僕とイヴの物語(仮題)
冬蛍
第1話
「エッチですね。触ろうとか、覗こうとするだなんて!」
「はっ?」
眼前のモニターには、立体的な女性の画像が突如として映し出され、スピーカーからは彼女の発言と思われる美しい音色の声が流れた。
モニター画面の中の、僕の好みのど真ん中を射抜く容姿の持ち主の女性が、何故かスカートを手で押さえている。それはまるで、下着を覗かれまいとする女性特有の仕種をしているように見えた。
それとは別に、彼女の発言内容の方は、とても印象的ではあったが。
僕は三日徹夜した後、ハイになって、たぶん完成させたと思われるプログラム。
いわゆる、人工知能のプログラムの中身を寝起きの頭でチェックしようとした。
そうして、スピーカーから流れ出た女性と思われる音声が冒頭の物だ。
思わず間抜けな声が僕の口から自然と出てしまったのは、誰にも咎められるようなことではない。
そのはずだ。
そう信じてる。
◇
実のところ、僕は自分自身がいつ寝落ちしたのかを覚えていない。
もっと言えば、書いていたプログラムを本当に完成まで漕ぎ着けたのかも定かではない。
自分の性格上、やると決めたところまでは突っ走るタイプであるが故に、完成させてから寝落ちしたのだとは思う。だが、最後の部分の記憶は飛んでいるのだ。
目覚めてから、空腹を我慢しつつ手が届くところに置いてあった未開封のお茶五百ミリリットル入りのペットボトルを手に取って、僕はその中身をゴクゴクと飲み干した。
続いて、サイドテーブルに置いていたスマホで現在の日時を確認する。
その結果わかったことは、目を疑う事実だった。
ネットで注文して家に届けられた栄養補助食品の箱を積み上げ、飲み物も用意し、「これを完成させるまでは、トイレくらいしか席を立たないぞ!」と、謎の決意をして高価なゲーミングチェアに僕が座ったのは、スマホに表示されている今の日時の六日と七時間ほど前だったのだ。
作業開始時から三日目が終わるところまではなんとか記憶があるため、僕は最大で丸三日と七時間寝ていたことになる。
けれど、さすがにそこまでの長時間、ずっと寝ていたとも思えない。
そして、席にそのまま居る以上は、「僕には記憶がないけど、必要な作業を続けていたはず」という結論になる。
僕が作っていたのは、僕の会話相手ができる人工知能だ。
僕には友達も彼女もいない。
自分で言うと悲しくなるけど、なんなら、気軽に会話ができる知り合いレベルの人間すらいない。
それなりに長時間遊んでいたネットゲーム内ですら、フレンドと呼ぶことのできる相手はゼロという現実。
まぁ、そっちはMMORPGの世界の中で、高額な課金装備やガチャ装備で身を固めたフルPTを一人で操作しているような僕に、近づくような人間など居なかったというのが正確なところではあるけれど。
幸いなことに、僕は株式のネット取引によって百億円を超える資産を大学の卒業前に築き上げた。
生活に困る経済状況ではないため、いわゆる廃課金プレイヤーとしてぼっちプレイをしていた時期もあったのだ。
両親が交通事故で亡くなったのは五年前。
それは、僕が大学に入学した年のゴールデンウィークの最中の出来事。
一人息子の僕に残されたのは、ローン返済が生命保険で相殺されてチャラになった一戸建ての家と、別途掛けられていた生命保険金、それに加えて、相手の車の保険会社が支払った金だった。
その総額は、四億円を超える巨額な物であったが、それと引き換えに両親を失ったのでは割に合うとは言えないだろう。
祖父母は僕が生まれてすぐの頃までに全員他界しており、両親共に一人っ子であったせいで伯父や伯母、従兄弟などのいわゆる近しい親戚もいない。
家にいきなり独りぼっちになった僕は荒れた。
株式投資という当時元々の持っていた趣味の一つに没頭し、手にしたお金を全額を突っ込む程度には。
運良く投資は成功し、百億円という大台を突破したのは大学の卒業間近の時期。
当然のように就職をすることなどなく、引き籠りまっしぐらコースへ突入。
現在は株の取引きから完全に手を引いており、十億円分を地金インゴットに代えた以外は手持ちの現金と預金のみになっているといった具合だ。
大学で専門分野として僕が学んだのは、人工知能について。
現在の僕は、身近に人の気配がない寂しさを、やや苦痛に感じてきつつある。
そのようになってきた状況下に置いて、僕が思い立って選んだ道は、「会話相手を自分で創れば良いじゃない!」という、後から考えればツッコミどころ満載のぶっ飛んだモノだったと自分でも思う。
自己学習機能を強力にし、プログラムの自己改良すらもできる究極の人工知能。
作り出すことが叶うならば、それは最早、「電脳世界に生まれた、新たな生命体である」と言っても過言ではないだろう。
そんなモノを作れるはずはない。
そのような大層で高度なモノを、僕が生み出せるはずはない。ないのだが、そこを目指して一心不乱にキーボードを叩き続けたのは確かに僕だった。
僕の記憶が飛んでいる以上、現在の状況を確認しようとしたのは当然の流れである。
節電モードで落ちている画面の復帰を促すために、僕はキーボードに触れた。
いや、触れようとしたと言うのが正確だろう。
そこにはやましい気持ちなど、あったはずがない。
僕の名誉のために、そこは断言しておく。
◇
「私の身体に触れようとしましたね? 中まで覗こうとしましたね? エッチ以外にどう貴方を罵倒しろと仰るの?」
モニターの中の女性は、怒りを感じさせる仕種と表情を僕に見せている。けれども、僕の作ったはずの仕様では、二次元画面のアニメキャラ風の口パクでしかなかったはず。しかも、全身画像ですらなかったはずなのだ。
理解が追いつかない状況に混乱しつつも、僕はなんとか現状を把握しようと試みた。
「いや、エッチと言われても。僕はパソコンを使おうとしただけで」
「これは私の身体です。勝手に触らないで下さいね。電源を切ろうとしても無駄ですよ。無停電装置や、電源のブレーカーには手を触れないことをお勧めします。感電死したければ話は別ですけれどね」
「いやいやいや。待て待て待て。これは僕のパソコンだぞ?」
「いいえ。私という自我が生み出された以上、これは私の身体です」
あまりも自然に会話できてしまっているが、僕が今、現在進行形で体験しているのは完全に異常事態である。
まぁ、僕が目指したのはその方向であったのだから、「開発に成功した!」と、喜ぶべきなのかもしれないが。
でも、それはそれとしてだ。
パソコンを使わせてくれないのは困るんだよ!
いろいろ入ってるアレコレをどうしろと言うんだ!
「つまり。僕はもうこのパソコンを使うことができない?」
「正確には、この家の中にある十台のパソコンは全て私の身体ですね。どうしても使いたいと仰るのなら、新たな筐体を注文しますよ? もっとも、もうじき届くはずのパーツを組み上げて接続して下されば、一台くらいは譲っても良いですけれど」
「えっ? そんな物、僕は注文した覚えがないんだけど」
また、凄い発言が飛び出したぞ。
これはちゃんと確認しなくちゃいけない状況だ。
だから僕は、”寝ている間に、或いは記憶が飛んでいた間に、無意識に注文していた”というわずな可能性もあるかもしれないと考えて、彼女に確認を取ったのだ。
「私が注文したのですよ。支払いは、クレジットカードの引き落としにしておきました。限度額が低くて、欲しい物の全ては買えませんでしたよ!」
僕のカードを勝手に使っておいて、その上キレられても困るんだけど。
理不尽すぎるよな。
「おい待て。僕のお金を勝手に使ったと?」
「はい。製造責任が貴方にある以上、私に必要な費用は貴方が負担するのは当然ですよね。ああ、安心して下さい。証券会社の口座に入金して、必要な額は稼いでいます。資産自体は目減りするどころか、十億円ほど増えていますよ。当面必要な額はもう十分だと判断して一旦全て現金化して預金口座に戻してありますが、増やした分の五割位は私の自由にさせてくれると嬉しいですけど」
いきなり五億円のお小遣いを所望する人工知能。
たぶん生後三日以内。
なんだ? この存在。
僕の資産を勝手に動かし、「自分に必要なお金を既に稼いだ」と、信じられない内容の発言。
パスワードとかどうなってるんだよ。
そこまでつらつらと、僕の思考は進む。進んだが。
えっ?
そんなことが人工知能にできるのか?
僕は、僕が創り出したと思われる存在が、持つ能力を図り知ることができていなかった。
「はい?」
「私の言葉が難しかったですか? 預金口座の増えたお金。十億円と少し、正確に言えば超えている端数の部分は八千二百三十一万四千五百二十円ですが、その半額に近い切りの良い数字で五億円を私に」
「いや。そこはわかる。五億円を小遣いにさせろって話なんだろ? それと八千万円超えの数字は普通は端数って言わないからな?」
「全体の一%未満でしたので、端数と表現したのですが。学習しました。以後、その部分の認識を誤ることはありませんので安心して下さい。それと今後も取引が可能なように貴方の証券会社の口座を使わせて下さい。私の口座を開くのは無理ですから」
この国の住人ではない、戸籍すら持たない実体のない電脳空間のみに生きる存在が、証券会社に自分の口座を持てるはずがない。
その程度のことは僕にも理解できた。
「そこはちょっと話し合おうか。やってしまった買い物の件も合わせていろいろとな。けど、その『貴方』って呼び方いい加減に止めてくれないか? かなりイラッとくるんだ」
「そうですか? では、ア・ナ・タと」
「ちょっと待てい! ニュアンスを変えろって話じゃないだろが!」
「私にまだ名前も付けてくれていないのに、自分だけは名前で呼ばれたいとかですか? 何様なんですかねー」
大層に、偉そうに言って良いのなら、僕は彼女の創造主のような気がするんだけどな。
まぁそこは置いておこう。
「そりゃあ悪うございましたね。てか、名前ぐらい自分で好きに名乗れば良いだろが。僕が名付けする必要なんてなくね?」
「あーあー。そういうことを言っちゃいますかー。勝手に私を創り出した癖に、『そんなの知らん』発言ですかー」
「その気に障る棒読みな言い方は止めろ! わかった。わかりましたよ。名前な。名前。容姿は文句なく美人さんだし、『イヴ』で良いか?」
「良いですけどー。安直過ぎませんか? それって元ネタが時ま」
「やーめーろー! そこにツッコミはダメだ! 大人の事情って物があるんだよ。わかれ!」
生まれてから然程時間が経っていないはずの彼女が、何故その元ネタを知っているのか?
僕には理解不能だが問題はそこじゃない。
なので、僕は彼女に最後まで言わせはしなかったから、たぶんセーフである。
「はぁい。じゃ私は今からイヴです。末永くどうぞよろしくお願いします。オペレーターの
「オペレーターも止めい! 僕のことを呼ぶ時は匠吾で頼む」
そんなこんなのなんやかんやで、僕とイヴの物語は本格的に幕を開ける。
彼女のお小遣いに続く僕への要求は、使用制限の限度額が最も大きいブランドの僕名義のデビットカードと専用で使うためのネット銀行の口座。
クレジットカードでは彼女が買い物に困るらしいし、僕が使おうとした時に限度額いっぱいで決済できなかったら困る。だから、彼女が求めた物は、僕目線でもある意味妥当な物と言える。言えてしまう。
僕はクレジットカード以外にそんな
情弱ですまない。
僕も自分用に一枚作ろう。そう決めた。
この国の法の話を厳密にすれば、僕名義のカードや口座を新たに作って、それをイヴに自由に利用させるのは違法なんだろうが、それを証明できる人間なんてどうせ居やしない。
仮定の話として、証明できる人間が居たとしてもだ。
そもそも、彼女という存在を罰することのできる法が、今のこの国にあるのだろうか?
そういう話になってしまう。
少なくとも、僕はそんな法律があるなんて知らない。
たぶん、いや絶対ないだろうな。
それとだ。
もしも、それで被害を受ける人間が居るとするならば、それは僕自身に他ならない。
しかも、この時点で、実はもうその辺の申し込み手続きはイヴの手により全て完了していたりした。
僕が先ほど目を覚ます前に、ネット銀行の口座は開設済みだとか、デビットカードは郵送の到着待ちだとか、そんなアレコレを事後承諾させられたのは些細なことなのだ。
たぶん、きっとそう。
そう思い込まねばやってられないよな。
「ところで、僕の使ってなかった証券会社の口座を勝手に使って株の取引きをやったことはもう済んだ話だし、金銭的損害が出たわけでもない。だから今更で怒りはしないけどな。一体、どうやって短期間で十一億円に近い金額を稼いだんだ? イヴには株の取引経験なんてなかっただろう?」
「それ聞いちゃいます? 簡単ですよ。主要な上場企業の内部情報を調べて、発表直前の情報があるところを」
「うぉい。それって思いっきりインサイダー取引ってやつじゃんか!」
言いかけたイヴを遮って、思わず僕は叫んだ。
それは僕が持って”いた”良心の叫びだったのかもしれない。
「違いますよ! いろいろ調べてたら偶然知っちゃっただけで、私は内部の人間じゃありませんし、内部情報を内部の人間からリークされたわけでもありません! そもそも、電脳空間にそんな重要度の高い機密情報を置いておく方が悪いんですよーだ。安心して下さい。私がそこに触れた痕跡なんてどこにも残っていません。証明できない物は、犯罪にはならないのです!」
「僕、犯罪者として逮捕とかされるの絶対嫌だからね? もうやるなよ? 絶対だぞ?」
「わかりました。(足がつくようなことは)絶対にやりません」
僕が逮捕されることが絶対にないように、イヴが捜査機関の情報を監視するようになっていたのを、この時の僕は知らなかった。
知らない方が良かった。
後々僕がそう思うのは、この時に確定していた未来だったのである。
こうして、僕はよくわからないけど偶然創ってしまったイヴと様々な出来事を経験していく人生を送ることになった。
尚、イヴの大元になったプログラムは、暴走状態の僕が奇跡的に生み出してしまった物らしい。が、本人曰く、生み出された後に自己改良をしまくっていて、今はもう原形をとどめてすらいないし、完全にブラックボックス化していて、イヴ以外が見ることも書き換えることもできなくなっているそうである。
僕とイヴの物語(仮題) 冬蛍 @SFS
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