第47話・ある天気の良い日のこと

 稀に見る晴天に恵まれ、レイラはマーサと共に館中の窓という窓を開け広げていた。庭園には長い物干しが出され、洗い立てのシーツが心地よい風になびいている。

 いつもは屋内に閉じ籠っているベルも、「たまには日の光を浴びてくださいませ」と口煩い世話係に無理矢理に背を押されて、ガーデンテーブルで書物を片手にお茶を口にしていた。


 揺れている洗濯物にじゃれ付こうと子トラ猫のセリが前脚を伸ばすが、するりとシーツに逃げられて不思議そうに首を傾げている。その横では黒猫のランがバリバリと爪を立てて植木に勢いよく登って、枝の上から得意げな顔を見せていた。

 他の子猫や親猫達も揃って日の光を浴びに外に出ていて、思い思いの場所で昼寝に興じていた。


 アヴェンの薬の支援が完全に落ち着き、薬店へ通常納品する薬と薬草茶にも手を付けられるようになり、久しぶりにゆったりとした時間が流れていた。

 手に持つティーカップを置くと、ベルは膝の上に置いていた書籍の読みかけのページを開き直した。パラパラと数ページ前へと戻っては、描かれた図式を確認してからまた先へと読み進む。


 眉間に皺を寄せ、かつてないほど難しい顔をして書物を見ていると、洗濯物を取り入れに出て来たレイラとマーサが怪訝な顔で見ていた。


「また良からぬことをお考えではありませんか?」

「あら、失礼ね」


 ベルが見ていたのは魔剣に関する研究書。つい先日に書店から送られてきたその物騒な書物を、食い入るように読みふけっている主にはマーサは嫌な予感しかなかった。


「ベル様、魔剣をお求めになられるんですか?」

「まさか。剣術は苦手よ。調理用のナイフに魔法陣を組み込めば、切れ味が良くなるかしらと考えていただけ」


 母方の祖父や曾祖父のような鍛冶職人ではないから一から作ることは叶わないが、完成されている刃に魔法を付与するのなら、ベルでも出来るのではと。その恐ろしい提案に、マーサは顔を青くして首を横に振った。そして、叫んだ。


「そんな物、恐ろしくて使えませんわ!」


 余計なことをしないよう、ベルの調理場への立ち入り禁止を宣言して、マーサは洗い立てのシーツを抱えて館の中へと戻って行った。歩いて行く後ろ姿を見る限り、かなり怒らせてしまったようだ。


「私も魔剣のようなナイフは、扱うのは怖いですね」


 マーサの背を見送りながら、レイラもぽつりと呟いた。あまりに切れ味が良すぎると、勢い余って指まで切れてしまいそうで恐怖しかない。


 そういうものなのね、と残念がるベルを後にして、レイラも洗濯物を取り込んでいく。その働き者の弟子の姿を眺めている時、ベルは遠くに馬の走る気配を感じた。

 書物を閉じてテーブルの上に置くと、結界の入口にもなっている正門の方に視線を送る。

 いつの間にか、猫達の姿は庭から消えていた。


 騎士の制服を身に着けた男を乗せた馬は、館の敷地に入るとゆっくりと歩を緩めた。ガーデンテラスにベルの姿を見つけると、騎士は慌てて馬から降り、その場で深く一礼する。

 気付いて出てきた庭師の老人に手綱を預け、ベルのすぐ前までやってくると胸に手を当て、再び頭を下げる。


「ゾース・グラン様より、こちらの書簡を預かって参りました」

「あら。叔父様から?」


 外の話し声に気付いて出て来たマーサが代わりに手紙を受け取ると、騎士はベルにまた一礼してから馬の元へと戻っていった。慌ただしい訪問に、何かしらと首を傾げ、ベルは手渡された封書に目をやる。緊急の伝令の時と同じ白い封筒に朱色の封蝋、差出人は確かに叔父の名が記されている。


 外で気軽に読むものでもないのかもと、館の中へ戻ることにする。ソファーに腰掛け、用意して貰ったナイフで改めて開封し、白い便箋を取り出す。そこに記された文字を静かに目で追うと、二階でシーツの付け替えをしていたレイラを呼んだ。


「叔父様から、こないだの薬の支援協力への礼と報酬の知らせが届いたわ」

「報酬、ですか?」


 驚いた顔でこちらを向く弟子に、微笑みながら頷く。大量の薬を作ったが、その代金はすでに正当に支払われていると聞いている。それ以外に何があるのだろうか。


「ええ。リューシュカの屋敷の権利を正式に譲り受けたわ」

「え?」

「レイラの弟子入り期間中の給金と、老魔女の介護に関わる報酬、魔法使いの権限を侵害されていたことへの慰謝料として、リューシュカの家族が屋敷をあなたに譲り渡すことを決めたそうよ」


 あまりのことに茫然としている少女の様子を、ベルは優しい瞳で見守っていた。勿論、本邸側からの交渉があったとしても一年程のレイラへの給金などでは金額的には足りるはずがない。なので、その過不足金は今回の対アヴェンの協力報酬として領の資金で賄われたということだった。


「え、でも……」


 ソファーの向かいに座らせた少女が、いきなりのことでオロオロし出したのは当然のこと。まだ16の少女に与えられる報酬としては破格だ。


「作業部屋はそのままらしいから、傷薬と解熱剤作りに使えるわね」

「えっと、あの……私は、ベル様の弟子をクビになるんでしょうか?」


 この館に来て、まだ数か月しか経ってはいない。独立するには早過ぎる。傷薬と解熱剤を作れるようになったばかりでは、薬魔女として生きていける自信はない。


「そうね。じゃあ、薬草茶の権利をレイラに譲るわね」

「いえ、違っ。そうじゃないんです!」


 どんどん決まって行く自身の行く先に、レイラは声を荒げて制した。薬魔女としての独り立ちが嬉しくない訳じゃない。しかも作業部屋付きの屋敷まで手に入る。夢にも思わなかった条件がどんどんと提示されていく状況に、頭が追いつかない。

 ――でも、違う!


「私、まだここを出て行きたくないです!」


 自分でもビックリするくらい大きな声が出た。ホールの隅で遊んでいた子猫達が驚いて飛び跳ねているのが見えた。

 そう、美味し過ぎる条件にも飛び付く気になれない理由があった。


「もっと猫と一緒にいたいんです!」


 遠慮がちな控え目だった少女が、初めて見せた強い意志に、ワゴンを押してお茶を運んで来たマーサはニコニコと微笑みながら頷いていた。正面に座る森の魔女も、穏やかな笑顔で弟子の言葉を聞いていた。


 リューシュカの屋敷には猫はいない。猫のいない生活なんて寂しくてしょうがない。


「なら、好きなだけ居ればいいわ。リューシュカの屋敷は、そのままにしておきましょう」

「ありがとうございます!」


 はにかんだ笑顔を見せる少女の足を、三毛の子猫が擦り寄ってきた。抱き上げて膝に乗せると、ゴロゴロと喉を鳴らしてレイラの顔を覗き込んでいた。


 -完-

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫屋敷の見習い魔女 〜弟子入り先は猫だらけ〜 瀬崎由美 @pigugu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ