Monsters-in-law ~episode.1『未亡人』~

二木瀬瑠

episode.1 ~未亡人~



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 私がこの新興住宅地に転入したのは三十代半ばのこと。結婚を機に、マイホームを建てるにあたり選んだのがこの土地でした。


 元は雑木林に沼地が点在する荒地だった場所に都市計画が持ち上がり、大規模な造成工事によって整理された区画には、次々と新築住宅が建てられ、ものの数年で元の姿も思い出せないほど、規律正しく整備された美しい街並みへと生まれ変わりました。


 そして、今尚その領域を増殖し続けている、それが私の住む町です。




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 私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。


 我が家は、夫婦二人+猫二匹の世帯ですが、ここに転入される人々は、世代、世帯ともに幅広く、新婚世帯、子育て世帯、子育てを終え再び夫婦二人になった世帯、単身世帯、二世帯同居、定年後の終の棲家としての高齢世帯など様々。


 二世帯(以上)が同居していらっしゃるご家庭もわりと多く、相手が『息子夫婦』なのか『娘夫婦』なのかによって、関係性が違ってくるのも事実。


 我が家の斜向かいにお住まいの葛岡さんも、そうしたお宅の一軒です。 こちらの『おばあちゃん』というのが、ご近所ではちょっとした煩型(うるさがた)で有名な方でした。





 ようやく我が家のマイホームが完成し、新居へのお引っ越し当日のこと。


 トラックが到着する前に、荷物の搬入でご迷惑をお掛けする向こう三軒両隣だけ先に、お詫びも兼ねてご挨拶に伺うことにしました。


 葛岡さん宅のチャイムを鳴らすと同時に、真っ先に出てみえたのがおばあちゃんでした。自己紹介をして、末永く宜しくお願い致します、とご挨拶用の粗品をお渡しした瞬間、



「引っ越しだからって、道路にトラックを停められると、通行の邪魔になるのよね~。なるべく道路にはみ出さないようにして頂戴よ~」



 先に訪問したお宅での会話を聞いていたのか、開口一番その言葉に、正直、私も夫も度肝を抜かれ、



「かしこまりました!」


「重々注意致します!」



 こちらとしても、引っ越し当日から衝突するつもりなど微塵もありませんので、一歩も二歩も謙りながら深々と頭を下げる私たち。


 にも拘らず、すでにご迷惑を掛けたかのように、駐車違反がどうの、マナーがどうの、最近の若い人はどうのと、一向に終わる気配がありません。


 間もなくトラックも到着するというのに、まだご挨拶に伺えていないお宅もあり、どうやってこの場を切り上げようか困り果てておりますと、



「何やってるの!? また、おばあちゃんは! もういいから、中に入ってて頂戴!」



 そう言いながら、慌てて出て来られたのが奥さんでした。


 きつい口調で叱りつけられたおばあちゃん、私たちに厳しく注意していた態度はどこへやら、さっき手渡したハンドタオルを隠すように抱え、身を竦めながらそそくさとお家の中に戻って行きました。


 一連の展開に少々混乱しながらも、もう一度改めて自己紹介して粗品をお渡しし、



「搬入中ご迷惑をお掛けしないように、十分気を付けます。少しでも支障があれば、すぐにおっしゃってくださいね」


「そんなことはお互い様ですから、おばあちゃんの言ったことなんて、全然気にしないでくださいね」


「ああ、いえ、とんでもないです」


「もうね、あの性格にはホント困ってて。これから長いお付き合いになるのに、どうかお気を悪くしないでください」



 と、ご丁寧に謝罪してくださったのです。


 葛岡家は、先ほどのおばあちゃんと奥さん、中学一年生の長男、柊くんの3人家族。奥さんはフルタイムでお仕事をされていて、昼間は自宅におばあちゃんお一人でいらっしゃいます。


 奥さんは私の4歳上で、ガーデニングが趣味、大の猫好きでご自宅で3匹飼っているなど多くの共通点があり、親しくなるのに時間は掛かりませんでした。


 これが、我が家と葛岡家との出逢いです。





 もう一つ、奥さんに付いて。


 初対面でのインパクトが強烈だっただけに、あのおばあちゃんに対する強い叱り口調から、てっきり実の『母娘』だと思っていましたが、実は『嫁姑』だったことを、本人不在の井戸端会議で知ることとなった私。



「葛岡さんのおばあちゃんはね、奥さんの亡くなったご主人のお母さんなのよ」


「そうなんですか? 私、実母さんだとばかり」


「確かに。お姑さんに、あれだけ言えるお嫁さんも珍しいものね」


「けどさ~、普通、息子が亡くなったら、お嫁さんと同居は続けないよね」


「他に身寄りがないならあれだけど、次男さんが市内にいらっしゃるんでしょ?」


「どうして、次男さんの所に行かなかったんですか?」


「あの性格だもん、次男もお嫁さんも拒否するわよ」


「それに亡くなり方がねえ…」



 ご主人が亡くなったことはお聞きしていましたが、あまり詮索するのもと思い、詳細は知りませんでした。


 ですが、皆さんからお聞きした内容は私の想像を大幅に超え、かなりショッキングなもので、同時に、そうしたお話をご本人以外のルートで聞いてしまったことに、少なからず後ろめたさを感じました。


 夜帰宅した夫に、昼間聞いたことを一通り伝えたものの、夫もまた、内容の重さに戸惑っている様子。


 ただ、私も夫も、葛岡さんに対してとても好感を持っていましたから、それを聞いたからといって何かが変わるわけでもなく、これからも今までと同じようにお付き合いして行きたい、ということで一致したのです。





 その週末、朝からせっせと庭にお花を植えていたところへ、葛岡さんが猫のおもちゃとおやつを差し入れに来てくださいました。作業の手を止め、休憩がてらに設置したてのベンチに腰掛け、猫やお花の話で盛り上がる私たち。


 最低限の作業だけを造園業者さんに依頼し、自分の手でお庭を作りたいという、ド素人の無謀かつ浅はかなガーデニングプラン。


 とりあえず、大量に買い込んだお花の苗を全体に植えてはみたものの、ビフォー・アフターは、間違い探しレベルの変化。



「うちも最初はそうだった! やってもやってもちっとも代わり映えしなくて、だんだん腹が立ってくるのよね」


「正直、嫌気がさしてきてる」


「一つアドバイスするとしたら、一気に全体をやろうせずに、この一角とか、鉢の寄せ植えとか、ピンポイントで攻めると良いわよ。確実に目に見える形があると達成感が湧くし、次への励みにもなるから」


「なるほど! 勉強になります~!」


「じゃ、やり直そうか?」


「嘘っ! ここまで2時間以上掛かったのに? 葛岡さんって、S?」


「ううん、超ドS!」



 そう言って、大笑いする私たち。


 先日聞いた話は、夢だったのじゃないかと思えるほど、目の前で笑顔を振りまく彼女からは明るい印象しか伝わって来ません。


 すると突然、真剣な表情をして、植えたばかりのお花を見詰めたまま、葛岡さんは穏やかな声で話し始めたのです。



「皆から聞いてるでしょ、うちの旦那の話」


「え? …っと、あの…」



 一瞬、心の中を見透かされたのかと思い、焦りのあまり次の言葉が出て来ない私に、彼女は笑みを浮かべながら続けました。



「…っていうか、先に皆から情報を入れてもらうように、私が頼んだから」


「そうだったの!?」


「うん。急にカミングアウトされても、内容が重すぎて入って来ないかなと思って。聞いてくれる?」


「勿論」



 そうして、あらためてご本人の口から詳細を伺うことになったのです。




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 葛岡さんがこの町へ転入されたのは、我が家より5年も前。造成工事が始まって間もなく、重機で均された地面に作られた道路には、まだアスファルトすら敷かれていませんでした。


 当時はまだ区画整理組合も立ち上がっておらず、経緯は分かりませんが、造成地の中に飛び地のように先行して売り出された区画が数件あり、それを購入されたのが葛岡さんで、最古参のお一方でした。





 お舅さんは、ご主人が子供の頃に亡くなられており、おばあちゃんとの同居が結婚の絶対条件でしたので、お嫁さんがお仕事を続けることを交換条件に、完全同居での新婚生活が始まった葛岡家。


 すぐに長男の柊くんが生まれ、彼が小学校に入学した年にマイホームを建て、おばあちゃんと長男夫婦とその息子の4人での新たな生活がスタートしたのです。




 悲劇が起こったのは、その二年後でした。




 その日、休日にも関わらず、会社の用事があると言い、自分の車で出掛けたご主人。奥さんと柊くんは、朝からガーデニングをしていたそうです。


 午後、警察から電話があり、ご主人が高速道路で事故を起こし、心肺停止状態とのこと。すぐさま柊くんを連れ、搬送された病院へ駆け付けましたが、到着した時にはすでに手遅れでした。


 でも、それだけでは終わらなかったのです。


 車にはもう一人同乗者がいました。意識不明の重体で一緒に搬送されたのは、面識のない若い女性で、会社に連絡すると社用で出掛けた事実はなく、会社関係者でもないようで、直接本人に尋ねることも叶いません。


 彼女が誰なのか、どういった関係なのかが気になるものの、パニック状態の中、すぐにご主人を自宅に運ぶ手続きをしなければならず。


 帰宅してすぐに、葬儀の手配、菩提寺への連絡、親戚や友人・知人・勤務先等へのお知らせ、死亡診断書、火葬許可証等の書類的な手続き等々、お通夜から告別式が終わるまでの記憶がありません。


 その後も様々な手続きに忙殺され、ようやく一段落したのは、葬儀から3週間が過ぎた頃でした。


 ふと、あの女性を思い出した葛原さん。聞いていた『長谷川ふみえ』という名前を頼りに病院に問い合わせると、すでにご家族によって転院された後で、警察に問い合わせても個人情報は教えて貰えず。



「やましいことがないなら、ご家族から連絡があっても良いと思うのね。少なくとも、うちの車で怪我をしたわけだし、損害賠償的な?」


「手掛かりはないの?」


「分かってるのは名前だけで、会社から友人から、手当たり次第に訊ねた。もし不倫とかで私に気を使ってるのなら、そういうのは不要だって言ったんだけど、本当に誰も知らないみたいで」


「そうなんだ。辛いね」


「うん。でも、もっとキツかったのは、陰で色々言われたことだった。うちの旦那が不倫してたとか、出会い系にハマってたとか、死んだのは罰が当たったからだとか、奥さんは惨めだとかね」


「酷い! 何それ!」


「私は良いけど、柊がね。突然父親を亡くしただけでもショックなのに、そういうことを耳にしたら、どんなに傷つくかって思うと…」



 その話を聞き、ふと私が子供の頃にご近所に住んでいたある家族を思い出しました。




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 そのお宅は、ご近所でも美味しいと評判の定食屋さんで、ご両親と独身の長女、長男のお嫁さん、他には数人の従業員さんがいる典型的な家族経営の繁盛店でした。


 長男は長距離トラックのドライバー。店舗兼住宅の実家で同居していましたが、お店のことにはノータッチで、大人しく物静かなお嫁さんは、義家族の中で常にアウェイの状態でした。


 舅姑、小姑ともにキツイ物言いに加え、思ったことをズケズケ言う性格で、自分たちには裏表がないと言いながらも、お嫁さんへの言動には悪意以外の何も感じないほどで、まさにサンドバッグ状態です。


 お店の側を通る度におばあちゃんの怒鳴り声が聞こえ、当時小学生の私でも『おばさん、大丈夫かな?』と、心配になるほどでした。





 長男夫婦の長女の朱実ちゃんと、私の妹のゆりはクラスメートで、長男の茂くんは、弟の桃太郎の一学年下。しばしば我が家へ遊びに来ることもあって、ふたりのことはよく知っていました。


 ただ、朱実ちゃんには『女版ジャイアン』的な傾向があるようで、気分次第でお友達を怒鳴りつけたり、時には口より先に手が出ることも多々見受けられました。


 体格も同級生より一回り大きく、おばあちゃん譲りの大声で、一緒にいるお友達を下僕のように従えて、彼女のご機嫌次第では泣かされることも。ゆりもその内の一人で、どんくさいこともあって、高い頻度で苛められていたようです。





 ある日、学校から帰ってお稽古に出掛けようとしていると、不意に玄関から飛び込んできた朱実ちゃんのママが、引き摺るように連れて来た朱実ちゃんを地面に押し付け、自身も地べたにへばりつくように土下座をしたのです。



「本当に申し訳ございません! うちの朱実が、ゆりちゃんのテストを破いて棄ててしまったそうで!」



 応対に出た祖母が、とにかく土下座なんてやめて、頭を上げるように言っても聞かず、そのままの姿勢で、ぶすっとしている朱実ちゃんの身体や腕を何度も平手で叩きながら、謝るように叱り続けていました。


 どうやら、普段は出来の悪いゆりが、たまたまテストで100点(奇跡です)を取ったことに腹を立てた朱実ちゃんが、



「ゆりのくせに100点なんて生意気だ!」



 と言って突き飛ばし、ゆりの答案用紙を破ったということで、まさに『リアル女ジャイアン』といったところ。


 朱実ちゃんママにしたら、自分の娘がお客様(実家もよく利用していました)の子供に暴行したのですから、お店としても親としても、謝罪をするのは正しいと思いますが、ただ、ここまでする必要があるのか、ということ。


 もしかすると、彼女には朱実ちゃんが、おばあちゃんと重なって見えたのかも知れません。誰よりも、そうされた側の気持ちが分かる彼女にとって、娘が受け継いだDNAが、この先も誰かを傷つけることがないように、親としての教育だったのでしょう。


 私の母も、自分の感情に任せて辛く当たるタイプでしたので、朱実ちゃんママのことは他人とは思えず、共感する部分が多々ありました。


 謝罪を終えたふたりが帰宅した後、お稽古に行く道すがらお店の前を通り掛かると、おばあちゃんの怒鳴り声が外まで響いていました。勿論、叱っている相手は朱実ちゃんママ。『あんたの教育が悪いから、こんなことになるんだ』と。


 そんなことがあって、ことさら朱実ちゃん一族が苦手になった私。おばあちゃんの声を聞くのが嫌で、あえてお店の前を迂回して通るくらい、避けるようになりました。


 あの出来事が起こるまでは。




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 それは私が小学六年生、朱実ちゃんが三年生の時のことでした。


 学校から帰り、塾へ行く準備をしていた私に、その日は珍しく仕事から戻っていた母が、今日は塾を休むように言ったのです。



「どうして?」


「お通夜に行くから」


「誰の?」


「朱実ちゃんのお父さんが、亡くなったんだって。服を着替えて、おばあちゃんたちと一緒に、桃太郎も連れてお寺に行ってね」


「お母さんは?」


「朱実ちゃんのクラスは全員で集まることになって、お母さんとゆりは別に行くから」


「朱実ちゃんのお父さんは、どうして? 病気? 事故?」


「子供が余計なことは知らなくていいの!」



 いつものように、突然感情的な口調になった母に、私もいつも通りそれ以上は聞かず、指示された通り、自分と弟の着替えを済ませると、祖父母たちと一緒にお寺に向かいました。


 いつもはひっそりと静まり返っている夜のお寺は、たくさんの御霊燈で照らされ、そこに集まった大勢の人たちを見て、まだ二年生の桃太郎が、不思議そうな顔で言いました。



「お祭りのときみたいに、人がたくさんいるね」


「そうだね。でも、お祭りじゃなくて、これはとても悲しいお式だから、おうちに帰るまで静かにしてようね」


「わかった」


「迷子にならないように、お姉ちゃんと手を繋いでいよう」


「うん」



 私は弟の手を繋ぎ、祖父母と一緒に同じ町内の人たちと合流し、読経が流れる中、お焼香の列に並びました。


 おそらく生まれて初めての体験であろう桃太郎も、日常とは違う雰囲気に、私の手を握ったまま厳かに列に並び、祖母から簡単にお焼香のレクチャーを受け、見様見真似でお焼香をしています。


 見ると、親族席には定食屋のご家族が並び、皆泣いている様子でした。中でも、朱実ちゃんが顔をぐちゃぐちゃにして、声を出して泣く姿が、参列者の涙を誘います。


 祭壇に掲げられた写真の男性の顔は、朱実ちゃんとよく似ていて、おばあちゃんにも似ているその人が、朱実ちゃんのお父さん。


 普段はトラックで遠くへ行っていて、休日はずっと自宅で寝ていると朱実ちゃんが話しているのを聞いたことがあり、私はその遺影が朱実ちゃんパパとの初対面でした。





 広いお寺の境内には、お仕事関係や学校関係など、たくさんの人で溢れ、祖父母はご近所の皆さんにご挨拶をして行くから、先に戻るようにと言われ、母と妹を探してみましたが、それらしい団体はあったものの、二人の姿を見つけることは出来ず。


 仕方なく、弟を連れて自宅に戻ろうと参道を歩き始めてすぐ、茂みの奥で話している数人の主婦たちの会話が聞こえて来たのです。



「…一緒に女の人が乗ってて、ご主人だけが亡くなったんですってよ」


「愛人だったんでしょ、その人?」


「そのこと、お嫁さん知ってたの?」


「もし知ってても、あのお姑さんの手前、何も言えないでしょうに」


「散々お嫁さん蔑ろにして、自分は好き放題やってた罰が当たったのかもね」



 六年生の私には、彼女たちの話している内容は概ね理解出来ましたが、二年生の桃太郎にはまだ何のことだか分からず、耳で拾った単語をかいつまんで私に訊いてきました。



「ねえ、ガイジンの女の人って誰? 何の罰が当たったの? 茂くんのおじさん、罰が当たったから死んじゃったの?」



 状況も、大人の事情も、空気すらも読めない幼い子供の言葉にバツが悪くなったのか、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように、その場から立ち去りました。


 不安そうな顔をして、私からの回答を待っている桃太郎。低学年の子供にとって、死はまだ漠然とし過ぎてよく分からないだけに、得体の知れない恐怖を抱き、しかも、お通夜のお寺という場所では、余計にセンシティブにもなるというもの。


 スキャンダルもスピリチュアルも、何が真実かはこっちが聞きたいくらいでしたが、あえてとぼけた顔で、



「そんな非科学的なこと、あるわけないじゃない」


「でも、おばさんの声の人たち、そう言ってたよねぇ?」


「きっと、おじさんとは全然関係ないお話をしてたんじゃないかな?」


「そういうふうに聞こえたんだけどな?」


「桃太郎の勘違いだと思うよ」


「そうかな~?」


「そうだよ」



 幼い弟には適当に誤魔化したものの、私自身、さっきの主婦たちの会話が気になっていました。


 とはいえ、大人の人に訊くわけにも行かず、翌日モヤモヤしながら登校すると、学校中がその話題で持ちきりになっていたのです。とりわけ高学年の女子児童の間では、ワイドショーさながらのスクープ合戦かというほどの過熱ぶり。


 いろんな噂が飛び交い、真偽のほどは不明ですが、有力な部分を纏めるとこうです。





 長距離トラックの運転手をしていた朱実ちゃんの父親には、妻以外に愛人がいたそうで、遠方で泊りがけの際には、家族を家に残し、何食わぬ顔でトラックに愛人を同乗させてのプチ旅行状態だったようです。


 もちろん、そのことは家族には秘密でしたが、おばあちゃんだけは知っていました。


 元々、今の結婚に反対だったおばあちゃんとしては、朱実ちゃんママを追い出し、愛人との再婚を希望していたものの、愛人は定食屋の嫁になるつもりなどさらさらなく、ましてやあの姑が牛耳るお店で働く気など皆無。


 仕方なく、家でもお店でもよく働き、よく気が付き、お客さんの評判も良く、そのうえストレスの捌け口にもなる無料の労働力を失うのは痛いと考え、現状を黙認していたのです。


 何も知らなかった朱実ちゃんママは、自分は嫁いだ身なのだからと義両親を立て、理不尽なことも夫や子供たちのためと、ずっと我慢してきました。


 朝から夜遅くまでお店に出て、合間や仕事が終わった後に、家族全員の食事の支度や掃除、洗濯などの家事一切、子供たちの学校関係、ご近所関係のこともやり、いつ寝ているのかというくらい、来る日も来る日も働き続けていたのです。


 そんな状態でしたから、夫が外で何をしているのか知る由もなく、まさかこんな形で裏切りが発覚するとは、夢にも思っていなかったでしょう。


 そして、この事件をきっかけに、ファミリーは崩壊することとなるのです。




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 おばあちゃんはお通夜・お葬式の間も、悲しみに暮れる朱実ちゃんママを怒鳴りつけ、それはもう見ている方が不快になるくらいの暴言のオンパレード。


 初七日が過ぎ、四十九日が済んでも、息子を失った悲しみは一向に治まらず、感情が激高するあまり、おばあちゃんは朱実ちゃんママに、とうとう言ってはいけない言葉を投げつけてしまったのです。



「あの子が死んだのは、あんたのせいだ! あんたと結婚しなければ、あの子は愛人なんか作らなかったし、事故も起こさなかった! あの子はあんたが殺したんだ! 謝れ! 土下座して謝れ! あの子を返せ!」



 それまで何を言われても反論せず、ただひたすら堪え続けてきた朱実ちゃんママ。この時も反論はせずに、こう言ったそうです。



「私が至らないばかりに、本当に申し訳ございませんでした」



 そして



「これ以上ご迷惑をお掛け出来ませんので、私なりの責任を取らせて頂きます」



 それだけ言うと、後は何を言われても口を開くことはありませんでした。





 翌朝、普段はすっかり朝食の準備が出来ているキッチンに、朱実ちゃんママの姿も朝食もなく、腹を立てた義姉が部屋に行くと、そこには『お世話になりました』とだけ書かれた置手紙があり、衣類など必要最小限の荷物だけを持って家を出て行った後でした。


 朱実ちゃんママの両親はすでに他界しており、身内は遠方に嫁いだ姉が一人。彼女が黙々と耐え続けたのには、そうした事情もあってのことで、以前から彼女の状況を心配し、葬儀からの一連の出来事で腰を上げたのが、かつての恩師ご夫妻だったのです。


 亡くなったご主人とは高校の同級生で、恩師ご夫妻が仲人をしていました。


 差し出がましいと思い、これまで沈黙を守っていましたが、本人から相談を受けたご夫妻は、子供を連れ、頼れる身内もいない彼女のために、アパートの保証人になり、当座の生活費を用立て、お仕事を紹介するなど、親身になって下さいました。





 これに対して面白くないのは、定食屋さんファミリー。長男を事故で失い、気に入らない嫁が、自分たちに断りもなく、大切な孫二人を連れて家を出て行ったのです。


 おまけに、お店、家事、その他諸々の負担が自分たちに降りかかってくるわけですから、当然、黙っているはずもなく、『孫を返せ、今すぐ戻って、店と家のことをやれ』と怒鳴り込んで来たのです。


 ですが、夫に裏切られ、その本人も亡くなり、常に理不尽に罵倒され、ただ働きでこき使われるだけで、何のメリットもない場所に戻る理由などなく、恩師ご夫妻に続いて、かつての同級生たちも、彼女の力になろうと立ち上がりました。


 何人かでおばあちゃんを説得したものの、『うちに嫁に来たんだから、うちの人間だ』と聞く耳持たず、せめてお給料くらい出してはどうかと言っても、『家族だからやるのが当たり前』と言い、挙句には『あんな出来損ないの嫁、貰ってやっただけでも有難いと思え』などと、話し合いも何も埒があきません。


 このことが癪に障ったのか、おばあちゃんの朱実ちゃんママに対する攻撃はエスカレートする一方で、勝手に子供たちを連れて行ったり、アパートに押し入って延々と怒鳴り続けたりと、常軌を逸しているとしか思えない状況が続いたのです。


 このままでは、いつか事件になるかも知れないと心配し、弁護士の級友が子供たちへの面会禁止等の様々な手続きをし、最終的に朱実ちゃんママは『姻族関係終了届』を提出。


 これで亡くなったご主人の親族とは、法律的にも正真正銘の赤の他人、もう『家族』という大義名分で縛られることもありません。





 一方、朱実ちゃん姉弟ですが、引っ越したアパートが同じ学区だったので転校はせず、事情を知る児童たちの好奇の目が、容赦なく彼女たちに注がれました。


 まだ一年生だった茂くんは、よく意味が理解出来ていませんでしたが、朱実ちゃんは元々の傲慢な性格が災いして、クラスメートたちからは距離を置かれ、おませな上級生たちからは、ひそひそと聞こえよがしに中傷される状態。


 ただでさえ、父親を亡くして傷心の中、家族はバラバラ、お友達も離れて行き、たまに学校内で見かける彼女は、一人ぽつんと寂しそうで、そんな彼女の様子を見かねて、ゆりに言ったことがありました。



「ねえ、朱実ちゃん、寂しそうだよ? お父さん亡くなってショック受けてるんだから、仲良くしてあげたら?」



 するとゆりは、寸分の躊躇いもなく答えました。



「ヤダ! 朱実ちゃんには、ずっと意地悪されて来たんだから!」


「あの子、他に仲良くしてる子はいないの?」


「いないよ。みんな苛められて嫌な思いをしてたし、お母さんから『もう一緒に遊んじゃいけません』って言われてる子もいるし」


「ゆりも、お母さんに言われた?」


「別に何も言われてないけど、他の子たちから仲間外れにされたくないもん」


「そっか」



 あるいは、朱実ちゃんがもう少し性格が良ければ、お友達事情は違っていたかも知れませんが、子供は残酷です。オブラートに包まない分、大人の影響によっては、ストレートな行動に出てしまうこともあるのです。


 さらに、以前住んでいた自宅兼お店には、お家のどこかに必ず家族や従業員さんがいましたが、アパートではお母さんがお仕事から戻るまで、幼い弟とたった二人きりでお留守番しなければなりません。


 お家では蝶よ花よと可愛がられ、学校ではお友達に囲まれていた朱実ちゃんにとって、最も辛い時期だったことでしょう。ひと月もしないうちに、あの暴君女王様ぶりはすっかりなりを潜め、存在感すら感じないような、おとなしい性格になっていました。




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 それから一年ほど経った頃、状況は大きく変化しました。朱実ちゃんママは、恩師の紹介で再婚することになったのです。


 お相手は小さな会社を経営する同世代の方で、三年前に奥さんを病気で亡くし、まだ幼い息子さんを、同居するご両親と育てているとのこと。後妻さんに入ってくれる女性を探していらっしゃるということで、彼女を紹介したところ、甚く気に入られ、その後はとんとん拍子でお話が進んだそうです。


 同じ義両親との同居でも違うのは、新しい舅姑さんがお嫁さんに細かい心配りが出来る方々で、新しいご主人は自分の妻に感謝と労りの気持ちを持ち、一番の味方になってくれる人だったことでした。


 自分の幼い息子を、我が子と分け隔てなく愛情をもって育ててくれる妻。その妻の連れ子(朱実ちゃん・茂くん)を我が子、我が孫同様に可愛がってくれる夫と義両親。


 彼女にとってそこは生まれて初めて、自分が与えたのと同じ、あるいはそれ以上の愛情を与えてくれる『他人』がいる、暖かい場所でした。


 社長夫人という立場になっても、以前と変わらず質素な身なりで、慎ましやかにしていましたが、以前はやつれて実年齢より老け込んで見えた外見が、年齢相応のハツラツとした印象に。


 休日になると、夫婦と三人の子供たち、時にはおじいちゃんおばあちゃんも含めて、楽しそうにお出かけする様子は、どことどこが血が繋がっているのかいないのか分からないほど、どこから見てもごく普通の家族そのものでした。





 一方、定食屋さんのほうはといいますと、穴埋めにパートさんを雇ったものの、なかなか朱実ちゃんママのようには行きません。


 当然、お給料は払わなければなりませんし、少し慣れてきたかと思うと、おばあちゃんの強烈な性格に耐えられずに辞めてしまい、新しい人を雇っても、同じことの繰り返し。


 おまけに、クッション役がいなくなったことで、おばあちゃんと従業員さんたちの間で摩擦が生じ、一人また一人とお店を去り、最終的には最古参の一人だけになってしまいました。


 こうなると、お店は回らず、売り上げも激減。さすがのおばあちゃんも、事の重大さ、朱実ちゃんママの偉大さを痛感し、『謝るから、給料ならちゃんと払うから、もう一度店に戻ってくれ』と頭を下げて頼んで来たのです。


 新しいご主人と義両親さんたちは、『今はもう、我が家の家族であり、三人の子供たちの大切なお母さんで、なくてはならない人ですから、お引き取り下さい』と、きっぱり跳ね除けたそうです。


 それでも、そこは朱実ちゃんママのこと。あんなに酷い目に遭わされたというのに、お人好しといいますか、子供たちが学校から帰るまでの時間、平日の用事のない時だけ、お店のお手伝いに行っていたそうです。きちんと、ご主人や義両親の許可を頂いて。


 おばあちゃんは、お給料を払うと言ったそうですが、配偶者控除の関係で要らないと断ったのだとか。あくまで自分は、お世話になった人が困っているので、その恩返しに、ボランティアとして来ているだけだから、と。


 器が違うというのは、こういう人のことを言うのでしょう。





 朱実ちゃんママの姿は、私が高校生の頃まで、時々お店で見かけましたが、ふと気づいたときには見かけなくなっていました。その後、私も実家を出て一人暮らしを始めましたので、あのご家族がどうしているかは分かりません。


 ふとした時に彼女のことを思い出し、人生の前半で、あれだけ大変な出来事があったのですから、せめて後半はずっと幸せに暮らしていて欲しいと思わずにはいられません。


 そして、新たに知り合った、少しだけ似ている葛岡さんご家族と重なり、なぜか他人とは思えない不思議なご縁を感じます。


 何も聞かなければ、まさか葛岡さんにそんなことがあったなんて、想像もしませんでしたし、その事故がなければ、ご主人とも親しくしていたのだろうと思うと、複雑な気持ちになりました。




     **********




 窓に顔を押し付けるようにして、葛岡さんが振る猫じゃらしの動きにくぎ付けの我が家の猫たちに目を細めながら、彼女は続けました。



「お葬式が終わってからが、また大変でね」



 ふと、斜め向かいの葛岡さん宅の窓に目を遣ると、あちらの猫たちもこちらの様子を覗いていて、気づけば彼女は計5匹の猫たちの注目の的。


 そして私も、お話の続きに夢中で耳を傾けていました。





 人が一人亡くなるというのは、簡単なことではありません。お葬式を出したり、死亡届を提出するだけでは終わらないのです。葛岡家の場合、世帯主が亡くなったため、世帯主の変更届が必要でした。


 同時に、ご主人名義である自宅の土地建物や資産の相続、凍結された銀行口座の解約手続き、株式、車、電話、公共料金等の名義変更、免許証、パスポート等の登録抹消、クレジットカードや携帯電話の解約、生命保険や損害保険、遺族年金、住宅ローンの団体信用生命保険等の請求手続き、勤務先への死亡退職届、etc…


 申請・申告期限が短い手続きもたくさんあり、ほぼ同時進行での作業。書類を提出するために添付する書類もあり、その書類を用意するための書類と、もう一体何がどれの書類やら署名やら捺印やら、訳が分からなくなることも。


 葛岡さんは、ご自身もお勤めをしていましたので、余計にのんびりしてはいられませんでした。忌引休暇に有給休暇も使い、それでも間に合わないものは休日や休憩時間を使ってまで処理していたほど。


 それと同時に、まだ幼い柊くんの心のケアも必要でした。何も言わないけれど、ずっと母親の側を離れようとしない彼に、スキンシップをしたり、務めてたくさん会話したり、時間が許す限り一緒に過ごし、葛岡さん自身いっぱいいっぱいの中でも、精一杯の愛情を注ごうと努力したのです。





 ところが、一人で悪戦苦闘している葛岡さんを横目に、とんでもないことを言い出した人が約一名。そう、おばあちゃんです。



「この家は息子が建てたんだから、親の私が貰うことにするわ。すぐに私の名義に変更して」と。



 当然のことながら、遺言状がない限り、相続権があるのは『妻』と『子供』だけです。お子さんがいない場合には、親に三分の一の相続分が発生しますが、葛岡家には柊くんがいますので、おばあちゃんに相続権はありません。


 そのことを説明すると、



「この家を建てるとき、私が頭金を払っているんだから、権利はあるはずだけど!」と。



 確かに、同居家族が頭金を出している場合、土地や建物など、金額に応じた割合で名義を分筆するケースも少なくありませんが、葛岡家の場合、ローンの関係で、ご主人が80%、奥さんが20%の名義になっていました。


 ちなみに、おばあちゃんの主張している頭金というのは、引っ越しした当日に、息子夫婦に手渡した五万円のことでした。


 戸建てマイホームの取得に係る額に対して、その額を『頭金』と主張するには乖離し過ぎていますから、常識的には『お祝い金』として遣り取りする金額ですし、すでにその時点で名義等の手続きは完了しています。


 また、その分(0.1%未満?)だけをおばあちゃん名義にするのも現実的ではなく、順番から行けば、おばあちゃんのほうが先…、とすれば、二度手間になるような選択は避けようと考えるのが一般的です。


 まして、住宅ローンから生活費一切、息子夫婦が負担している現状で、五万円を頭金と主張されても、困ってしまいます。





 むしろ、そんな現実離れした相続云々以前に、おばあちゃんの身柄をどうするのか、ということのほうが大問題。


 基本的に、親の面倒を看るのは子供(実子・養子)であって、その配偶者であるお嫁さん、お婿さんに義務はありません。


 ただし、姻族(結婚相手の血族)関係である以上、誰も看られないという場合に限って責任が発生しますが、次男さんがいましたから、誰もがそちらに引き取られるものと思っていました。


 ところが、当の次男も、そのお嫁さんも、おばあちゃんの引き取りを強く拒否したのです。理由は、おばあちゃんの性格から、とてもじゃないけれど同居は無理、とのこと。


 困るのは、葛岡さんです。正直、一緒にいるだけでも何かと煩わしい存在なのに、この状況で同居を継続して、やがて介護が必要になったとき、その流れのまま押し付けられたのでは、たまったものではありません。


 次男夫婦は、生活費等の金銭的な負担で合意を求めてきましたが、葛岡さんとしてはとても納得出来るものではなく。でも…



「で、結局ずっとここに住み着いてるわけ」


「そういうことで、同意したの?」


「本人がどこへも行かないって、頑として動かないのよね」



 次男夫婦にしてみれば、何とも都合のよい状態となったわけですが、払うと言っていた生活費も、結局一度も頂戴したことはないのだとか。


 それでも、以前は全くといっていいほど顔も出さなかったのに、1~2か月に一度程度は、次男だけがおばあちゃんの顔を見に来るようにはなりました。





 この一連の出来事で、さすがにおばあちゃんも少しは自分の立場というものが分かったのか、以前に比べると、ほんの少しだけ大人しくなり、嫁と姑の力関係が変化したといいます。


 人に会えば、お嫁さんの悪口を言い、面と向かって文句やお説教じみたことしか言わなかったおばあちゃん。それが、外では『うちの嫁さんは出来た人でね~』と、掌を返したように褒めるようになったのですが、キャラにないためか皮肉に聞こえてしまうところが何とも。


 これまでは、自分のほうが知識も経験もあるという先入観から、一切葛岡さんの言うことを聞かず、見当違いなことを言って恥をかくことが多々ありましたが、『最近の人は、なんでも物知りだからね~』と、引くことを覚えたといいます。


 特に今回の件で、今住んでいるこの家には自分の所有権がなく、お嫁さんにも面倒を看る義務はないという事実を知ったことで、少しは身の程を弁えたのかも知れません。


 それでも、私には、おばあちゃんパワー全開というレベルに感じられますが、それを抑え込む葛岡さんの度量には、尊敬の念すら抱きます。もし、私が彼女の立場だったらと考えただけで、無理! という言葉しか出て来ません。





 お昼過ぎになって、お腹が空いた柊くんが呼びに来るまで、私たちのお喋りは続きました。頂いた猫のおもちゃとおやつの御礼を言い、屋内に戻った私に駆け寄る一人と2匹。


 速攻で、待ち詫びていたおもちゃを2猫たちに強奪され、お腹を空かせた夫にキッチンに連行されたのでした。


 一通りのお話を伺って改めて思ったことは、葛岡さんがご近所さんで良かったということ。こうして親しくして頂けることが嬉しくて、これから長く続くであろうご近所付き合いを良好に継続出来る事を、強く願わずにはいられません。




     **********




 さて。毎週月曜日は、可燃ごみの収集日。この町内では、午前九時までに、各戸前の道路の隅に出すルールになっています。


 いつものように、袋の口を固く結び、防鳥ネットを被せていると、ごみ袋を出しにいらっしゃった葛岡さんのおばあちゃんにお会いしました。



「葛岡さん、おはようございます」


「おはよう。ああ、そうだ、松武さん!」



 ごみ袋をその場に置くと、ズカズカとこちらに歩み寄り、私が今出したごみ袋を、前から横からまじまじと眺め、



「一度きちんと言おうと思ってたんだけどね~、ごみは朝九時までに、網を被せて出さないと、カラスに荒らされるのよ~」


「はい、ちゃんとやってます」


「一度カラスにやられると、何度も来るようになるから、きちんとやってもらわないと困るわ~」


「やってますけど…」


「生ごみなんか散らかされると、水を流したくらいじゃ臭いが取れないもんだから、ホント困るんだわ~」


「あの、うち、何か粗相でもありましたか?」


「え? ないけど…そういうことがあるといけないから、気を付けて貰わないと困るのっ! 分かった?」



 引っ越し初日にも体験しましたが、葛岡さんがおっしゃっていた『人の話を聞かないで、言いたいことだけ一方的に言う』ということを、再確認。確かに、かなり面倒くさい性格です。


 そして、もうそれ以上は言ってこないかと思いきや、間髪入れずにとんでもない爆弾を投げてきたのです。



「それから、こないだのお休みの時、うちの嫁さんと話をしてたでしょ~?」


「はい」


「何を聞いたかは知らないけど、あっちこっちでペラペラと喋らないでよね~」


「は? 喋りませんけど?」


「本当に喋らないでよ? あなたは調子に乗って、あることないこと喋りそうだから、気を付けてよね~」



 普通の神経を持ち合わせている人なら、人間関係を終了する覚悟がなければ口に出来ない台詞。もしこれを何の前触れもなく言われたら、間違いなく絶句でしょうし、気が弱い人なら泣いてしまうかも知れません。


 でも大丈夫、怯むことはありません。砲撃には迎撃を。



「わかりました~。『私は調子に乗って、あることないこと、あっちこっちでペラペラ喋りそうな人間だから、聞いたことは喋るな』っておばあちゃんに言われたって、奥さんに伝えておきますね~」



 にっこり笑いながら、そう返すと、おばあちゃんは大慌てでごみ袋にネットを被せ、そそくさと自宅に戻って行きました。





 じつは先日、葛岡さんからアドバイスを頂いていたのです。おばあちゃんには、気の弱そうな人や、人の良さそうな人、反論してこない大人しい人をターゲットにして、してもいない失敗をあげつらって、ネチネチとお説教する悪癖があると。


 本人は、相手のことを思ってという気持ちからで、悪意はないのでしょうが、言葉の選び方が間違っているのと、言い方がクド過ぎることに加え、相手を傷つけている自覚も罪悪感もないので、悪気がない分、たちが悪いのです。


 多分、私はおばあちゃんに『波風立てずニコニコ笑ってやり過ごすタイプ』だと思われているだろうから、その時は、言われたままの言葉を復唱して、奥さんに伝えておくと言えば良いから、と。


 名付けて『にっこり笑って、バンパイアの胸に杭を打ち込め作戦』。大成功でした。もし、このアドバイスがなければ、間違いなく私はバンパイアの餌食になっていたに違いありません。


 自宅の中に消えたおばあちゃんの姿を見送り、ごみ袋の横で小さく勝利のガッツポーズです。





 葛岡さんには申し訳ないのですが、内心、おばあちゃんが私の姑ではなくて本当に良かったと思います。とはいえ、すぐ傍に住んでいるということには違いなく、何かと関わりがあることも想像に難くありません。


 一度は成敗したものの、バンパイアは幾度も復活してくるから、そのたびに杭を打つように、と葛岡さんから伝授された私。


 彼女の予言通り、この先もおばあちゃんが巻き起こす騒動は続きますが、それはまた、別のお話。

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Monsters-in-law ~episode.1『未亡人』~ 二木瀬瑠 @nikisell22

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