43才 おばさん日記
@tobidougu
大人って…
今年で43才になる。
赤ん坊として生まれてから43年も経ったらしい。あっという間だ。
DNAメチル化を用いた研究結果に基づくと人間の寿命は38才、もう5年も前に役割を終えていてもおかしくない。しかし、いや、それなのに、全くもっていまだ大人であるという自覚と自信が持てずにいるのは何故だろう。子供の頃は、年を経れば自然と知識や常識が身につき、恥ずかしくない大人になれるものだと当たり前のように思っていた。実際、冠婚葬祭は日常のなかにあるし幼い頃は自分とは関係のないものだと思っていた市役所や銀行は身近なものだ。だのに葬式のたびにインターネットを開いては、やれ、タイツはダメだのパールのネックレスは適当なのか悩んだり、選挙用紙に記入する漢字が上手く書けなくて、ひらがなで書いた事を気づかれないようにいつもより堂々と見えるように気にしながら投票したりする。なんとも小さなことばかりが気になってちっとも思っていた大人なんかにはなれていないのだ。
社会にいる、どれだけの大人がいわゆる「大人」なんだろう?
2022年4月から成年が18才に引き下げられる。飲酒、喫煙、競馬競輪などは今まで通り20才になってからではあるが、クレジットカードの契約や賃貸物件の契約など、親の同意を得ずとも自身で行うことができるようになる。しかし、実際「大人」とはそういうことではない。
大人とは、自身以外の誰かを受けとめられる、ということではないのだろうか。それはもちろん、経済的な意味であり、精神的な意味で。
私の母は、比較的全てにおいて自身の感情が最優先だった。不安であれば怒り、心配であれば怒り、楽しければご機嫌ではあったがそれでも何か一つ、いらぬ小言を言うような人だった。それはまた私の性格にも由来していたのかもしれない。姉と比べて活発だった私は、母の管理できる範囲をゆうに超えて行動するようなところがあった。その度に彼女は私を厳しく律しようとした。今だったら虐待とも取られかねないが、当時は比較的どの家庭も長い棒状の物があれば、それでお尻を叩かれたものだ。しかし割に知恵が働く性格が災いし、怒られるのは嫌だったが、自身の行動を改めるようなことには繋がらなかった。何故か。それは母が諭すのではなく、ただ怒っていたからだ。
怒られるのは誰だって嫌だ。しかし、ひたすら耐えていればその時間は過ぎていく。タチが悪いのが、ただその時間を耐えればいいと考えてしまうために同じことを何度も繰り返すのだ。だって、悪いことはしていない。
そう悪いことではないからだ。
万引きも人殺しもしていない、ただ帰る時間が約束より30分遅れただけ、学校に用意するよう言われたものを忘れただけ、何も悪くなんかないからだ。
親になって思う、「親の心、子知らず」そのものである。
私の息子は私に似ず、慎重であり行動範囲も広くないが、私に似て、口が達者で頑固で負けず嫌いだ。言い合いになると(そう、当然のように親に言い返してくる。流石だ。)なんとか負けないように、知恵を振り絞って反撃してくるが、小学生の知識と大人になりきれていないとはいえ43年もこの世で生きている人間とでは武があるはずもなく、悔し涙を流しながら撃沈していく。今夜もそうだった。私は大人気ないと自覚しつつも、無自覚に鍛錬を重ねた、人を傷つける以外にはなんの役にも立たない言い回しで、手加減したつもりではあったが、また、彼を言い負かしてしまった。彼の成長の毒以外になり得ないと知っているにもかかわらず、だ。
親になっても、家のローンを払っても、ちっとも大人にはなれない。また今夜も反省をしつつ、息子の寝顔を見つめている。
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