五十嵐先生、お疲れ様です」

「ええ。あとはお願いします」


 担当の看護師と軽く挨拶を済ませると、普段使っているスーツに着替えてから病院の関係者専用の駐車場から車を出して、自分の家に帰る。少し仕事が忙しくてまともにモデルルームとかを見に行けていないのが、左手の薬指で太陽光を受けてきらりと光る指輪に申し訳ない。


 そんなこんなで、家があるマンションの地下駐車場に車を止めると、すぐに階段を上って4階の部屋に行き、鍵を開ける。


「あー、帰ってきた! まったく、遅い、遅すぎるよ! 帰ってこないから心配したじゃん!」

「ごめん……最後の患者さんの診察が少し遅れちゃって……」

「まあそれなら仕方がないかぁ。はい、それは今日クリーニングに出すからこっち出して。手洗って箸は自分でよろしく」


 ショートカットから長めのセミショートまで伸びた髪を揺らしながらこちらに来た女性は、僕から背広を奪うとハンガーにかけて奥に消えて行ってしまう。少し狭い通路を通ってリビングに行き、言われた通り手洗いうがいをしてそのついでに近くにある冷蔵庫からビールを取り出そうとして……背後からの視線のせいで断念して大人しく箸だけを持って食卓につく。どうせこの後呑むんだからいいだろうに。


「運転免許持ってるのキ……あなただけなんだからさぁ。気を付けてよ?」

「はい……」

「よろしい」


 背広を近くのハンガーラックにかけてきた彼女は今度は炊飯器からご飯をよそい、さらにおすましを持ってきてくれた。どうやら昼ご飯は先に自分で食べていたようだ。個人的にはアレだからもうちょっと大人しくしててもいいと思うが、あちらも大変なんだろう。医者という仕事柄、何気に家に帰れない事態になることが多い。特にこの四葉町の病院だとなおさら。だからこうやって家事をやってくれる彼女にはもう頭が上がらなくなってしまった。


 とりあえず待ち合わせ時間もあるので、早く食べようと思いご飯へ視線を向けると、そこには少し小型のニンジンが四つ葉のクローバー型で乗っていた。



「ん……? これって」

「お、気づいたかなぁ~?」

「でもどうして……」

「ほら、いつだかどの形にニンジンを切るかで聞いたってあったじゃん? その時の答え結局は”お任せ”だったからさ。そういうことだよ~」

「なるほど」


 今からだともう8年も9年も前の話なのによく覚えているなと思いつつも、だいこんや牡蠣が入った炊き込みご飯を食べていく。時計を見るとすでに2時を少し過ぎているくらい。これは本格的に急がないと遅れる可能性が出てきてしまう。


「それにしてもよくみんなの予定が合わさったよね~。私なんかは主婦だけどみんなは働いてるもんねぇ」

「だからこそ、でしょ?」

「そゆこと」


 炊飯器に入っていた残りの炊き込みご飯をほかの皿に移した彼女は、さらに炊飯器を洗い終えると「着替えてくる」と言いおいて、自室に行ってしまった。なので、僕はその間に食べ終えた食器類を洗って歯を磨いておく。そうすれば不思議とタイミングよくどっちも準備が終わる。


「昨日のうちにワゴン手配してもらってよかったね?」

「おかげで今日出勤するときに警備員に目を丸くされたけどね」

「あはは、それはそうだよ。だってあれ社用車だもん」


 少し苦笑いする彼女に相槌を打ちながら、階段を下ってまた先ほどいた地下駐車場まで行き、僕たちだけで使うには大きすぎるワゴンに乗ってエンジンをかける。あとは10分ほど車を走らせれば目的地に着くだろう。


 来た道を戻り、今度は病院の前を素通りして内陸部に進み、ついこの前開店した寿司屋を過ぎれば桜が綺麗な山の麓に着く。そこからちょっと上に行った高台のところでみんなと待ち合わせをしている。


「お~い、遅いじゃねーか!」

「バカね、私たちが早く来すぎたのよ!」

「二人ともお疲れ~!」

「…………」

「お疲れ様ですわ~」


 駐車場からでも見える位置で先に来ていた5人がこちらに手を振りながら声をかけてくる。それに応じてか、桜の花びらもゆらゆらと風にあおられながら地面に落ちてくる。ゆっくり散歩しながら花見をするのには、このくらいがいいのかもしれない。


「さあ、行こっか!」

「うん。そうしよう」




 ――豊かな土地は、花の香りを奏であげ

              幸あれと恵みをもたらす遥かな風は翔ける――




         僕たちはまだ、ここで生きている。


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