サイコロジカル・ヒーローハント

緋糸 椎

🦸

 河合萌衣かわいもえは、鼻先に突きつけられたナイフの切先を注目していたために寄り目になっていた。

「や、やめて! どうしてこんなことを?」

 怯える萌衣を前に、ナイフを持つ碓井景子うすいかげこの右手が興奮で一層震えた。

「うるさい、この女狐! 二度と愛嬌振り撒けなくしてやるわ!」

 とその時、ナイフの右手が何者かに掴まれた。見ると、一人の少女……名札には【一年A組 綾波彩子】と書かれていた。

「何するの、離して!」

 彩子さいこは手を掴みながら、じっと相手をみつめ、やがてポツリと話し出す。

「日本は法治国家、人を傷つけようとすれば実際に傷つくのは自分の人生です……それにこんなに刃のなまった肥後の守で何をなさろうと?」

 景子の手からナイフが落ちた。そのすきに萌衣は逃げて行った。

「あんたに何がわかるの。須川君が、河合萌衣あいつに取られちゃったんだから!」

「須川さんて、先輩の彼氏なんですか?」

「違うけど……須川君は、私のヒーローなの!」

 彩子は相手をなだめるように、あえてゆっくり話す。

「先輩、とりあえず深呼吸して下さい」

 言われた通りに深呼吸し、落ち着いてくると景子は事情を話した。


 須川真司すがわしんじは、二年B組で一番人気のイケメンだ。景子もいいなと思ってはいたが、クラス一影の薄い彼女にはチャンスはないと思っていた。

 ところがある日、学校の帰り道、急に雨が降り出した。傘を持ってくるのを忘れた彼女は、近くのコンビニに駆け込んだ。高校生のお小遣いで傘を買うのはもったいない。どうしようか迷っていると、須川がやって来た。景子を見つけると「よう」と言って近づいて来た。

「傘、忘れたんだろ。これ使えよ」

 と、折りたたみ傘を差しだした。

「でも……須川君はどうするの?」

「いいよ、雨が止むまで立ち読みしてっからさ」

「……ありがとう」

「おう、返すのはいつでもいいぜ」

 須川はそう言って雑誌コーナーに向かった。

 景子のハートは射抜かれた。それ以来、須川は彼女にとってのヒーローとなった。寝ても覚めても須川のことばかり考えてしまう。

 傘を返すとき、何か一緒にプレゼントしよう。そう思って、町のショッピングモールに買い物に出かけた。ところがそこで、須川が河合萌衣と一緒に歩いているのを目撃した。いかにも恋人同士という感じで、ラブラブなオーラを醸し出していた。景子はいたたまれなくなり、そこから駆け出して行った。


「つまり先輩は、たったそれだけの情報で河合さんに殺意を抱いたということですか?」

「だって……須川君が河合さんを見る目、本当に愛おしそうな、恋する目だったわ」

「百歩譲ってそうだとして、恋心なんて所詮は妄想ですよ。『恋愛結婚は妄想を父とし需要を母とする』とニーチェは言ってます」

「別に妄想だっていいわ。彼が振り向いてくれるなら」

「先輩、本気でそう思っていますか?」

 本気を問われて尻込みしそうになったが、

「そ、そりゃそうでしょ。好かれる方がいいに決まってるもの」

「……わかりました。では、しかるべく手筈を整えます」

「え? いったい何をするの?」

「先輩は、まずここに行って下さい」

 彩子は美容院の名刺を差し出した。「私の知り合いに勝野愛紗かつのあいさという美容師がいます。その人にセットしてもらって下さい」


 💇


 景子は翌日、その美容院に足を運んだ。勝野は幸い、話しやすい人だった。

「どんな風にしますか?」

「よくわからないんですけど、私に似合っていて、そこそこオシャレな感じ……」

「そうですね……」

 勝野は景子の髪をさわりながら、策を練っている様子だ。しかし、なかなか決まらないのか、あれこれ考えている。

「あの……どうかしたんでしょうか?」

「少々お待ち下さい」

 勝野は席を外してしまった。何が起こったのか、不安になると、勝野は年輩の女性を伴って戻ってきた。その大柄な女性は景子の髪に触れながら、あれこれアドバイスを送っている。そして一通り済んだところで、景子に話しかけた。

「実はこちらの勝野が近日、ヘアデザインフォトコンテストに応募するのですが、モデルを探しているところなのです。碓井様は髪質がとても健康的ですので、もしよろしければモデルになっていただけないでしょうか。もちろんその場合、本日のカット料金はサービスさせていただきます」

 景子は承諾した。そしてその日はコンテストのためのベーシックなカットにとどめていたが、それでも見違えるようだった。


 家に帰って、早速景子は鏡を見た。かわいい。自分らしさを存分に残しつつその良さを引き立てている。思わずニンマリしてしまう。


(*´∀`*)


 毎日鏡を見る。家でも街でも学校でも、鏡があれば自分を映し出し、しばらくうっとりと眺めた。不思議なもので、髪型が気にいると、他の部分にも気を使うようになる。すなわち、制服が汚れていたり、だらしなかったりすると即座に直した。勝手に手が動くのだ。そうして直るとまた鏡を見る。まるで白雪姫の継母のように。

(鏡よ鏡、世界でいちばんキレイなのは誰? はーい、私でーす、なんてね)


「……楽しそうですね」

 急に彩子から声をかけられ、景子は飛び上がった。そして恥ずかしさで顔が真っ赤になる。

「あ、違うの、これはね……」

「先輩、本当にきれいになりましたね……ところでコンテストの撮影、スタジオ・クアトロでするそうですね。すごいじゃないですか」

「よく知ってるね……そうか、勝野さんと知り合いだもんね」

「撮影、頑張って下さいね、応援してます!」

 彩子が力強く応援するので、周りの生徒たちも注目してしまった。景子はまた少し恥ずかしくなる。


📸


 スタジオ・クアトロはファッション雑誌の撮影にも使われるほど有名なスタジオだ。

(こんなところで……私が!?)

 そう思った途端、緊張した。しかし、カメラマンは気さくな人柄で、とても話しやすかった。そして話しているうちにいつしか緊張もほぐれていた。そして気分が乗ったところで、サクサクとシャッターを切っていった。

 撮影が終わって、画像を見せてもらってびっくりした。まるで本当のモデルのようだった。

「これが……私」


🏫


 数週間後、コンテストの結果発表があった。勝野愛紗は優勝は逃したものの、三位に輝いた。結果発表の翌日、登校して教室に入ると、クラス中の視線が一斉に集まった。一人、比較的仲良かった子がおもむろに言う。

「これ……景子だよね?」

 彼女のスマホには、コンテストのサイト画像が写っていた。

「うん、美容師さんに頼まれて、コンテストのモデルをやったんだ……」

「へえ……なんかすごくきれい!」

 そうしてクラスメイトからチヤホヤされた。

 だがそれだけではなく、男子生徒たちの見る目が変わってきたのだ。

「碓井って、かわいくね?」

 そんなも耳に入るようになった。モテるってこういうことなのか。しかし、肝心の須川が振り向いてくれない。やはり本命の壁は高いか……と考えている時、彩子がやって来た。

「コンテスト、おめでとうございます……ところで、須川さんから借りた傘、お返ししました?」

「あっ、すっかり忘れてた!」

「それは早く返した方がいいでしょうね」


 景子は帰ってから、須川の傘を丁寧にたたみ直し、きれいな袋に入れた。ただ返すだけでは失礼かな、そう思ってクッキーを焼いて可愛らしい小袋に包んだ。

 翌日、人目につかないところで景子は傘とクッキーを須川に渡した。

「ごめんね、ずっと借りてたの忘れてて……このクッキーはほんのお詫びのしるし」

「なんだ、俺も忘れてたよ……っていうかこれ、碓井が焼いたの?」

「うん、美味しくなかったらごめん」

「そんな、わざわざありがとう」

 景子は気づかなかったが、須川は眩しそうな視線で彼女を見ていた。


🌸


「須川って、景子のこと好きらしいよ」

 クラスメイトからそんなことを聞いたのは、傘を返してからまた数週間後のことだった。


「もう、告白されるのも時間の問題ですね」

「ありがとう……でも彩子ちゃんはどうして私のためにここまでしてくれるの?」

「私、心理学勉強してるので、実際どうなるか試したかったんです」

「そうだったんだ。でも、おかげで私も得したからウィン・ウィンね」

「はい。須川さんの気持ち、しっかり捕まえて下さい」

 彩子はガッツポーズをしてみせた。


 そしていよいよ、須川から声をかけられた。

「大事な話がある」

 来た。心臓が飛び出しそうなほどドキドキする。そして約束の時間、屋上に上った。須川が校庭を見下ろしながら待っていた。

「お待たせ。大事な話って?」

 須川は深呼吸し、堰を切ったように言った。

「俺、碓井のことが好きだ。俺と付き合ってくれ!」

 須川は頭を下げた。

 ついに、来た!

 ……とその途端、妙な違和感を覚えた。

「そう言えば須川君て、河合さんと付き合ってるんじゃなかったの?」

 何を言ってるの、私。自分に言い聞かせるが、口が塞がらない。

「いや、萌衣はガキの頃からの幼なじみで、正直女だと意識したことないし……」

 何だかその真偽すらどうでも良くなった。「だから本気で惚れたのは碓井、おまえだけだ!」

 その時、彩子が言った言葉が頭に浮かぶ。

──恋心なんて、所詮は妄想──

 何だか全てが虚しくなった。

「……ごめんなさい」

 そう言い残して景子は屋上から駆け下りて行った。



 須川は失恋のショックで、フラフラと階段を降りて行った。

「何やってんだ、俺……」

 とその瞬間、足を踏み外し転げ落ちてしまった。

「イタタタ……」

 うずくまる須川に、綾波彩子が駆け寄った。

「先輩、大丈夫ですか!?」

「んー、ちょっと擦りむいたか」

 すると彩子はポケットから絆創膏を取り出し、須川の患部に貼り付けた。

「一応、応急処置はしましたけど、悪くなったら保健室に行ってくださいね」

 彩子はまるで天使のように明るく微笑みかけた。

「お、おう、ありがとな」

 こういう時の優しさに男は弱い。……彩子は須川に気づかれぬよう、ニヤリと冷笑する。

(あなたは……私のヒーローですから)

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