カマンベールコロッケを追加で
運河宵
第1話
「焼き鳥のトリって、なんで鳥って書くのか知ってるか」
あっ、またなんか面倒なことを言い出したぞ。
「そりゃ、鳥を焼いた食べ物だからじゃないですかね」
僕は注文用のタブレットから目を上げずに雑な返事をする。
「お前、俺が酔ってると思って適当にあしらってるだろう」
「そんなことありませんよ、ひどいなあ。先輩もハイボール頼みますか?」
予想外に言い当てられて少しひやりとしたのを見せないように笑いながら聞くと、「ん」と頷いたので画面上の『注文数』を増やした。
無難なつまみを何品かポンポンと追加して『送信』を押し、タブレットを机の端に戻すと向かいに座った酔っ払いがまた喋り出す。
「俺はな、気づいたんだよ。焼き鳥のトリは鶏肉じゃないんだ」
「えっ、その話、掘り下げるんですか?」
当たり前だ、とモゴモゴ言いながら炭酸がすっかり抜けたハイボールの残りを流し込むと、空のジョッキをダンッと強くテーブルに叩きつけた。
「鶏の唐揚げはニワトリの肉を使ってるから鶏の唐揚げって書くだろ?でも焼き鳥は『焼き鶏』じゃない、『焼き鳥』なんだ。つまり、焼き鳥はニワトリではない肉を使っている」
「なに言ってるんですか」
何かと思ったら、お得意の揚げ足取りか。この人はいつも、いい歳して男子小学生みたいな突拍子もないことを言い出す。
「簡単には信じられないだろう、俺も最初はそうだった。でもこれは真実なんだ」
だんだんと声が大きくなってきている。
「そんな訳ないでしょう、焼き鳥屋の焼き鳥が鶏肉じゃなかったら大問題ですよ。食品偽装だ」
宥めるように常識的な意見を返す。ハイボールを運んできたギャルっぽい店員が、先輩にちらりと目をやって足早に去って行った。
「俺はこれを世間に知らしめなければならない、焼き鳥に使われている肉は」
「ちょっと、やめてくださいよ」
慌てて遮った。格安チェーン店とはいえ、焼き鳥屋で食事をしながら大声でなにを言うんだこの人は。
「なんで急にそんな、またネットで変な動画でも見たんですか?」
「違う」
黒縁眼鏡の奥の目が露骨にギュウッと不機嫌になる。ちょっと馬鹿にしたような響きが出てしまったかな。でもそろそろこの話は切り上げないといけないだろう。隣のテーブルのカップルも明らかに居心地が悪そうにしているし。
「これは本当なんだ、俺は見た。証拠だってある」
「いや、先輩を疑ってるわけじゃないんですよ、ちょっと突然のことだったので簡単には飲み込めなくて。また今度、素面の時に聞かせてくださいよ」
すらすらと言葉が出る。いつも同じことを言っているからだ。
「本当なんだ、信じてくれ……」
先輩は悔しげに前歯でぼんじりを噛んで勢いよく串を引き抜く。鶏肉じゃない肉を使ってるとか言う割には平気で焼き鳥食べるんだ。
「疑ってないですって、とにかく今日は楽しく飲みましょうよ、ね?なんの肉なんだか知らないですけど、おいしいですよ、焼き鳥」
「しんちゃん先輩が学校来てないみたいなんですけど、タカヤ先輩なにか知りませんか」
「えっ?」
学生食堂で後輩におかしな事を聞かれて面食らう。
「学校にも来てないの?授業に出てないだけじゃなくて?」
僕が入学した年に3年生だった先輩は、僕が4年生になった今年もまだ3年生だ。
「先週から目撃証言がないんですよ、いつもだったら常に部室にいるのに、サッパリ来ないから」
「先週?先週って、」
僕と焼き鳥屋で飲んだのが先週の水曜だ。行方不明になるほど酔っ払ってはいなかったはずだけど。
「アパートも留守みたいだし、全然連絡取れなくて。俺、2万貸してるのに」
あの人、後輩から金借りてるのか。本当にろくでもないな。
僕は自分の財布を開くと、2万円抜いて彼に差し出した。
「立て替えておくよ。債権者が僕になったこと、先輩に連絡しておいて」
「えっ、でも、悪いですよ」
エッデモとか言いながら、既に手はしっかり紙幣を受けとっていて笑ってしまった。
しかし、先輩はどこへ行ってしまったんだろう。また急に思い立ってご実家に帰られたとかだろうか。
それからさらに1週間が過ぎた夜のことだった。
もうそろそろ寝ようかな、という時間にスマホが鳴った。
画面を見ると、先輩の名前が表示されている。
深夜に連絡があるのもそのまま呼び出されるのも珍しいことではなかったが、電話嫌いの先輩から着信があるなんて記憶の限りでは初めてだった。
妙な違和感にとらわれながら通話を開始すると、ザラザラとした雑音が耳に入ってきた。
「あの、俺だけど」
「あっ、先輩どうしたんですか?全然学校来てないみたいじゃないですか」
スギヤマに2万立て替えておきましたよ、と言おうとしたが、その前に相手が話し出した。
「焼き鳥のトリはさ、ニワトリなんだよ」
「はい?」
この前焼き鳥屋で聞いた話の続き?深夜にわざわざ電話をかけてきてまで?
「聞いてくれ、焼き鳥のトリは、鶏肉なんだ」
「はぁ」
いや、違う。この前聞いた時とは主張が真逆になっている。
「焼き鳥のトリは、鶏肉だから。大丈夫だから」
「先輩なに言ってるんですか?焼き鳥がニワトリの肉なのはみんな分かってますよ、先輩の方こそ大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、焼き鳥のトリは鶏肉なんだよ。だからなんにも心配ない、大丈夫なんだ」
「先輩?」
明らかにおかしい。酔っているのとも違う、何かに怯えて無理に明るく話しているような印象を受けた。
焼き鳥は鶏肉だから、鶏肉だからさぁ、と繰り返す先輩にかぶせるように「今、どこにいるんですか?」と聞くと、途端にパタッと声が聞こえなくなった。
「先輩?大丈夫ですか?」
何回か呼びかけると、しばらくの無言ののちに耳が痛くなるような大声がスマホから聞こえた。
「焼き鳥はあ!!!鶏肉だから!!!ニワトリの肉だから!!!大丈夫ですから!!!なんも心配いらないですからあ!!!!!」
「えっ、ちょっ、先輩」
電話はそこで切れた。
「なんなんだよ、今の……」
つい声が出る。とても嫌な気持ちだった。
手に持ったままのスマホを開き、着信履歴の上から2番目の番号をタップする。ワンコールですぐに出た。
「もしもし、僕だけど……うん、何なの今の電話」
イライラした声が出てしまう。良くない。
「先輩にあんな電話かけさせたら余計怪しいだろ?僕だからいいけど、普通は行方不明の人間からあんな支離滅裂な電話がかかってきたら警察沙汰にされてもおかしくないぞ、他の人間には絶対かけさせるな」
電話の向こうで相手の言い訳に混じって先輩の叫び声が聞こえた気がした。
「大体詰めが甘すぎる。後輩からの借金もあったみたいだし、下調べもなくいきなり拉致したってダメだよ。先輩ひとり始末したからって済む問題じゃないんだぞ?綺麗にしておかないと探そうとする人間が出てくるかもしれない」
ついため息が出てしまう。叫び声がだんだん大きくなる。
「証拠もあると言っていたから、アパートも徹底的に洗って。……そう、おそらく何かの画像か音声のデータ。絶対に外部に漏れないように。あと、どうやって嗅ぎつけて証拠まで握ったのか、生きてるうちに吐かせて」
叫び声がパタッと途切れた。電話を切る。
またため息が出た。立て替えた2万円、回収できなさそうだな。
カマンベールコロッケを追加で 運河宵 @odo6hodo2
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