会社の先輩は美人で口下手で焼き鳥が好き

日諸 畔(ひもろ ほとり)

先輩と俺

 最初は憧れだったのだと思う。

 新卒で入社した会社では、四年目の社員が新入社員を教育するというルールがあった。

 教育期間は一年間。そこで俺についてくれたのが、吉田よしだ 美咲みさきさん。


 とにかく美人で隙のない人だという第一印象だった。薄めなのにきっちりしたメイクに、理知的な眼鏡。黒く長い髪も艶やかに輝いていた。ビジネススーツもスレンダーな体型によく似合っている。

 こんな女性が自分の先輩になるなんて、当初は我ながらかなり浮かれていた記憶がある。まだまだ学生気分の抜けない甘ちゃんだったのだと、今思えば恥ずかしい。


 仕事はそんなに易しいものではなかった。それなりに使えると思っていたビジネス関係の知識は、ほとんど役立たずだった。

 吉田さんは叱りこそしないものの、理詰めで話す人だ。俺のミスや不備を冷静に指摘し、原因究明と解決策を求める。これは、単に怒鳴られるよりもキツい。

 何度か心が折れそうになったこともある。それでも必死に食らいついたのは、吉田さんが真剣だったからだ。あ、もちろん、美人だったからという格好悪い理由も少しはある。


 俺は吉田さんを心から尊敬していたし、吉田さんも不出来な俺に辛抱強く指導してくれた。友情とも恋愛感情とも違う、特別な信頼関係ができていたのだと思っていた。

 そう思い込んでいた。


 当然、彼女のプライベートには意図的に触れないようにしていた。こんな素敵な女性だから、彼氏も普通にいるだろう。仕事と同様に私生活も充実しているはずだ。

 俺の出る幕ではないし、そんなことも求められていない。俺が一人前になることが、吉田さんに報いる唯一の手段だ。


 冬のある日、吉田さんが突発的に会社を休んだ。計画的な休暇以外で休むのは、俺の知る限り初めてのことだった。

 翌日は何事もなく出社したので、特に気にすることはなかった。あの時に声をかけていたら、きっといろいろな事が違っていたのだろうと思う。


 そうこうしている内に一年が経ち、俺の教育期間が終了した。自分は頑張ったのだと誇らしい気持ちになる反面、吉田さんから離れることが寂しかった。


「よし、飲みに行こう」


 これまでのお礼を言って退勤しようとしたその時、吉田さんから唐突に声がかかった。会社の飲み会にはほとんど参加しなかった吉田さんからのお誘いに、酷く混乱したのを覚えている。


 連れて行かれたのは、駅裏の路地にある小さな焼き鳥屋。

 慣れた様子でカウンター席に座った吉田さんは、上着を脱ぎ長い髪を高めの位置で括った。ふわりとした良い匂いと、覗き見えた白いうなじは今でも忘れられない。

 たぶん俺は、その瞬間に恋を自覚したと思う。


 焼き鳥を豪快に頬張る吉田さんは、俺のイメージとは大きく離れていた。彼女いわく、これが本来の姿だそうだ。女だからと舐められないよう、社内ではしっかりするように努めていたらしい。

 なぜ俺にバラしたかと聞くと「一人前になったからかな」と照れくさそうに、鶏皮串を口に入れた。


 その日の吉田さんは饒舌だった。

 初めての後輩育成で、厳しいのは自覚しつつ必死にやっていたこと。それでも頑張っていたのが嬉しかったこと。

 話題は意外にもプライベートへ及んだ。俺にとって、それはとても光栄な事に思えた。

 冬のあの日、急に休みをとった時のことも話してくれた。学生時代から付き合っていた恋人と別れたのだそうだ。ずっとすれ違っていたけど、ようやく決心がついたと言っていた。


「あの日聞かないでくれて助かったよ。きっと君の先輩ではいられなくなっていた」


 言葉の意味を聞こうとする俺の口に、食べかけのつくねが突っ込まれた。


「こういう意味なんだけど、どうかな?」


 つくねは、大葉の風味がしてとても美味かった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 ここまでが、五年前の話。

 そして俺は思い出の焼き鳥屋で、美咲のことを待っている。

 スーツのポケットに押し込んだ、指輪の入る小箱を握りしめて。

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会社の先輩は美人で口下手で焼き鳥が好き 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho

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