焼き鳥の串

紗久間 馨

仕事帰りの居酒屋にて

 お気に入りの居酒屋がある。テーブルとテーブルの間にすだれが掛かっていて、周りがあまり気にならないのが良い。

 ここにはいつも一人で来る。気をつかうことはないし、好きなものを食べて好きなように飲む。至福の時間だ。

 

 必ず注文するのはだし巻き卵。口に入れると出汁だしの香りが広がる。醤油をかけずにそのままの味を楽しむのが好きだ。ふわふわで口の中が幸せになる。

 あとは枝豆と梅酒。ロックかソーダ割りで飲むことが多い。ほどよい塩味の枝豆と梅酒の甘みがよく合う。

 最後にお茶漬けで締める。その日の気分によって鮭か梅か決める。胃が優しい温かさで満たされていく。

 他にも注文するが、いつも決まって注文するのがこの四つだ。


 ある日の仕事帰りもその居酒屋で夕飯を食べることにした。

 だし巻き卵に梅酒と枝豆。そして、とりもも串をタレと塩で二本ずつ。タレの濃厚な味もいいし、塩のさっぱりした味もいい。

 いつもどおりに一人の時間を満喫していた。そろそろお茶漬けの注文をしようかという時、すだれの向こうに男女が案内されてきた。会話から想像するにカップルであろう。そんなことは関係ない。さあ、お茶漬けだ。

 鮭茶漬けを注文した。温かくて美味しい。半分ほど味わったところで、隣から気になる言葉が聞こえてきた。


「お前さあ、焼き鳥は串から外して食べろよ」

「なんで? そっちだって串からそのまま食べてるじゃない」

「俺は男だからいいんだよ。女は串から外したほうが品がよく見える」

「なにそれ。意味がわからない」

「元カノは串から外して食べてたんだよなー」

「はあ? なんで今、元カノの話するの?」

「そうしたほうがカワイイと思っただけだし」

「焼き鳥はそのままで食べるから串に刺さってるんでしょ。串から外すのが正解なら、最初から串に刺さないで出せばいいんだから」

「いや、串から外して食べる女は上品に見えるって話な」


 静かに喧嘩が始まった。せっかく良い気分で帰れると思っていたのに。残りのお茶漬けを急いで食べて席を離れた。

 家に帰るまで歩きながら、なんで元カノの話なんてしちゃうかなー、と考えていた。火に油を注いだようにしか聞こえなかった。

 カップルのその後なんてどうでもいい。コンビニに寄ってプリンを買った。今日という一日の終わりを幸せにするためのプリンだ。それでカップルの喧嘩のことは忘れよう。

 帰宅後、焼き鳥は串からそのまま食べるのが一番だと思いながら、優しい甘さのプリンを味わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焼き鳥の串 紗久間 馨 @sakuma_kaoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ