【KAC20226】不倫探偵

いとうみこと

後悔先に立たず

 ん? ああ、俺の財布だ。ポケットから落ちちまったんだな。ありがと、兄ちゃん。お礼に一杯奢らせてくれ。


 遠慮するなって。ここの酒は旨いぞ。なんだ、常連か。俺はお客さんに聞いてさ、今日が初めてだ。酒は旨いしぎゃあぎゃあ騒ぐ連中もいねえし、こんないい店がこの商店街にあるなんて知らなかったよ。


 何が驚いたってつまみが旨いんだよ。この焼き鳥なんてプロの俺が感心する出来栄えだもんなあ。


 あ、俺は水無月達央みなづきたつお、小さな焼き鳥屋をやってるんだ。今日は嫁が同窓会とかでいないから店を休みにしてこうして久しぶりにひとりで飲みに出てるってわけさ。


 実はな、兄ちゃん、ここだけの話だが、俺の本職は不倫専門の探偵なんだよ。まあボランティアみたいなもんだけど。


 探偵には見えないって? まあそうだろうな。普段の俺ときたら、すっかり薄くなった頭にねじり鉢巻、タレが染み込んだ仕事着に包んだ体はメタボ寸前、眉毛は繋がってるし、顔の下半分は無精髭で埋もれてて、誰がどう見たってくたびれた焼き鳥屋のオヤジそのものだからな。


 しかしな、それが狙いなんだよ。こんな風体だからみんな油断するんだ。そして、ついうっかりペラペラ喋っちまうのさ。ここの店主みたいに若くてシュッとしてたら誰だって身構えるだろうが。


 どうやって調査するのかって? 兄ちゃん興味津々だな。よし、特別に教えてやろう。


 まず、浮気の疑いがある男と知り合いになって俺の店にうまいこと誘い込むんだ。安くしとくよって言って多目に酒を飲ませたら、大抵の奴が口が軽くなるんだよ。男ってのは馬鹿だから、不倫してることを誰かに自慢したくて仕方ないんだ。


 よくわかるねえって、そりゃ俺だって経験者だからさ。恥ずかしい話、最初の嫁が切迫早産で長いこと入院することになってな、その間何くれとなく世話してくれた女についうっかり手を出しちまったのさ。


 俺も黙ってりゃ良かったのに、何だか急にモテた気分になっちまって、つい後輩に口を滑らせちまったんだよ。男ってほんとやることなすこと間が抜けてるよなあ。


 ああ、そりゃもう修羅場だったよ。嫁とは子どもが生まれる前に離婚して、ただの一度も会わせてはもらえなかった。そりゃそうだよな、その不倫相手ってのが嫁の相方だったんだから。


 もちろん後悔したさ。当時は肩身が狭くてな、子どものことはもちろん、仕事は無くすし居場所もないし、結局不倫相手となんとなく一緒になって、その実家の焼き鳥屋で修行させてもらって今に至るってとこかな。


 罰が当たったのか子どもには恵まれなかったが、今の暮らしにはそれなりに満足してるよ。え? それが何で不倫探偵かって?


 簡単なことだよ。俺みたいなことになる前に目を覚ましてほしいからさ。男の態度でな、こいつは根っから腐った奴だとわかったら嫁さんの味方をするんだ。そういう奴は何度だって同じことを繰り返すから徹底的にお灸を据えないとダメなんだよ。


 でも、もし俺みたいに浮かれて魔が差してるとわかったら、それがどんなに馬鹿げたことか言って聞かせるのさ。まあ、みんながみんな納得するわけでもないけどな。ひとりでも不幸な人間を減らすためさ。特に子どもに罪はねえからな。


 兄ちゃんは彼女いるのか? 彼女じゃなくて彼氏でもいいけどな、本命以外になびいたら、そのせいで目の前の大切なものを無くすかもしれないってちゃんと覚えとくんだぜ。じゃないと一生後悔するからさ。


 うわ、びっくりした! なんだ、同窓会もう終わったのか? よくここがわかったな。


 さっき話した俺の嫁さ。こいつはこいつでいい女なんだ。見りゃわかるだろ?


 うるせえな、不倫探偵の話なんかしてねえって。それより同窓会どうだった? 変な男に声掛けられなかったか?


 おい、なんだよその顔は。店主がいい男だからって見とれてんじゃねえよ。もう帰るぞ。いいからほら、先に出てろ。ごっつぉさん、旨かったよ、また来るわ。兄ちゃんもまたな。

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