『焼き鳥が登場する物語』を書けって言われたからこうなった
真野てん
第1話
ある晴れた昼下がり、ヒゲのマスターが営むオシャレなカフェで、ひとりの女性が時間を気にしていた。
ソワソワと。
不安そうな視線が、数分おきにスマホ画面と入店口とを往復する。
「待ち合わせかい」
ダンディを絵に描いたようなマスターは女性にウィンクをして言う。
すると彼女は頬を染めながら、こくんと小さく頷いた。
「彼氏?」
「いえいえっ」
女性は慌てて否定するものの、まんざらでもない様子だ。
白い肌に長いまつげが影を落とす。
ひかえめに言っても、その辺のアイドルなんかよりもよっぽど可愛らしい。
マスターはそんな彼女の姿をまるで、孫娘でも愛でるかのように目を細めて見守っていると、入店口の方から「カラン」という音が聞こえてくる。
古めかしいドアベルの音だ。
伏し目がちだった女性の顔がパァっと明るくなる。
「あ、ぼんじり君、こっちこっち!」
身長は180センチ。中肉中背。
職人の手仕事により、余分な脂をそぎ落とされた端正な顔立ち。
串打ち三年、焼き一生とはよく言うが、よほどの調理人に生み落とされたことは明らかな見目麗しい――焼き鳥だった。
しかも一羽の鶏からひとつしか取れない希少部位のぼんじり。
なるほどこの男ならば――と、乙女の
ぼんじりは名前を呼ばれると、いそいそと彼女の待つテーブル席へとやってきた。
器用に竹串を折り畳んで椅子に座ると、マスターにブレンドコーヒーをひとつ注文する。
「ご、ごめんねっ。急に呼び出したりして……迷惑――だったかな?」
ぼんじりは無言で首を振った。
粒のそろった切り身のぼんじり。しかし一口目にあたる一番上の鶏肉は少し大きく切り分けられており、左右に振られた勢いで揺れている。
これは一口目の満足感を演出するための職人の技だ。
マスターはうんうんと、誰に語るでもなく、満足げに頷いている。油壷を切ったあともキレイに処理されており、臭みもない。
ますます気に入ったという顔をしていた。
「あ、あのね……彼のことなんだけど……。やっぱり……浮気……してるみたい」
そこから女性は堰を切ったかのように、ぼんじり相手に想いをぶつけていく。
彼氏のこと、その浮気相手のこと。
仕事もうまくいってない。両親は早く結婚しろとうるさい。
上の階の住人がたまに奇声を発している。
あれも嫌だ。これも嫌だ。
もう誰か助けて――。
ぼんじりはただただ無言で女性の話に耳を傾け、頷き続けた。
時折、怒りに震える彼女の手を優しく触れると、甘くてジューシーな食感が、ささくれた女性の心を癒していった。
「――ありがとう。やっぱりぼんじり君は優しいね。わたしいっぱい愚痴っちゃった」
ぼんじりは「そんなことないよ」と、身振りを交えて恐縮している。
ほどよく脂の乗った
「わたし――ぼんじり君と付き合えば良かったな……」
上目遣いの女性の横顔は真剣だった。
少なくともヒゲのマスターにはそう思えたのだが、ぼんじりの反応はすこぶるタンパクで、カロリーオフにもほどがあった。
やがて女性は急に顔を赤らめて、すぐに席を立ちあがる。
「ご、ごめんっ。わ、わたし、変なこと――」
カラン。
古めかしいドアベルが店内に寂しく響き渡る。
彼女はぼんじりをその場に残し、慌てて店を出て行った。
動揺するぼんじり。
一体どうすればいいのかと、一番上の肉を抱えている。
するとマスターは呆れを通り越して少し怒ったような様子で彼にこう言った。
「尻込みしてねえで、さっさと追いかけろい! ぼんじりだけにな!」
ぼんじりはマスターの言葉に背中を――いや尾骨を押され、女性を追い掛けて店を飛び出した。残されたのはふたつのカップとアロマの香り。
そして備長炭で焦がされた一組の愛のカタチであった。
『焼き鳥が登場する物語』を書けって言われたからこうなった 真野てん @heberex
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