平和について思うこと

ロシアがウクライナに侵攻してから何日かして、ニュースを見ていた時のことだ。番組の中で、今話題の曲としてSMAPのtriangleが取り上げられていた。私は心底、この国の平和病は、もはや病の域を超えて文化なのだなとうんざりした。その番組が夕方の民放番組で、グルメリポートのあとだったら何も感じなかったかもしれない。しかし朝の、しかもNHKだったもんだから、これから1日をどう過ごしたらいいものか悩むほどの疲労感に襲われてしまった。

SMAPやアイドルが悪いわけではない。若かりし頃、年代問わず女子という女子は自分の好みをSMAPのメンバーに当てはめて、それぞれのタイプについての分析やときめきポイントを語り合っては盛り上がったものだ。ただ、ロシアのウクライナ侵攻は決して対岸の火事でもファンタジーでもない。インタビューを受けた人はみんなにこの曲を聞いて平和について考えて欲しいと熱弁していたが、いったい誰に聞いてほしいというのだろう?ロシア軍でこれからウクライナに侵攻しようとしている人?ウクライナで攻撃に耐えている人?ゼレンスキー大統領か、はたまたプーチン?いずれにしてもナンセンスである。これをきっかけに平和について考えようと言われれば言われるほど、平和な国や地域でしか考えることなんてできないんだなという現実を突きつけられる。それよりも大事なことは、もっと自分達の国の歴史を正しく理解することではないのだろうか。

小学生から高校まで、公立で育った私の中にある日本史は黒船到来とともに終わり、日露戦争から第二次世界大戦の始まりまではほぼスキップされている。いきなり原爆が落とされてはだしのゲンや火垂るの墓になり、その後は自身の生活がそのまま西暦とリンクして記憶されてきたまでだ。どうして何かあるたびに日本は韓国に謝罪を求められるのか、北方領土は日本なのになぜロシア人しか住んでいないのか、その他諸々についても教科書には答えなどなく、載っていたのは起きた事実と年号だけで、ページにしてもざっと10ページにも満たないものだった。170年以上も昔の事に関しては、史実に基づかない伝承にまで渡って書いてあるのに、だ。

アメリカにある、第二次世界大戦博物館に行ったことがある。有名な硫黄島の旗の写真の前で、初老の案内人らしき人に「君は日本人かい?この写真に写っている人も、戦死したんだよ」と話しかけられた。日本の原爆記念館にもたくさんの惨劇が残されているのに、この人は私に硫黄島で亡くなったアメリカ兵に想いを馳せて反省しろとでも言いたいのだろうか。しかし、彼自身も亡くなっていてもおかしくない時代を生き抜いてきたのだろうと思うと、何も言葉が出てこなかった。

その時、アメリカはイラクに大量破壊兵器保持の疑いをかけ、国連の反対を押し切り軍事介入をしている最中だった。一方からみればただの侵略であっても、一方は必ずその手段でなければならなかった理由があるのだろう。だがどこまでいっても戦争は殺し合いだ。硫黄島で戦死したアメリカ軍人も日本兵も、どちらも戦争がなければ生きていたかもしれない。真珠湾攻撃にしても、開戦の連絡ミスやら事前に入手した情報をアメリカが意図的に流さなかっただのがあったとしても、結果として日本が奇襲攻撃をし、第二次世界大戦に発展していったのは事実だ。だからこそ、どうしたら止められたのか、戦うにしても他の方法は本当になかったのか考えなければならないはずなのに、それについて議論するはずの教育の場が圧倒的に足らないように思う。しいてはゼレンスキー大統領がアメリカの議会で演説した際、真珠湾攻撃を用いたことに批判の声すらあった。なんと浅慮なのだろう。

国の立場や歴史、経済などを知り違う視点を養うことは決して容易いことではないし、だからこその専門家なのであろうが、過去の失敗から学び、正しい愛国心を勇気を持って育てるべき時は、もうとっくにきていると思う。純白無垢で、平和を維持できるのはおとぎ話の中だけなのだ。

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43才 おばさん日記 @tobidougu

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