第5話 妻への手紙

そこで私は妻に次のような手紙を書くことにした。悪戯心で、この手紙を田原総一朗さんが読んだらどう思うかにも興味があった。

【それにつけても何をやっても器用にこなし、コツコツと周りの人から求められることを着実に行うあなたへの子供や孫の信頼は絶大です。発言も正しく、いい加減な私とは雲泥の差です。それに比べてチャランポランな私は、どうにかあなたの支えで夫や父親としての立場を保っています。

このように何をとってもあなたにはかなわない私ですが、それなりには頑張ってきたつもりです。あなたの目から見れば全然駄目だと駄目だしをされそうですが……。本当に、本当にスミマセン!

そのことは私も一番よくわかっていますが、少しその気高さを控え私のレベルにまで降りてきて私と話し合う時間を取って欲しいと思います。私は料理も食器洗いも洗濯もしたいのです。もちろん、あなたのレベルでは出来ませんが教えてください。やらせてください。もうそろそろ雲の上からの高みの見学をやめて私のレベルまで下りてきてください。どうかこのいい加減な夫に合わせる寛容な心をお願いいたします。

ここで少し言い訳をさせて頂きますと、もう70歳を超え価値観も固まっていて変えることは難しいものです。でもこれは言い訳以外の何物でもないことで、愚痴だと思っています。二人の性格をわきまえ、忖度し接点を探す努力を致します。


さて最近は、子供が独立し夫婦二人だけの生活で食事以外に顔を合わせることもありません。その食事中も会話は全くありませんネ。いつ頃からか話せば田原総一朗のように討論より喧嘩になり、「沈黙が金 雄弁は分断」の生活になりました。私は会話のない生活に寂しい思いをしています。わずかにある会話が病気と孫自慢だけでは寂しい限りで、私は孤独と孤立をヒシヒシと感じています。これではいけないと思うのですがきっかけが見つかりません。声を出すのが、散歩で寄る近くのお寺で唱える”般若心経”だけとの生活が幸せとは段々思えなくなってきました。


あなたに言わせれば私は一見“田原総一朗”のような人で家のことは何もしない、口を開ければ開口一番に文句しか言わないような人で、手を焼いている状態で、娘や息子や孫に愚痴をこぼしているのですか? よって私に対して取る態度は、田原総一朗のような人だから『放っとく』しかないとのことで、言っても無駄、反論しても無駄、今更性格も変わらないので、放っとくのが一番なのだと思われているのでしょうか。そうしないと、イライラやストレスが半端でなくて精神的に参ってしまう。それなら悲しいです。言って頂ければ、仮にも50年近くも連れ添ったのですから今一度振り返ってみて、悪いところがあったなら素直に謝罪し、関係修復を図りたいと思いますが如何でしょうか?

 

 このような状況ですから今の私にとってテレビが友達と言え、私の生活はテレビにコントロールされています。番組に合わせて外出し、テレビを聞きながら作業をします。テレビに見守っていて欲しいのです。この環境での生活が好きです。寝る時はTVの切りのタイマーを掛け、眠りに就き朝はTVの番組予約で起こされます。またデジタルTVの番組にはついていけずにBSで同じ内容の番組を何回も何回も見ます。それが安心です。

 時々、報道番組も見ますが、新自由主義と競争は行けないとの論調、貧困の根絶と平等が大事との意見は理解出来るのですが、これは理想論で現実的には無理な相談で、貧乏人は努力で少しづつ必死にもがいて年月を掛けて這い上がり勉強しないと行けない。それは私のように三代の努力がいることをマスコミや有識者が言わないことに違和感を持ち、これに不満で余り見ません。凡人の貧困は一代では解決しないことを何故いわないのか?  それが不思議で……。私にも段々と融通というか寛容性がなくなっていることを思い知らされ、見るのがおっくうになります。

またプライバシーと個人情報保護が大事と言いますが、それでもコミュニケーションも大切と言い、「大谷選手に家庭を持つイメージは」と聞いてもセクハラという。これではどんなことでコミュニケーションを取るのかと考え込んでしまう。変なことを言って相手を傷つけないか心配になって気軽に声を掛けることも躊躇するようになりました。


脇道に逸れましたが、さてよくよく考えると子供たちも独立して残された人生を二人で生きるしかないのが現実です。こんなことを言うと、今まで好き勝手なことをしておいて今頃になって、そんな弱音を吐くのは裏切りだと言われるかもしれませんが、あなたの憤りを承知でお願い致します。口だけ達者で何も出来ない私ですが、私も自分を変える努力をします。見捨てずにこれからも一緒に生きていってください。

ある人は会話がなくて家庭内別居状態を認め、人間は別の個人同士で本当に分かり合えるなんてことはないと考え、自分のことは自分でするようにすればよく精神的な自立はどうしても必要。という人もいますがそれは寂しいです。もう一度、出逢った時のような生活をしたいのです。一人で生活できなければ施設に入る。他人に何も求めなければ、心を悩ますことがないと言う人もいますがこれも私は嫌です。子育てに励み笑顔に満ちていた生活に戻したい。


さらに親が子供や孫の足を引っ張り不安定要素となることは許されません。

「人が幸せを感じるのは「人から愛されている」「人から大事にされている」と感じられた時と言われます。私にはそれが足りないと最近思うことが多くなりました。というのは、人から愛されるためには、周囲の一人ひとりに対して丁寧に接することが大事なことを知りました。

私にはこれが圧倒的に不足していると自覚。また自分のためやお金のためではなく、純粋に誰か他の人の幸せのために汗を流すこと、努力をすることが大事なのではないかと最近は切実に思うように。私にはこれが圧倒的に不足していると知る今日この頃です。これからは心の持ちようをこれまでと変え、あなたを愛で、感謝することだと思うようになりました。

こんな思いの時、たまたま訪れた近所のお寺で行われたお坊さんの説法で、夫婦円満の秘訣としては、

①相手の価値観を否定しないでじっくり話を聞くことが肝要、②感謝、思いやりを本気で口にする、③会話の時間を持つ、目を見て相槌を打ちながら丁寧に聞く、④ケンカを放置しない。小さなことが修復できない傷口になる、⑤完璧を求めないこと。お互いに100点満点を求めない。と諭されました。私には全く出来ていなかったと思います。悔い改めますのでこれからの行動を見てください。


明日から実践あるのみです。小さな出来ることから積み上げていきたいと思います。

また、あなたにはここで再度「もう少しその気高さを控え、私のレベルにまで降りてきて私と話し合う時間を取って欲しいと思います。高みの見学をやめて私のレベルまで下りてきてください。どうかこのいい加減な夫に合わせる寛容な心を」お願い致したいと思います。

ところでこのままでは、どちらかが新型コロナに感染しても濃厚接触者にはならないと思われる生活です。この手紙をきっかけに二人が出合った時のような新鮮な関係に戻したいと思いますが……。身勝手な夫から優等生の妻への一大決心でのお願いです。この手紙をきっかけに二人が出合った時のような新鮮な関係に戻したいのです。もうあなたの欠点を探して攻め立てることは致しません。お互いに足りない部分を補えあえる関係にしたいのです。


残念ながら田原総一朗さんのようにあなたの心に訴えるように論理的に話すことはできませんが、愛妻家と言われる田原総一朗さんより私は愛妻家で今でもあなたを愛しています。

一切我今回懺悔です。ご検討のほど、切に宜しくお願い致します。

 新しい朝をあなたと一緒に迎え美味しくご飯を食べたい。ただそれだけが私の望みです。】


 予想どおり、この手紙に妻から返事はなかったが、何かが変わり風向きが変わった。と思ったのだが……。

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田原総一朗的家族論 @takagi1950

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