第2話
◆◆◆
今から約十年ほど前。
地球の、とあるテレビ局の番組内。
煙のように、というより、闇の中で光が差すように彼女は現れた。
どこからともなくカメラの前に現れて、優雅な手つきでレポーターからマイクを借り、マイクなんかなくても遠くまで響く美しい声で「聞こえますか?」と音響のテストをする彼女は、人間離れした美女である。
「ご機嫌よう、俺はセージさん」
冷静に考えたらありえない話だが、誰も彼女の演説を止めようとはしなかった。
その場の全員がこの状況を自分だけが知らさせていない新人アイドルの売り出しイベントか何かだと勘違いして、割り込んだら怒られると思ったからだ。多少の不自然さは捩じ伏せてしまえるほど彼女の美しさには説得力があり、有象無象を黙らせる迫力があり、地上に降臨した神様のように堂々としていた。
「地球のみんなに直接話しかけるのは初めてだけど、俺はこの星のお姫様です。今、全生命体に通じる言葉を使い、この映像を皆様の脳に直接訴えかけています」
そういうわけだから、おかしなことを言っているのに、誰も彼女を止められない。
「今度から、地球の平和は俺たちが管理することになりました。あらゆる自然災害は大事になる前に“ケイ”が食い止めるので、もうみんなが水害や地震に備える必要はありません。ありがたいことだよね。この世で最も怖いとされてる地震雷火事親父の、親父以外は俺たちが何とかするんだから」
……詳しく聞けば『ケイ』というのは組織の名前で、彼女はそこの代表らしい。
自然災害を止めるなんて無茶なことだが、冗談を言っている雰囲気ではなかった。
「その代わり、みんなにいくつかのお願いがあるんだ。……ひとつ、俺たちのやることに口出ししないこと。ふたつ、俺たちの言うことは絶対。三から十まで俺たちの言うことは絶対。今後はそれが地球に住むためのルール。守ってくれるなら、地球環境を一生管理して安全を保証してあげる。一週間後に、みんなに返事を念じてもらうよ。もし反対意見が多かった場合は、何かしらの処置をするからよろしくね」
──突然伝えられたメッセージに、世界中は騒然とした。
みんな不思議がったが、一週間後に『分かりました』と念じる者はいなかった。誰もが集団白昼夢か幻覚だと思い込み、まともに取り合う者が少なかったのだ。
その結果、一週間後の地球からは海が消えた。
正確に言えば海の水は一塊の球体になって、ぷかぷかと宙に浮いていた。
丸見えになった地面のプレートを背景(バック)に、セージの演説が再び始まる。
「とりあえず水を止めてみたけど、早く返事が聞きたいな。……一週間後に返事がないなら、次はガスか電気だよ?」
咲き誇る花のように美しい笑みである。言ってることとやってることは侵略者以外の何者でもないが。
さぁ恐ろしいことになったぞと、みんな今更自覚して青ざめた。
魚や海藻はどうなるんだ。
あの水球が落ちたらどうなるんだ。
ウチの家内は漁師なんだぞ。
ウチの旦那なんか船で漁に出たっきりまだ戻ってないんだ。助かるのか?
早く返事をしないと、今度はガスと電気がなくなってしまうの?
ガスと電気がなくなったら、次は何?
みんな怖くなってしまって、パニックになって即座に祈った。『疑ってすみませんでした。従います』と、地球上の九割が返事をした。
残る一割は世界中の偉い人たちで、国の代表が集まって会議が開かれる事態になった。彼らには面子があり、何より地球が大事だったので、セージにも、よく分からない組織なんかにも、頭を下げて支配してくださいと願うわけにはいかない。と思っていたのである。
全員が席につき、いざ会議が始まろうとした瞬間。会議室の扉が開いてセージが現れた。
「ご機嫌よう」
艶やかな姿にヒッ、と悲鳴が上がり、非常警報のサイレンが轟き、太ったカラスたちは鳴き声を上げて飛び去ろうとした。どのカラスも丸々と太っている。
セージは扉の鍵をかけ、鍵と取っ手をぽきりと潰し取り、出られないように細工をすると、これ以上なく綺麗な顔で「どうして賛成してくれないの?」と聞く。
「あとはキミたちだけなんだ。ここで賛成してくれるなら、今すぐ海は地上に戻すよ」
全員黙って座っていた。ここには窓がなく、扉を壊されては逃げられないと分かっていたからだ。非常ベルは鳴り続けていたが、助けが来る気配はない。
……彼女の言うことが本当なら、警察も軍隊も、自分たち以外全ての人間が彼女の支配下についたことになる。これはとんでもないことだったので、カラスたちは口々に彼女を罵った。この支配者め。人類を奴隷にして、何をするつもりだと。歯向かう意思を見せつけた。
「……なんか勘違いされてるみたいだけど、俺がやりたいのは“支配”じゃなくて“管理”ね。俺が大家でみんなは店子。ルールを守って普通に生活する分には、何にも口出さないよ」
フワフワした薄桃色の髪が、会議室の白い壁に映えている。
彼女の要求は地球を守ることだった。自分は星のお姫様で、この星の希望である。多くの生き物が平和に生きるために、一緒に協力してほしいと言うのであった。
「信じられない。何が姫だ」
偉い人たちの中でもリーダー的な人が言う。
「じゃあ、どうすれば信じてくれる?」
「どうもこうも! 何があっても信じるわけにはいかないね。この広い世界を自分のものにしようだなんて、烏滸がましいと思わないのか?」
「ふーん」
……ヒャッ……。
空間がグニャリと歪み、室温が一気に下がる。床に穴が空き、中心に置いてあった円卓が落ちた。真っ黒い穴には底が見えず、落ちた音も聞こえない。大きな大理石の机だったのに。
「俺ね、別に信じられないならそれも仕方ないって思ってるんだ」
「そうか」
「けど他の人がルールを守ってるのに、例外を許すのはナシだと思ってる」
……ヒャッ……。
床の穴がゆっくりと、僅かに広がる。
広がり続けている。
「俺の星に住むための条件が飲めないなら、他の星を探すといいよ。宇宙に星はいっぱいあるから、一個くらい受け入れてくれる場所もあるかもね」
カラスたちは決心した。
何しろ彼らは地球が大好きなので。
基本的には出て行きたくないので。
他のみんながルールを守っているのに、自分だけが我儘を言うわけにいかないので。
そういうわけなので、セージに従うことを決めた。
穴は塞がって、地球に海が戻ってきた。
地球防衛特殊組織・《K》は、以来ずっとメンバーの入れ替えなどをせず、公約通り地球を守り続けている。
大きな地震も津波も雷も火事も起きていない。本当に災害に関しては平和な世界が訪れたのだ。
だから普通、誰も《K》には逆らわない。災害を自力で止めるヤツらなんて単純に怖い。普通に暮らしている人間には無害だが、表立って逆らったら冗談抜きで地球から追放されると分かっているからだ……。
◆◆◆
時は流れ、現代。
赤いランプを点灯させて、ウーー! ウーー! とけたたましくサイレンを鳴らして公道を走るパトカーが一台。
「そこの赤いスポーツカーに乗ってる男! 止まれっ! 止まりなさい!」
メガホン越しに飛んでくる大声に耳を傾けつつも、赤いスポーツカーに乗った男は猛スピードでパトカーの前を走り続ける。
「……ああ言ってるけど、止まるかい?」
チラ、と男が助手席の方を見ると、上質なチェアーの上には煌めく銀髪の美少女が、呑気に、表情ひとつ変えずにチョコレートチュロスをかじっていた。
「冗談じゃないわ。あんな、人の名前もちゃんと呼ばないくせに口を開けば命令ばかり、他人を悪者だと決めつけては精神的にも肉体的にも追い詰める……頭のおかしな税金泥棒連中の言うことなんか聞くものですか」
「捻くれてるなぁ……私と一緒」
ククッと、運転手は苦笑い。
薄い唇が弧を描き、赤っぽい瞳が細まった……タイトなブラックジーンズに編み上げたロングブーツをスラリと履きこなし、灰色のハイネックシャツの上に白衣を羽織った、悪魔のように美しい男である。
「というか、キミは税金なんか払ってないだろう?」
「あら? 消費税は払っていてよ。ミセスチュロスのダブルチョコレート、一本二百円にプラス税」
少女はそう言って、棒状の揚げ菓子をドライバーの前にチラつかせた。温かいチョコレートソースの香りが男の鼻腔をくすぐる。
「……ありがとう。でも俺、甘いのは苦手なんだ」
「嘘ね。人前じゃカッコつけてブラックコーヒー飲んでるけど、一人のときはこっそりパフェ食べてるでしょう。イツカ知ってんだから」
「むう」
「いいじゃない。恥ずかしい秘密も人前じゃ出来ないことも二人の間にはナシにしましょうよ。イツカたち婚約してんだから」
はい、アーン。と半ば強引に差し出されたチュロスを、男は顔を真っ赤にしながら一口食べた。
「美味しい?」
男は頬を膨らませて、モシャモシャと咀嚼しながらコクリと頷く。
……ここで一言『間接キスね』と言ってやれば、更に照れてくれるかしら。
イタズラみたいに思いついた少女は、今すぐにでも実行しようとした。この初心で愛しい黒髪ロン毛が照れまくる姿を少しでも多く網膜に焼き付けてやりたかったのである……しかし。
「赤のスポーツカーのドライバーである黒髪ロン毛と同乗者のお嬢さんに告ぐ! 止まりなさい! これ以上罪を重ねるなと離れて暮らす故郷の親が泣いてるぞー!」
……背後がうるさくてイマイチ集中できない。
「あの人、何言ってんのかしら」
チッ、と舌打ちしながら振り返る。
自分の親は隣にいて、故郷も何もここが地元で、全てが的外れ。全くの見当違いなのに自信満々に『犯罪者にはこう言っとけばいいだろう』と決めつけられ接されてるのが気に食わない。
気分を害した少女は車のドアを開けて、助手席からヒョイッとトランクの上に飛び乗った。
少女の考えを察したスポーツカーのスピードが少し落とされて、パトカーとの車間距離が縮まってゆく。
少女は両腕を伸ばしてパトカーのボンネットを掴むと、無表情でこう言った。
「いいこと? イツカには、七姫イツカって名前があって」
何をするんだ。やめろ。と慌てる警官たちの言葉を無視して、彼女──七姫イツカは続ける。
「彼には、黒城緋路って名前があるのよ」
イツカは両腕を高く上にあげて……その細腕からは想像も出来ないほど軽々と持ち上げたパトカーを、ティッシュ箱で虫を叩くみたいに勢いよく振り下ろした!
タイヤがパンクする音、何か部品が壊れたような音、警官たちの悲鳴……様々な音が混じり合って大混乱を起こすパトカーを手から離して、イツカは助手席に帰還する。
「相変わらず凄い力……」
ミラー越しに見ていたドライバーが小さく笑う。
「何言ってんのよ。イツカをこんな身体にしたのは紛れもなくヒロさんだわ」
イツカは収納ボックスからレモンティーのペットボトルを取り出して飲み、残り半分くらいのチュロスを全て食べてしまった。
◆◆◆
私の名前は七姫一花(ななき いちか)ツー。
呼びにくいから縮めてイツカちゃんと呼ばれているが、だったら最初から五花とか衣津華とか威都華って付けてくれりゃあいいのにと思わずにはいられない。イチカツーをどう縮めてたってイカツちゃんかイチツちゃんにしかならないし、人の名前にツーって付ける?
「イツカちゃん。そろそろ着くよ」
そこかしら改造しまくりのスポーツカーを運転するのは、イケメンで高身長で頭もいいイツカ自慢の婚約者・黒城緋路さんだ。
「結婚式場決めるの楽しみね。どこの教会にしようかしら? でも白無垢を着る場合は神社とか?」
「パンフレットを貰って、気になるプランはプランナーの人に聞こう」
「でも、人目につく場所に行って大丈夫? 一応イツカたちは逃亡中の身なのだけど……」
「なーに、追手は撒いたしセージは倒した。ヤツらも私にばかりかまけていられないだろうし、暫くは大丈夫だろう」
不敵に微笑む婚約者は悪魔のように美しく、自信に満ち溢れていた。
「それに……どんなに強い追手が来ようと、キミの馬鹿力に敵う者などいないさ」
「女の子に向かって馬鹿力なんて可愛くないわね。言葉を選んで?」
「馬も鹿も可愛いじゃないか。お目々くるくるしてて」
可愛いけれども。
「ヒロさん、馬と鹿が悪いんじゃないわ。イツカが言いたいのは馬鹿って言葉が……」
「もっと可愛い動物ならば満足かね? ポメラニアンマンチカン力(ぢから)とか?」
「そんな噛みそうな名前作らなくても、力持ちでいいのよ」
人の話を聞かない上に、変わり者で発想が斜め上。若き美形の天才科学者・黒城緋路が女の子にモテない理由がここにある。
「……すまないね。イツカちゃん」
突然、妙にしんみりした口調で謝られ、「え?」と変な声が出る。
「どうしたの? 馬鹿力のことならいいのよ。今後力持ちと呼んでくれれば……」
「私は天才で美形で高身長だが、性格が悪いせいで社会的地位が低い」
驚くことに自覚していたらしい。
「性格以外は完璧すぎるから隙がなくてモテないし、完璧すぎる故に友達もいないし、両親共に良い親とは呼べない。家族関係は複雑で最悪だから、結婚相手としては結構な事故物件なのだが……」
「その自信満々さが鼻につくからモテないのだと思うのだけど」
「とにかく、私の婚約者になって後悔してないかね」
いわゆるマリッジブルーというやつだろうか。結婚式を前にしてモニョモニョと今更なことを呟いている。
確かに彼は物心つく前から両親に捨てられて、学校にもロクに行かずに勉強ばかりしていたような人だ。友達を作るべき時期に作らなかった弊害として携帯の連絡先には片手で足りる数しか登録されてない……まぁ、でも。一応弁解しておくと。根は正直で優しいところもあるので、悪いばっかりの人でもないのだ。逃亡犯だから説得力がないけど。
しかし何より、イツカは彼を嫌いになれない理由がある。
「イツカがヒロさんを嫌うはずないじゃない。逆にヒロさんこそ、そのうちイツカを捨てるんじゃない? 不倫は男の文化とか言うしー……」
「馬鹿を言うな。私は“自分の創作物”を捨てることはしない」
──イツカは、天才科学者・黒城緋路によって作られた人造人間。お人形は持ち主を嫌えないものである。
レプリカ☆ガール 花守美咲 @touno1
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