Vos goûts───火星百年、青の翼

鱗青

Vos goûts───火星百年、青の翼

 赤茶に煤けた茫漠たる大地に、無窮の天蓋が黄色の覆いを拡げている。

 電磁誘導砲レールガンの金属的なイオン臭。それに火薬の燃焼した匂い。この戦場に人間ひとはいない。いるのは──

「馬ッ鹿だよなあ、天上うえ奴ら人類って。環境整備テラフォーミングも満足にできてないってのにこんな意味のない戦争ばっか繰り返してやがる。なあコゥボ?」

 質問に答える代わりに、岩塊に腰掛けた戦友は虹色に霞む不思議な光沢の黒い翼を一振りした。翼と同じ怜悧な黒曜石の眼差しは、手許の書物に注がれている。

「よく飽きねぇな。そんな面白いか?遺跡から拾っただけのゴミがよ」

せよペルラン。鴉にとっては大事な物なんだよ」

「そうそう。隼にとっての交尾舎パラディスおーんなじね!」

 双子の兄弟の大柄なムエットが迫力のある目許を撓めて笑った。本来名前も二つあるのだが、外見だけでなく嗜好も性向も同一なので、もう呼び替えるのも面倒になっている。

 ここは火星。世紀は30を越えた。我が物顔に大を振るのは俺達、鳥の姿をした戦士だけ。人間並の体格と知性を備え、鳥類ならではの特殊な感覚を持つ者等。

 獣人兵グリフォン──百年前、この火星ほしで領土を巡る大戦の火蓋が切って落とされてから投入された、人造の生物。

 本当にいつまで続くんだろう、この戦いは。俺は胴体に着込んだ武器満載の防弾スーツを見下ろして溜息。おっと、足元に白粉花おしろいばなだ。地球から運ばれてまばらに根付いた生命力の旺盛なこいつだけが、荒涼とした風景に彩りを添えている。種を拾っておこう。

「無駄な事を」

 ページを閉じた鴉が皮肉に笑う。

「礫石だらけの大地の不毛が完全に癒やされるわけでもない。君のしている事は徒労だ」

「折角また同じ顔ぶれで生き残って、言いたいのがそれか?」

 無性に腹が立った。腕力に訴えて黙らせてやろうと近寄っていく俺を、鴎が止める。

「おい隼──隊長!信号きてる」

 俺は自分の首元に手をやった。

 咽喉のどまわした端末の明滅が戦闘終了の合図だ。俺達は一度軽く飛び上がってから上昇気流を捕まえ、他の隊に混じって帰還コースへ羽ばたき──

「ん?鴉がいない。はぐれたか?」

「いつも勝手な動き」

「だよ」

 鴎達は興味が無い様子。敵も鳥の獣人兵グリフォンだが、制空権は確保してある。なら無事だろう。

 それに内緒だが…俺は鴉が苦手だ。無口で無愛想、人間の書物を読む変わり者。できれば関わりたくない。勇敢な隊のリーダーとしては口が裂けても言えないが。

 鴎達とつるんで交尾舎パラディスを訪れた後、酒舎で呑んだくれる。死線をかい潜ったおとこ同士の付合い。

「てかアイツ、殺した敵兵を」

「食ってるよ」

 糧食レーションついばみながらの何気ない鴎達の台詞に、俺はグラスの中身を鼻腔から吹き出した。

「本当か」

 鴎達は顔を顰めて声を潜める。つい先日、長引いた戦況の見通しが立って朦朧もうろうと帰途についたとき、兄弟はルートを外れてしまった。

「そしたらさ、敵兵の頭に齧り付いてる鴉を」

「見かけちゃったんだよ」

「ひょっとして奴の使に関わる事か?」

「かも」

「よ」

 二人の追随。俺は考え込んだ。

 獣人兵士グリフォンは誰もが何がしかの行動原理を深層意識に組込まれている。俺のそれは『仲間を守る』。その為に銃口を定め、敵を屠る。

 …あいつは、鴉はどんな使命なのだろう。『敵を食い殺す』?ゾッとしない。幾ら味方の為としても血の滴る同種の肉を喰らうなど…

「兵装を分析してるのを見間違えたんだろ」

 俺は敢えて爽やかに笑い飛ばした。双子はそうかも・よと、あっさり引っ込めた。

 しかし。確かに鴉は得体が知れない。戦場の楽しみである交尾もする気配を見せないし酒舎にも来ない。…まさか隠れて雄同士でしているとか?

他鳥たにんの趣味を詮索するのは暇な証拠だ。それにアイツはだろ」

「何それ?意味が」

「不明だよ」

 鴉の持っている本の一節だとさ、と鴎達に教えてやった。

「妙な奴だけど悪い奴じゃねぇな」

 グラスを干す俺の言葉。それは数日後にくつがえされた。

 

 散々な負戦まけいくさだった。砂塵と返り血の混じったものでうんざりするほど汚れた俺は、隊のメンバーを集めようと周りを見回す。

 丁度、鴎の片割れが鴉の横っ面を殴り倒していた。

「何やってんだ馬鹿野郎!仲間同士で!」

 泣き喚く鴎を羽交い締めにして引き離す。

「違う!隼、仲間なんかじゃないッ、こいつは…俺の弟を喰いやがったんだ!」

 沈黙。

「とにかく兵舎に戻れ」

「でも」

退けと命じている」

 俺の迫力に押され、鴎は涙を飲み込みながら羽ばたいて去った。

 鴉の足元には鴎の片割れが火星の荒れ痩せた土に眠るように横たえられていた。閉じた目から流れた血が涙に見え、頭は…

 くるりと頭蓋が外され脳味噌が穿ほじられていた…

「説明しろよ」

「見て分からないか」

 流石にカッときた。鴉の細い首根っこをふん掴まえる。

「共喰い野郎」

 キッと眦を鋭くし、鴉は言い返す。

「違う。使だ」

 鴉が告げる。これは摂食読取オルトメトリ──他鳥たにんの血肉を経口摂取する事で、神経伝達物質その他から情報を得る特殊能力。

 つまり奴は

「被験体で生き残っているのは私だけだ。能力これは遺伝しないらしいし、そもそも私は出生時の処理工程の誤りで子種が無い」

 クッ。鴉は自虐の笑いを漏らす。

「尤も能力が発現しなかったら、真っ先に殺処分されてたろうな。戦闘力も低い出来損ないさ…君と違って」

 言葉が出なかった。兵士として最強である俺からすれば並以下の能力で、生きている事だけが取柄とりえの奴の気持ちなんて遠く理解が及ばない。

「…敵でもない鴎をなんで喰った」

「彼は私の読書を尊重してくれた…だから憶えておきたかった。摂食読取の能力者にとっての親愛は、相手を食す事なんだ」

 鴉は嘴を上げて真直まっすぐに俺を見た。…入隊してから初めて。

「君に頼みたい。私がもし死んだら、私の肉を」

 トス、と俺の胸に何か当たった。透明なテグスが、遥か彼方から伸びて付着して…

 ハッとした鴉の叫び。

電磁誘導砲レールガン‼︎」

 鴉の告白に動揺していた俺は瞬時の判断と行動ができなかった。

 鴉が俺の前に飛び出し糸を抱きしめるように引きちぎったのも、青白い発光が鴉の体を瞬時に包み、続いて俺自身吹き飛ばされるのも呆然としている間の出来事だった。

 一昼夜生死の境を彷徨った俺が目覚めたとき、ベッドの上には湯気を立てる串肉の皿があった。天井から機械より機械的な医療兵のアナウンス。

故鳥こじんの遺志により遺体を食肉加工しました。安全で栄養面も問題なし」

 喰えと?同種を?

 …あいつと同じように?

「拒否しても構いません。彼の他のと同じように焼却します」

 俺は鴉の言葉を思い出した。奴の気持ちを理解できるかも知れない。この焼かれた肉を喰いさえすれば──

 俺は何遍も躊躇してようやく、一口ひとくち頬張る。

 と、目の前に花畑が広がった。空が、青い。何だこれは?

 狼狽うろたえる俺の上に、鴉の声が降ってきた。

“逆に情報を相手に伝えるのは賭けだったが、この手段しか私には選択肢がなかった。許してくれ”

 花はしかし一種類しか咲いていない。白粉花。この火星で唯一根を下ろした植物…

“この戦争はもうすぐ終わる。敵軍の勝利で。私は皆が知らされていない戦況の詳細も掴んでいる。近く最後の大攻勢が命じられるだろう。でもそれも天上うえの連中が敗戦後の交渉を進める為の方策に過ぎない”

 空の青さにも深みがない。まるで──そう、まるで

“だから──生き延びてくれ。君に対する私の希望だ”

 突然花畑が現実の火星の大地に切り替わる。そこに一羽ひとり獣人兵グリフォンが現れた。

 あれは昔の俺だ。まだ羽が柔らかく初々しい。多分戦場に出てすぐの頃の、傷一つない嘴。

「何をしている」

 これは鴉だ。俺は今、鴉の過去を追体験しているらしい。

 赤い大地に根付いた白粉花おしろいばな。若い俺はその種を拾い、遠くへ投げる。

「こうやってさ。いつか赤いだけの糞殺風景な地面がよ…緑と花で埋め尽くされたらいいと思わねえか?空から眺めたらきっと綺麗だろうぜ!」

 遥かな地平線の闇を焼き焦がすように朝日が昇ってきていた。振り向く俺は何も考えず無邪気に笑う。

“一度だけでも私と同じ夢を語った君を、私は…生涯特別に想う”

「待ってくれよ!なんで俺に…なんで今更こんなモン見せるんだよ!」

“君…隼には自由であって欲しい。隼の翼の本当の力はちっぽけな戦場の上空なんかに収まりきらないものなんだ”

 鴉の声が段々小さくなっていく。

“君は優しい。仲間を見捨てたり裏切ったりできない。だからこそ、今まで生き延びたのは奇跡に近い。

 仲間を救ってくれ、とは言わない。ただ生きて、生きて生きて──本当の隼の「空」を取り戻してくれ。明日を越えて、未来へと仲間達の希望を乗せて運んでくれ。

 本当は隼と仲良くなりたかった。けれど守秘義務が私をそうさせなかった。好ましく想えば想う程、自分で距離をとって突き放した…”

「おい、待てって‼︎」

 景色がぐにゃりと溶け、病室のそれに戻っていく。

 “いつか言った、あれは嘘だ。本当は私も、この火星が草花に覆われる平和な日を夢見ている。願わくば、君の隣でいつまでも…”

 完全に鴉の声が途切れて消えた頃、俺は彼の肉を総て食い終わっていた。口の中に残される僅かな芳香。俺を──恐らくは愛してくれたおとこの、味…

「うぁぁぁぁぁ!」

 俺は病室を飛び出した。今まさに戦死した英霊の為の義務的な葬列が離れた小高い丘の上に極まり、灰がしめやかに火星の黄色な空に撒かれて散っていく。

「無駄じゃねぇ!絶ッ対に!無駄なんかじゃあねぇよ‼︎」

 鴉、お前はとんだ悪鳥あくにんだ。自分はタネを残せない獣人兵グリフォン、意味の無いない存在、価値の無い生命だと言ったが…

「俺の胸に、腹の底に!お前の魂だけはしっかり置いてきやがって…!」

 黒い横顔に浮かぶあの皮肉な笑みが、空の向こうに霞んで見えたようだった。


 数ヶ月後。火星大戦が終了し、獣人兵グリフォン達に基本的生存権と自由と市民権が付与された。

 それから暫くして、不毛な大地に花の種を蒔いて飛翔ぶ男が噂になった。それは隼のシルエットで、すれ違った者によると皮肉な笑みを頬に湛えていたという…

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