とある店員の焼き鳥に関する思い出

透峰 零

送別会その後

 ―― 一体どっちが正しいのだろう。


 奥で繰り広げられている熾烈な争いに、奥村芽衣めいはこっそりと固唾を呑んだ。

 彼女の視線の先では、畳敷きの小上がりで二人の男が真剣な声と表情で顔を突き合わせている。

「いくらお前の言うことでも、それは聞き捨てならんね」

 ぼんじりに七味を振りかけながら言ったのは、向かって右側に座るすらりとした長身の男だった。年は二十代後半だろう。ジーンズに無地のTシャツというシンプルな出で立ちであるのに、それが「お洒落」に見えるほど整った見目をしている。

「それはこっちのセリフです、鬼城さん」

 真顔で返したのは、鬼城と呼ばれた優男の対面に座る青年だった。こちらもまた、滅多に見ないほどの高身長である。

 厚みのない鬼城と違ってしっかりと筋肉がついていることは、二の腕や胸周りからも容易に想像ができた。短く刈り込まれた色の薄い髪と相まって、一見するとヤのつく自由業に見えなくもないが、小さめの瞳が可愛らしいと言えなくもない。

 ――もっとも、現在は真面目な顔をしているので怖い面相になっているが。

 彼はズイ、と鬼城の前に手に持った串を差し出した。


 まだ湯気の立ち昇る、ネギマ串である。


「タレが子供っぽいというのは、どういうことですか?」

 鬼城は、さも呆れたように「はっ」と薄い唇を歪めて笑った。

「そのままの意味だよ。焼き鳥といったら塩一択だろ」

 そのまま、両者はしばらく睨み合う。


 時刻は午後十時半。他にも客はいるが、繁華街からは距離のある立地のため店内は落ち着いている。少なくとも、入って半年のバイトが聞き耳を立てれるくらいには静かだし、暇であることには間違いない。

 主な客層は、ちょっと一杯引っかけたい残業帰りのサラリーマンや、一次会では物足らなかったグループ。

 彼らは後者のようで、会話から察するにどうも鬼城の送別会の二次会らしい。


 鬼城が熱々のぼんじりを頬張る。当然ながら、彼が食べているのは塩だ。

 流れるように生ビールを呷る動作までがいちいち様になっている。彼はふぅ、と満足気な息を吐き


「素材の味を活かすなら塩だろ」


 と先制ジャブを仕掛けた。その主張に、芽衣は内心で唸る。

 持っている素材の力もあり、凄まじい説得力だ。

 彼が食しているぼんじりは鶏の尾骨周りの肉であり、そのため非常に筋肉が発達している。当然筋肉も発達しており、たっぷりとした脂のジューシーさと、ぷりぷりとした食感、そしてパリッとした薄皮は数多の人間を虜にしてきた。

 前述したように脂の多い部位なので当然タレと絡めても美味いのだが、素材の持つ食感を最大限に味わうなら、やはり塩だろう。

 ネギマを咀嚼していた青年は落ち着いた様子で嚥下し、持っていた串を専用の器に入れる。


「癖の強い素材や部位はどうします?」


 放たれたカウンターに、鬼城が目を細める。タレ派の青年(名前はわからなかった)が手に持つのは、鶏肝。

 これまた、うまい選択だ。

 鶏肝は独特の臭みがあり、塩で食べるには下処理が上手な店を選ぶ必要があるだろう。それにすぐパサつくので、弱火でさっと火を通す技も必要となってくる。

 その点でいえば芽衣がバイトするこの店は、全てをクリアしているので塩で食べても十分に美味い。

 だがしかしこの鶏肝、実は店長の隠れたこだわりがあり、少しだけタレが他の串とは違っている。

 すでに店長が「タレ派!!」と主張している一品なのだった。

(美味しいんだよなぁ、この店のタレ鶏肝……)

 てらてらと光る赤茶色の表面。鼻孔をくすぐる甘辛い焦げたタレの匂い。こっくりとした鶏肝本体に絡まる甘じょっぱいタレ。

 こだわり産地直送の肝は生でも食べれるのでは? と錯覚するほどに新鮮であり、ふっくらねっとりとした食感は抜群の中毒性を誇る――。

 口と鼻に広がった思い出の味を芽衣はうっとりと反芻した。仕事が終わったら食べよう。


 それはともかく。


 二人の主張は決着がつきそうにない。

 まぁ、話題が始まったきっかけの人物がこの場にいないのだから当然といえば当然だ。

 そもそものはじまりは、彼らと共に来た先輩が早々に電話で席を外したことに起因する。

「適当に先食っといて」

 と言われた二人が、無難に塩とタレの盛り合わせを頼み――そういえばあの人、どっち派だと思う? という話題を鬼城が振ったのだ。

 傍から見たら実にくだらない言い争いだが、本人達は割と真剣である。

「俺の方が付き合いは長いから」「いや組んでる期間だけなら僕の方が長いですけどね」とか、これまた当事者以外にはどうでも良いアピールをしている。

 そうこうしていると、店の扉が開いた。

「いらっしゃいま、あ……」

 振り向いた芽衣は、思わず言葉を途中で止める。入って来たのが、まさにその先輩だ。

 常ならば店の方針で戻ってきた客には「おかえりなさい」と声をかけるのだが、別事に気を取られていたからだろう。記憶の中の顔と合致させるのが遅れ、うっかり間違えてしまった。

 それとも、印象の問題だろうか。

 彼は先の二人と比べれば、体格も顔立ちもひどく平凡だった。

 中肉中背。整っていると言われれば、そうかもしれぬと納得するくらいの顔立ち。

 目立つといえば、残暑が残る時期だというのに黒の長袖パーカーを羽織っていること。連れの二人よりは年下に見える容貌だというのに、やけに態度が落ち着いていること、くらいだろうか。


 ちなみに、後輩二人はまだタレ塩論争をしている。


「ただいま」

「あ、先輩おかえりなさい」

「何の電話だったんすか?」

 揃っていそいそと立ち上がろうとする二人を、先輩が手振りで制した。

「主任から。明日、京都行ってほしいってさ――ところで、随分盛り上がってたけどお前らこだわりあったのか?」

 一番近い席に腰を下ろした彼に言われて、後輩二人が目を瞬かせた。

「いえ、俺らというより」

「先輩どっち派なのかなって」

 テーブルを片付ける手を止め、芽衣も彼の答えに神経を研ぎ澄ませる。

 固唾を呑む三人の前で出された答えは


「『どっちも』に決まってるだろ」


 という、実に平凡極まりない答えだった。



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とある店員の焼き鳥に関する思い出 透峰 零 @rei_T

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