背景:屋台
かなぶん
背景:屋台
――だからよォっ!
「!」
怒声にも似たその声に驚き、ガバッと顔を上げれば揺れる視界。
「ぉえ? あぁ……寝てたのか」
ふわふわした感覚に一度首を振り、状況を思い出すべく辺りを見渡す。
自分の前には木の板があり、そこには惣菜が乱雑に置かれている。
イカの塩辛、焼き鳥、揚げ出し豆腐、枝豆、ポテトサラダ……
特に決まりのなさそうな惣菜には、どれも一口だけ食べた形跡があった。
(……誰だよ、こんな食い方……俺か?)
顔を洗うように撫でても、居眠り前のことは全く思い出せないが、惣菜に手が伸ばせる位置には自分しか客はいない。
客でなければ木の板を挟んだ向こう、更に調理器具を挟んだ先に、この惣菜を作った店主と思しき男の姿はあるが、余程背が高いのか、顔の見えないその男は、忙しなく腕を動かすばかりで、こちらへ手を伸ばすような素振りもなかった。
(じゃあ、やっぱり俺か。ったく、なんだってこんな食い方……)
もったいないと思い、近い位置にある焼き鳥を手に取る。
一口頬張り、咀嚼。
(……うめぇ。いや、マジで何でこんな変な食い方してたんだ?)
すぐに食べ終わり、串を置く。
続いて他の惣菜にも手を伸ばしかけるが、
(って、待て? こんなに頼んで大丈夫か? 今月の小遣いは確か――)
寒い財布事情を明確に思い出し、ふわふわしていた気分が一気に消し飛ぶ。
記憶にない屋台と思しき店の料理の価格は当然ながら、屋台という販売形式自体に馴染みがないため、標準的な値段も分からないのだ。
しかもどの料理にもすでに一口ずつ箸をつけている。
今更言い訳して支払いを遠ざけられる訳がなかった。
――と、
「へい、お待ち」
(げっ……)
追い打ちをかけるように、木の板の上に新たな小鉢が追加された。
(何頼んでんだよ、俺!?)
どうやら寝入る前に、何かしら頼んでいたらしい。これはさすがにマズいと思い、店主へ泣きつくように注文のキャンセルを告げようとする。
が、その前に店主から宥めるような声がかけられた。
「金なら気にするな。サービスだよ、サービス。今並んでる料理も全部、サービスさ。あんたがそこに座って、注文して、食う。その礼だよ」
(…………?)
言葉の意味を図りかねて眉を寄せる。
(この料理が全部”礼”?……もしかして、これって全部、試供品みたいなもん? 礼って、そういうこと、だよな?)
相変わらず掴めない状況に戸惑いつつ、「ほら、食べてみてくれ。タダだから」と促されたなら、箸置きの上ですでに割られている割り箸を手に取る。
半信半疑ではあるものの、追加された小鉢へ箸先を向け――固まった。
(うげ……なんだ、これ? ゲテモノじゃね?)
迷いつつ、店主からの視線を感じて、震える箸で掴んだのは、見覚えのないぶつ切りの物体。ゴーヤに似ている気がしなくもないが、それにしては黒いし肉厚だ。
(ほ、本当に俺が頼んだのか?)
箸越しに伝わる感触は、貝やイカに似ている気がする。
試しにちろりと舐めれば、甘酸っぱい。
正直、味は悪くないが、食べたい見た目ではない。
それでも、
(……仕方ない)
パクリと一口口に入れたのは、店主の心変わりを恐れてのこと。
食べないなら、ここにある全部が有料だ、といきなり言われるかも知れない。
全く顔の分からない店主の声は、嗄れているのによく通る低音で、そういう横暴さがあってもおかしくないレベルの柄の悪さを感じさせた。
そんな恐怖と共にゲテモノを噛みしめる。
(……あれ? ウマい……)
磯っぽい香りから、海産物には違いないのだが、食感が独特だった。
コリコリしていると言えば良いのか。かといって噛み切れない訳でもない。
一気に食べるのも違う気がして、しばらくは目を閉じて口をもごもご。
――――!
と、不意に誰かに呼ばれた気がして振り向いた。
* * *
――だからよォっ!
「!」
怒声にも似たその声に驚き、ガバッと顔を上げれば揺れる視界。
「ん? あぁ……寝てたのか」
酔っ払った感覚に一度首を振り、状況を思い出すべく辺りを見渡す。
自分の前には木の板があり、そこには惣菜が乱雑に置かれている。
イカ焼き、焼き鳥、冷や奴、漬け物、肉じゃが……
特に決まりのなさそうな惣菜には、どれも一口だけ食べた形跡があった。
(……ああ、飲んでる最中か。道理で気持ちイイ訳だ)
顔を洗うように撫でる。
記憶は不鮮明だが、どうやら屋台で一杯引っかけていたらしい。
誰かツレがいたら迷惑だったかもしれないが、屋台を陣取っている客は自分だけ。ゆっくり出来る状況を知って、年季の入った木板の向こうにいる店主が、手際よく調理しているのをぼんやり眺める。
(背の高ぇオヤジだなぁ……)
低い位置で近い距離だというのに、店主の顔は暗がりに隠れていてよく見えない。が、手元の明かりだけで一品を仕上げていく様子から、そこそこの熟練年数が感じられた。
(さて、出来上がるまで何かつまむか)
自分しか客がいない中での調理は、たぶん、寝入る前に何かしら頼んだため。
何を頼んだかはまるで覚えていないが、出てくるまでの時間、ずっと店主の手元を見つめ続けるのももったいない。
並ぶ惣菜の数々に、とりあえず、と選んだのは焼き鳥。
一口頬張り、咀嚼。
(うん、旨い。熱々とはいかないが、これはこれで中々)
すぐに食べ終わり、串を置く。
次はどの惣菜を食べるか迷いに迷っていれば、
「へい、お待ち」
店主のかけ声と共に、新たな小鉢が追加された。
(せっかくだ。出来たてを食べるか)
箸置きから割り箸を手に取り、行儀も悪く小鉢を箸で引き寄せる。
(おや?)
が、その中にあるモノを見て眉を寄せた。
(これを、俺が……?)
そこにあったのは、ちょこんと中央に寄せられたオレンジ色のモノ。
これが海産物の塩辛であることは知っており、先ほどの店主の調理は何だったのかという疑問もあるものの、それ以上に、これを自分が頼んだ事実が不可解だった。
言ってしまえば、これは嫌いなモノ。
あまり好きではない味に、好きではない食感。
(本当にこれを頼んだのか? どんだけ酔っていたって言うんだ……)
今もって酔いの回った感覚はあるものの、だからといって、果たして本当にこれを自分が頼んだというのか。
(……どうせなら、なまこ酢が食いたいんだが)
現実逃避するように、味も食感も違う海産物が頭を過った。
冗談にもほどがある。
とはいえ、記憶にはなくとも頼んだ手前、一口くらいは食べるべきか。
(……待ってなかったんだよなぁ)
心の中で店主に愚痴りつつ、パクリと一口。
(……んん? 旨い?)
程良い塩気と磯の香り。
ぬめりのある食感だが、歯触りが良い。
(これは……酒も追加したくなるな……)
この塩辛を口にして、初めて出てきた感想に、しばらくは目を閉じて味わう。
――――?
と、不意に誰かに呼ばれた気がして振り向いた。
背景:屋台 かなぶん @kana_bunbun
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