ビアンカさんは取り扱いが難しい(KAC20226)

寺澤ななお

第1話

ビアンカさんは言わずもがな美人である。スペインと日本のハーフでその比率は芸術的だ。アパレル雑誌のモデルと比べても決して劣らない。


ややブラウンの肌色。すっきりとしたやや高い鼻。彫りが深い瞳はきれいなダークブラウンに染まっている。いかにもラテン系を感じさせる特徴を持ちながら、髪は大和撫子やまとなでしこそのものだ。遠くから見ても艶が見える漆黒の髪が、肩甲骨のあたりまでまっすぐに降りている。歩けば、その髪がしなやかに揺れる。


それでいて、冬眠明けの子熊のような無邪気な笑顔を併せ持つものだから、同性にも敵はいない。皆が毒気を抜かれてしまうのである。


なりよりも仕事熱心で優秀だ。


ビアンカさんが焼酎を製造、販売する我社に入社したのは8年前のこと。東京本社の受付兼営業補佐として採用された。

会社としては海外からの引き合いに対応するための増員だった。彼女はスペイン語に加え英語もビジネスレベルだったのである。日本語こそたどたどしかったが、受付には他にも社員がいたため問題はなかった。


ビアンカさんの美貌はすぐに取引先の評判となる。接待の場への出動要請も多かった。彼女は嫌がることなく、できる限りその要請に応じた。


飲み会での評価も高かった。取引先としては美人と楽しくお話したいぐらいの気持ちだったのだろうが、うちのビアンカさんは、コンパニオンにおさまる女ではない。


彼女の話題はほぼ8割が仕事関連だった。自社商品を売り込む営業トークではない。業界の最新技術や動向などが中心だ。最初は相手への質問が中心だったが、入社3カ月が経つ頃には自分からの情報提供も多くなった。


海外メディアから得たビアンカの情報から議論が始まり、気づいたら予定時間が終わっていたなんてことも珍しくなかった。


これは取引先にもメリットのあるもので、「ビアンカ勉強会」の参加券は奪い合いとなった。


後にビアンカさんは開発部に異動となる。このときには取引先からの苦情が殺到した。だが、これは彼女自身の強い希望によるものだ。「ビアンカ勉強会」はその名の通り、彼女が勉強する場だった。


専門的知識を身につけただけでなく、たどたどしかった日本語もマスターした彼女の異動願いを断る理由がなかったのである。


それを明かしても取引先からの批判は弱まることはなかった。


「早坂ビアンカ氏は業界共有の宝である。貴社に専有するのはいかがなものか」


主力取引先の役員から書面で届いた抗議文には営業部全体が揺れた。


そして、営業部長は「営業部へ戻ってきてほしい」とビアンカさんに頭を下げた。


研究開発に専念したいビアンカさんは丁寧に断り続けたが部長も諦めるわけに行かなかった。


この交渉は半年以上続いた。心が折れたのは部長だった。そして身体も折れてしまった。


役員以上の上層部は、営業部復帰の交渉こそ認めたが、にも退職に至ることがないよう、再三注意していた。これが、真面目な部長の大きな負荷となっていたのかもしれない。なかなかの胃潰瘍が見つかった。


重大なお役目は営業部長代理に回ってきた。

そう、私である。


私はその時すでにビアンカさんの営業部復帰を諦めていた。私にも家庭がある。一家の大黒柱として部長の二の舞いになることは避けたい。


ビアンカさんに提示した代案は「兼任」である。開発部の業務で影響のない範囲で接待に参加。接待は業務扱いとなり、残業代を支給することを約束した。


無難すぎる案だが、ビアンカさんは追加条件を提示することなく了承した。部長が体調を崩したことに責任を感じたのだろう。


てなわけで、まったく私の功績ではないのだが、私の交渉は社史に残る偉業として讃えられた。そして、営業部長への昇格が言い渡された。


元営業部長は定年を前に早期退職することになった。大恩ある部長を蹴落とす形となった私は上層部に抗議したが、結果は変わらなかった。部長自身が早期退職を望んでいるという。


荷物を整理するため、退職前に出社した部長は清々しい表情をしていた。


「くれぐれも身体に気をつけて」


俺を責める言葉はなく、心から俺を心配しているようにみえた。


正式に部長職に就いたあと、その言葉の真意がわかった。


ビアンカさん絡みの調整事が多すぎるのである。


まず、ビアンカ勉強会への参加依頼が想定の3倍だ。部長が兼務を提案しなかったわけだ。とても本業の片手間で対応できる量ではない。


当然、契約を条件に勉強会の参加権利を求めるような依頼も多かった。それに加え、ご子息のお見合い相手としての打診など、クセの強いものもある。


私の心は崩壊しかけた。正確には少し壊れた。


「早坂ビアンカ氏は業界共有の宝である。崇高な意志を弊社の都合で汚すのはいかがなものか」


新規メールを立ち上げ、冒頭にこの文章を打ち込み、ビアンカ勉強会のをその下に羅列した。


一、ビアンカ勉強会はゲリラ開催。いかなる予約も受け付けません。早坂ビアンカ氏(以下、早坂氏)の業務、及びプライベートに侵害しません。


一、勉強会の開催候補地が複数存在した場合、選択権は早坂氏に委ねます。当社は、場所、時間のみを早坂氏に情報提供します。


一、ビアンカ勉強会の開催についての当社への連絡は当社営業部長宛のみ。早坂氏個人への連絡は禁止します。


書き上げたあと、深呼吸し、緊急時のメーリングリストで一斉送信した。すべての取引先、営業部全職員が宛先に含まれたものである。


ようはビアンカさんへの全投げである。


ビアンカさんの好きなときに接待に行けと。

食べたいものを選んで行けと。



送信した瞬間から営業部中がざわつき出した。そして、すぐにおさまった。


「貴社の英断を全面的に支持します」


例の抗議文をよこした取引先からの返信のおかげだ。

大きな後ろ盾を得た我社に反論する取引先はいなかった。


営業部長である私への個人的な批判はあったがそれもほどなくして止んだ。


「部長とビアンカさんは仲が悪いらしい」


そんな噂が流れ始めたからだ。


私としては、ビアンカさんが行かなかったの接待に、営業部長として顔を出しただけなのだが、それを都合良く解釈してくれた。変な噂が立つよりマシなので放っておいた。


ちなみにビアンカさんも鉄則を指示してくれている。接待のお店で選べるという点が特に気に入ったようだ。


ビアンカさんは食いしん坊なのである。


鉄則のもとでは、“どの店で開催するか”が最重要事項となった。

やがて、接待される立場である取引先から、飲食店を提案されるようになった。私は飲食費用の差額を取引先が負担することを条件に了承した。


これにも批判はなかった。

おかしくなっているのは私だけではないらしい。

ちなみに、営業部員にもメリットがあるため、部下の信頼も得られた。


フレンチ、イタリアン、寿司屋、天麩羅、鉄板焼などなど、ビアンカ争奪戦は日を追うごとに加熱していく。


ビアンカさんは気分屋である。

時には大衆居酒屋が割烹料理に勝る。

ビアンカさんがお目にかかれるかどうかはビアンカさんのみぞ知るのだが、禁忌もあった。


それが焼き鳥。


何度か、高級焼き鳥店がリストにあがったのだがことごとく撃沈した。真相を確かめようと社内のメンバーが都内北区の有名飲み屋街で焼き鳥店に連れてったが、見事に箸をつけなかったという。


故に焼き鳥は禁忌となった。

ビアンカさんを焼き鳥には誘っていけないと。


だから私も焼き鳥には誘わない。

どんな状況だろうとも……


今晩は接待が一件しかなく、私とビアンカさんが同席した。二つ星のフランス料理店だ。食事中に大きな商談が成立し、接待は大成功で終えた。

普通であれば、部下の労をねぎらうべきなんだろう。この場にいるビアンカさんを含む部下3名を打ち上げに誘うべきなのだろう。


だか、私は無性に焼き鳥が食べたい。どうしょうもなく。

フランス料理は嫌いじゃない。そして美味かった。だけどもだ。


素材の味を生かしたソース

コース料理であるがゆえに、一歩抑えた味付けの数々

ささやかな量のメイン、そして上品すぎるワイン


そのすべての要因が焼き鳥への欲求をかきたてる。


だが、部下を焼き鳥には誘えない。

今回の商談成功の立役者であるビアンカさんの意向は無視できないのである。


「お疲れさま。後は若いやつだけで楽しんで」


私は部下の一人に2万円を渡し地下鉄へと消えた。


そう。私は管理職である。

金はある。

欲求を満たすためなら多少の出費は許される。



優越感に浸りながら電車に一人揺られていたのだが、なぜか隣にはビアンカさんがいた。


「・・・ビアンカさん」


「はい」


「打ち上げにはいかないのですか?」


俺は前を向いたまま話しかける。


「はい」


ビアンカさんもこちらを向かず話しかける。

窓ガラスの反射で見える彼女はニコニコと笑っている。


「・・・家こっちでしたっけ?」


「いいえ。部長にお供します」


「私の行き先わかります?」


「はい。焼き鳥です」


「何故わかりました?」


「部長の行きつけと聞いております。それにフレンチの後は食べたくなるので。」


「焼き鳥お嫌いでは?」


「いいえ、大好きです」


「北区の焼き鳥有名店で一切手をつけなかったとか」


「ああ、「とりまさ」ですね。あそこは最悪でした」


店名を聞いて、理由がわかった。私も一度行ってから二度と訪れていない。


「たしかにあそこは最悪ですね」


「知ってますか?」


「はい。串に刺さってない焼き鳥は許せません」


ビアンカさんは同意するようににっこりと笑った。


「接待で行かないのは高いからですか?」


僕が続けて問いかけるとビアンカさんは一瞬驚いたような表情を見せ、ゆっくりと頷いた。


そう、焼き鳥は安くなくてはいけない。

好きなタイミングでビールをかっこめるぐらいに気軽でなければならない。

価格を気にして注文してはいけない。


「なぜ、それを言わないのです?」


「高いものは美味しいからです」


ビアンカさんの照れ笑いは最高だった。

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ビアンカさんは取り扱いが難しい(KAC20226) 寺澤ななお @terasawa-nanao

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