バイトの合間

 真理を家に送り返したあと、俺は一人バイト先である本屋に向かって歩いていた。


 久方ぶり、というよりも真理以外ではほとんど初めての放課後のお出かけだったが、それなりに平和に終わり、俺としては胸を撫でおろしていた。思い返すと、ほとんど俺と真理の話しかしなかったがいいのだろうか。どうにも他人が自分の話をするという状況に慣れない。


 梅雨も終わり、これからの夏に向かって気温が上がり始めていて汗がにじむ。今でさえこれなのだから夏本番に耐えられる気がしない。


 本屋まで10分にも満たない距離を辟易しながら歩き続け、目的の場所にたどり着く。見た目は商店街にありがちな小さな本屋さの自動ドアをくぐると冷房特有の乾いた冷気を全身に浴び、少しだけ生き返ったような気分がした。


「いらっしゃいませ———、って加藤君か。今日は遅かったね」


 本棚に隠れたレジから顔を出したのは店主さんである如月さん。


「すみません、真理を送っていってたので」


「いやいや、いいんだよ。じゃあいつもの通りにやってもらえるかい?」


「はい」


 店主さんはそう言ってレジに引っ込んでいき、俺は裏口に積まれた段ボールに向かっていった。ここでバイトを始めたのは中学3年生の夏ごろ。真理の紹介で始めたのだが、始めた当初はこの小さな本屋にバイトなど必要なのかと疑問に思ったものだ。実際には店主さんももう年で、意外と肉体労働の多い本屋さんを畳もうか悩んでいたところだったらしく、バイトの申し出は渡りに船だったよう。


 俺は取次から送られてきた段ボールを開け、棚に差す本を積み上げる。単純な肉体労働、俺はこの時間が嫌いではなかった。余計なことを考えなくていいし、何より好きな本に触れられる。店主さんもいい人だし、バイト先としては申し分ないほどだった。


 そのまま作業は小一時間ほど続き、少し疲労感が出てきたところで「加藤君、丁度いいところで休憩してね」と店主さんに声をかけられる。丁度ひと段落したところだったので黙って頷き、段ボールを片付けてからレジへと向かう。レジの横の小さなテーブルには湯飲みとおせんべいが置かれており、店主さんもお茶を啜っていた。俺もレジ横の椅子に腰かけ、「いつもありがとうございます」と声をかけてから湯飲みを手に取った。


「どのくらい作業は終わった?」


「大体終わりましたよ、あとは返送の本をまとめるくらいです」


「もうバックヤードに運んであるよね? だったら僕がやるから店番をお願いしようかな」


 店主さんはそう言って湯飲みを置くと、バックヤードに行ってしまった。本音を言えばその作業も俺がやった方がいいのだが、流石にそこまでの業務は任されていない。俺の本屋での仕事は主に力仕事で、本屋さんのこまごまとした業務は店主さんが自ら行っていた。


 それからはゆっくりとした時間が流れる。たまに入ってくるのはご近所さんの年配の人がほとんどで、大部分は顔見知りだ。ここのバイトを始めた当初は誰が誰だが分からなかったが、そろそろ一年にもなるので多少の世間話を交えながら接客を行う。最後のお客さんがきてから小一時間がたっただろうか、窓の外は赤みを帯び、閉店の時間もそろそろだ。今日はこれでおしまいかな、そんなふうに思っていると自動ドアの開く音が聞こえ、「いらっしゃいませ」と声をかけると「マサト!」という元気な声が響いてきた。


 思わずレジから飛び出し声の方に向かうと、少し困った顔のミーシャと喜色満面のアナがそこにはいた。


「ごめん、アナが来たいって騒いじゃって……。迷惑じゃない?」


「いや、それは大丈夫だけど……」


 アナに目線を向けると途端に抱き着いてきて、「チョウド日本の本ヨミタカッタ!」と声をあげる。


「おやおや、加藤君の友達かい?」


 バックヤードからは店主さんが顔をのぞかせ、少し驚いたように声をかけてきた。


「あっ、初めまして。幹人の友人のミーシャといいます。……アナ、自己紹介して」


「アナ・ワトソン、6歳! 」


「元気な子だね。小学生用の本はこっちだったかな……?」


 店主さんはアナの様子に目尻を下げ、子供用コーナーに案内していった。残されたのは俺とミーシャ。


何とも言えない微妙な空気の中、「ごめんね、急にきて」とミーシャは口を開く。


「別に大丈夫だよ。というか俺がここでバイトしてるって知ってたのに驚いた」


ミーシャは俺がここにいると知っていて来たようだが、バイト先のことを言った覚えはない。大方、真理に聞いてやってきたのだろう。


 でもその予想は外れて、「うん、前に美里に聞いたことがあって」と予想外の返答をした。


「前にここら辺を一緒に歩いた時に教えてくれたんだ。美里は真理から聞いたみたいだけど」


「ふ~ん、まあなんでもいいけど、今日はどうしてきたの? またアナに催促されて?」


「そんな感じ。最近日本の本にはまってるみたいで、本屋さんに来てみたかったんだって。それでちょうどいいから雅人のいるここに来たの」


 そういえばアナは日本語の習得が以上に早かった記憶がある。話すだけじゃなくて、読み書きももう出来るようになったのは少し驚きだ。


「オネーチャン、これ欲しい!」


「はいはい、分かったから」


 ミーシャはアナの声に本棚の向こう側に向かうと、入れ違いで店主さんがこちらに来る。そして、好々爺然とした顔のまま、「友達が来たのは初めてだね、それもあんな小さい子」と微笑ましげに言ってきた。


「友達……、何ですかね? 」


「それともお兄ちゃんかな?」


「それだったら友達ですね」


 尚も微笑まし気な店主さんは「ほら、決まったみたいだよ。お会計してあげてね」とバックヤードへと消えていってしまった。


 俺は溜息をつきながらも、「マサト、コレクダサイ!」と喜色満面でレジへと向かうアナの背中を追った。

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学校一の美少女に求愛されているが、正直面倒くさい ゆーと @leafandrantan

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