人生解釈論(ver.1.00) ベータ版

鈴乱

人生

        あなたはどんな人生を歩んでいきたいですか?


 火曜4限。道徳の授業と称して、教師がこう問う。ただでさえ、眠くて仕方が無い4限に於いて。

高校3年、夏。6月末。これから高校3年生中盤となり、大学受験に挑まされることになる。「人生」が決まる非常に重要なイベントとして誰もが疑いもしない。察するに、この質問。否、発問は大学受験という人生の分岐点において、どんな選択を取りたいのかを考えさせたいのだろう。将来、どんな大人になりたいのかを考えさせたいのだろう。ならばなぜ4限という地獄のこの時間に、こんなことを問うのだろうか。全く理解が出来ない。大人は、馬鹿だ。単にこの学校が馬鹿なだけか。


 その一方で、少なくとも。俺にとって興味深いものでもある。生徒とのアホじみた、何の遊びもない、無個性の回答になんか微塵も興味が沸かない。ただ、人見が何と答えるのか、その一点のみに興味がある。

 発問とは、質問は異なる。このことを教師、即ち"人見”自身も分かっているはずだ。いや、わかっていないと困る。


 きっと。


 ありふれた職業の中で、「教師」という特殊な仕事を選んでいるのだ。その中で、この問いを投げかけている。さぞ。さぞ、良いお考えを持っていられるのだろう。社会の駒でしかない、街に蔓延るしがない会社員どもとは違う、社会の駒として育成される俺たちとも違う。さぞ、たいそうな。さぞ、崇高なお考えを。


 教師の言葉は重い。言葉1つで、簡単に命さえ奪えてしまう。先生の言葉だからと、疑いもしない。否、疑う能力を教育されていないと言うべきか。戦時下の日本がソレであるのは自明のこと。

 だから、穿った言葉が言えないとかいう甘えた考えは捨てていて欲しいのだが。

 社会に染められた、或いは囚われたと呼ぶにふさわしい愚民どもの、思考を放棄した言葉ほどくだらないものはない。


 さて、どう答える。『人生』と言う物語の数ページ先を行く貴方は。

 敢えて、期待してみる。期待したのに裏切られたという論法は身勝手で大嫌いなのだが、敢えて。


 人見は笑みを見せながらこう口を操った。言葉を綴った。

 

 「みんなには、家族や大切な人、そして好きなモノとの時間を大切にしたい、して欲しいと考えました。」

 「一度きりの限りある人生を後悔の無いように生きていって欲しいですし、自分らしく生きて欲しいです。幸せなサイゴを迎えられるようにしてください。」


 そこに迷いは無さそうだ。

 人間の表面なんて、キャラクターでしかない。だから、これ自体も“人見先生”という演者から発せられたものだとすると、本質の“人見”の考えは分からないのだが。

 ただまぁ、これが演者の意見であることは明確な事実で、それがキャラクターか否かなんて些細な問題でしかない。


 あまりに幼稚なレベルを意気揚々と発する教師か。

 うむ。裏切られた。否、ここでは実直に期待外れと言うべきか。

 人生を語るのならば。人生を有限だと考えるのならば。尚更、こんなくだらない、稚拙で無価値な授業をしないで欲しいのだが。

 こんなにも簡単な矛盾にすら気づけない大人のなんと多い事かと、呆れてならない。


 生徒の発言にも少し聞き耳を立ててみたが、陽キャが「彼女と永遠に幸せに暮らす」だとか「会社の社長」とか宣っていて、耳障りだ。

 そもそも、恋は3年しか持たないことは脳科学で証明されている。

 社長になれる人間なんて一握りなのも自明なこと。

 それをお前らみたいな、遊び呆けているやつらが何だ。馬鹿にしてんのか。

 お花畑の頭しかいなくてウザい。


 眠った方がよっぽど有意義だ。

 ここには自分の描きたい人生はないのだと思った。


 ◇ 


 チャイムが鳴った。授業終了の合図であるとわかって、すぐに体を起こす。


 さて。また、時間を無駄にした。後悔した。あぁ。先生の教えを守れない”悪い”人間だな、俺は。俺は悪で、今周りにいる皆全てが正義だ。

 

……、くだらない。馬鹿げている。


 こんな茶番に付き合わされるくらいなら、自分の為に時間を使おう。先生の教えを守って”良い”人になろう。平凡で平穏な人生を描く為に。自己幸福の人生を創る為に。俺は改めて、そう強く誓う。


 忘れじの理想郷であるつかの間の昼休み。今この一分一秒を無駄にしてはならない。人生を豊かにするには。人生をハッピーストリーに仕立て上げるためには。


 俺の幸せ。それは、文字を紡ぐこと。物語を描くこと。今は、次のネットコンテストに向けて準備をすること、これが幸せだ。

      

 ◇


 俺は、俺自身がからっぽで、張りぼての外套で覆われた者だと知っている。だから、人とは必要以上に関わりたくなかった。

 必要以上に仲良くなると、相手の存在意義の驚かされ、相手の社会的価値と比較して、自分の空虚さに嫌気が差すのは分かっていた。皆、俺を「痛いやつ」と評価して、離れていくのは分かっていた。

 だから、最低限でしか誰とも関わりたくない。本音で話すなんてもってのほかだ。

 できれば、誰とも関わりたくなんてなかった。


 けれど。


 隣から「お疲れ様、唯人」と声を掛けられる。そんなに疲れているように見えるのだろうか。今、この刹那だけでも君視点から俺を見させてくれ、と思う。そして、出来れば話しかけないでくれと願う。


 首をわずかに傾けて、声の主を知覚する。仄かに甘い香りが鼻に届く。

 綾瀬凛。ミディアムの黒髪から放たれるキラキラと輝く光、細く整えられた眉、白く透き通った肌。それでいて、わずかにピンクの唇に、潤んだ瞳。容姿は疑いなく端麗な方だろう。成績も優秀で、学年で1桁を争う程だ。その所作、1つ1つも洗練されて、おしとやかさがまた、彼女の良さを引き立てている。生まれながらにして完璧の恵まれた子。

 しかし、パズル・ゲーム部所属の17歳、という勿体なさを抱えている。“良い”人であれば、それさえも肯定するべき、認めるべきなのだろうが生憎、俺は俺なもので。

 俺はソレを、彼女を変わり者であるという評価をしている。この際、何をもって常識或いは一般として、何をもって変質とするのかはまた、難しい話ではあるのだが、こう評価している。そして、とにかく綾瀬は可愛い。可愛いのは認めている。



「ねぇ。さっきのなんて書いたの?」


碌なことを書いていないので、あまり答えたくないのだが。

ここで、綾瀬はどんな回答を期待しているのかと、その刹那に思考を集中させる。

はやくしないと、無意義どころか。変に嫌われて、マイナスのレッテルを貼られてしまう。


 この瞬間を有意義にする方法。それは簡単なことを俺は知っている。というか、有意義の定義なんて辞書のではなくて、自分で決めていいので難しくなるわけがないのだが。


綾瀬になら。


――議論をすること。


否、話すこと、と言うべきか。議論と言うまで行かずとも、お互いの意見を言い合える。これが、変わりモノとタグ付けたソレの俺にとっての価値。単に成績が優秀というだけではないことは、彼女の所作を見れば分かる。

 穎悟なソレから、発せられる言葉のシャワーは至高だ。


それは、先述の可愛さともう1つ。そう。


――思慮深さ。


 即ち。例えば、『緑』という言葉を「単なる色」か「永遠」と捉えるか問われれば、後者と答えるような。例えが悪いのは、俺の言語能力の低さなので許して欲しいものだが……。

 とにかく。繰り返すが、綾瀬の1つ1つの言動から、無邪気な思慮深さ、賢さが滲み出ているのだ。

 人の価値にポイント付けがあるとすれば、平均を50、最大値を100として。綾瀬が78。俺が34くらいだと思う。

 これが、綾瀬だけが持つ圧倒的な魅力であり、俺が此奴とだけ本音を話したくなる理由。何もかも全部、心を開示したくなる理由。唯一、時間を共にしたいと思う理由。


 「お前と同じような感じだよ。」

 

 適当に濁してみる。

 必ずしも同じにならないことは俺も分かっている。

 それは、これまで積み上げてきた綾瀬との時間から。多分、俺のことを一番知っているのも綾瀬。

 例えば、独りぼっちを寂しいものと捉える方か、とか、グループで会話のリードを出来る性格かとか。同じ事象を思考しても、異なる意見が出ることが多い。それが、綾瀬と話す面白さであると気づいた。


 「人生はパズルだよ。だから、ピースを埋めていきたいって書いたよ。」


 綾瀬の専門、というか好むゲームはパズルだ。部活でも、家でも、暇さえあれば、その時間のほとんどでパズルをしているらしい。

 俺が小説を好むようなものだ。こういう部分は似ているなと思う。


 「人生がパズル?」

 

 なんとなく、言わんとしていることは分かるのだが、俺の考えとの相違を見出したいので、深掘りをしていく。


「そう!ピースを埋めていく感じ。単純に言えば、1日1ピースずつみたいな!!」


なるほど。だが、しかし。


「でも、パズルって枠が決まってるよな?」


「うん!神様が決めているんだよ、多分。」

 

 綾瀬は、疑問符を持たせながら、そう言った。


「そうか。」


もう少し、困った顔が見たい。焦った顔が見たい。

だから、意地悪く言葉を続ける。


「じゃあ、寿命を延ばす延命治療は何のためにある?」


 神が全部決めているのなら、なぜ思考するのか。なぜ、延命するのか。

 そんなことを考えたことが在る。

 神様が全部決めてくれる。ただし、人間は生き方を思考し、価値観を定義する。

 つまり、延命をするという運命を神様が決めている?

 この矛盾と言うか、違和感が気持ち悪くて仕方がない。


 綾瀬は眉間に皺の寄った様子で、やや左に顔を逸らし、腕を組む。

 恐らく、思考しているのだろう。


 数秒して、綾瀬はこちらを睨みつけてきた。


 「あー、確かに……。でもでも、全部埋まって素敵な人生って感じじゃん。みんな幸せな人生で終われるんだよ。」


 どこか心地よく、つい意地悪い問いを投げかけてしまうのは不思議なものだ。

 多分、綾瀬はまだ、自分の思考を言語化しきれず、続きを聞いて欲しくて待っている。だから、その希望に沿って、もっと話を深めることにした。

 「例えば、恋人に振られたとか、事故死とか、そういう経験は幸せなのか?」

 「振られたら、それを活かして次の恋をすれば、OKじゃん。」

 「死んでもOKでしょ。これから先、苦しまなくて済むもん。私だって、受験とか、分岐点に失敗したら死ぬと思うもん。」


 受験期に、しかも自分の死を匂わせるブラックジョークは精神衛生上よろしくないので、出来ればやめて欲しい。

 言葉を発したソレは笑っている様なので、そこまで深くは捉えなくていいと思うが、心配になる。これ以上、話を広げて面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なので、触れずに話を進めるように思考する。


 「そんなオセロみたく単純な訳ないと思うのだが。」

 

 「マイナス×マイナスはプラスだから、ピース組み合わせればいける。ハッピー。」

 

 「そういう君は、結局なんて書いたのさ。」

 

 「小説の主人公として、ふさわしくなりたい。」

 

 「何それ。私と君の意見はそんなに変わらないってこと?」


「その小説の作者は?」


「俺だよ。神なんかじゃない。」

「俺が俺の物語を描くんだよ。なんで、誰かに支配されないといけないんだ、馬鹿か。」


「書き換え可能なのが小説の……」

キーンコーン。チャイムの音で、俺らの話は強制的に終了した。

自分の論理の弱さが露呈しなくてよかったと思う反面、どこか心が寂しいと啼いているようにも感じる。

話すだけ。たったそれだけのことで、どうしてこんなに幸せを感じられるのだろう。

綾瀬との会話を思い出して、つい笑ってしまう。


――あ。昼飯……。


昼飯にたどり着けなかったことを補う程に、俺の身体は綾瀬で満たされていた。



                ◆


 それから、しばらく時間が経った、7月。学校でもLINEにおいてでも、お互いが義務感を持って話すことを面倒と思っているのもあって、いつも通り、時々話して、その時にはとことん話すというような日々が続いた。

 珍しく、今日は綾瀬の誘いで、放課後、学校近くのカラオケルームに俺たちは来た。

 

 適当にアニソンやら流行りのJ‐POPやらを二人で歌い合う中で、途中、綾瀬は飲み物を取りに行った。


 「唯人君!!面白いものが見えるよ!!」

 部屋に戻ってきて、意気揚々と声高に宣ってきた。

 うるさい、冷淡に返そうとする前に、綾瀬が腕を引っ張って、廊下に出された。

 

 飲み物を取りに行った時、また何か変なものを見つけたようだ。

 「お隣が、すっごいの!」

 俺はとりあえず、黙って、眉を顰めて隣の部屋をのぞいた。其々にプライバシーがあるからあまりやりたくないのだが。


 しかし、視界に入ったそれが、上裸であったが、上林だ、とすぐ確信した。

 サッカー部のキャプテンで、髪色が、金髪なのは彼が彼である証だ。


 そして、上林に跨って向かい合う女が居ることにもすぐに気づいた。

 その女は、恐らく上林と付き合っていると噂の在る粟飯原だろうと察しが付いた。

 刹那、プライバシーという概念は俺の中から消失し、週刊誌の記者みたく部屋の中を凝視した。


 「あれ???……、川口さんだ。」

 

 綾瀬によると、どうやら俺の情報は間違っていたらしい。

 否、上林の倫理観のせいにしよう。俺は、情報が古いだけだから悪くない。

 


 スカートの中には、どんな世界が広がっているのだろうかと気になって、気色の悪い笑みが零れているのが自分でも分かる。きっと、イイコトしているのだろう。

 


 漢の呻き声が激しく響く。女の甲高い喘ぎ声が翳むほど大きなそれだ。


 これ以上、見たものは脳裏に焼き付いて、言語化できないほど濃密な。

 さぞ、気持ちよいのだろう。どうせなら、孕んではくれないかと思う。

 彼らは、命など考えもしていない。その場の快楽のみに身を委ねている。

 これが、恋であろうか。それとも単に、生殖本能か。

 それは、孕んだ結果分かると思うから。


「エゴだね。」


ぽつりと呟いたのは綾瀬だった。

綾瀬も同じように感じていたのだと少し驚いた。


「そうだな。」


 そう、エゴだ。俺が生まれたのは親のエゴ。

 孕め孕めとセックスしたのか、将又、より快楽を求めて、1箱800円程度のコンドームをしなかったのかは知らない。

 子供を持ちたい。快楽を得たい。

 どちらにせよ、そこに、俺の意思は1つも含まれない。

 1年と少し経てば、生まれながらにして無価値な人間として、存在させられる。

 そして、家族の為、或いは社会の為に生きることを強いられる。

 これを親のエゴと呼ばずして、何と言える?

 

「上林君、なんて乱暴なの……」


 そっちかよ。と思わず突っ込みそうになった。

 その声は、どこか吐息交じりで震えていて、あいつ等みたく「……//」が付いているようだ。恐らく、綾瀬も見るのは初めてなのだろう。


「自分の欲望に忠実で素敵。いつもは清楚で真面目でリーダーたいぷの川口さんがあんなに。」


 見とれてやがるコイツ。

 捕まりかねないのに、よくやるわと馬鹿にした。


 「やばい」という声とともに立ち上がろうとする川口をみて、綾瀬は慌てて、俺をもとの部屋に引きずり込んだ。


 「あれ、すごかったね。」

 「あぁ。店員に行って、捕まえてもらうか。」

 「だめだよ!面倒くさいのは嫌!」

 


 ただまぁ、ひと時の快楽を求めて、咎人になるのは嫌いじゃない。

 生殖本能に任せて快楽に溺れる姿、特に高校生というのがまた良い。

 

 「めちゃくちゃラブだったけど」

 「君も、あんなことしてみたくないの?」


 「俺には、関係ないし。」

 

 ――俺に、上林みたいな物語は描けない。


 明らかに距離の近い綾瀬から、目線を逸らすように顔を右へ背ける。

 ただ、どこか。

 理性の無い野生の俺が、綾瀬への慕情を食み、欲情を孕もうとしているような気がした。

 加えて、今、上林たちがどんな話をしているのかが、気になって落ち着かない。

 

 暫くの沈黙の後。

 唇に僅かに熱が燈った。恐らく、濃密な口づけをした。


「………」

「………」


綾瀬はすぐに歌い始めた。空気の重さに焦って歌っているのが見え透いている。

でも、モヤモヤは消えない。それを隠すためだけに、闇雲に歌を号した。


親のエゴだとか、そんな話もしたと思うが、今はもう記憶として残留していない。


                ◆


 文化祭の開催を1週間後に控えた学校では、夏休みにも関わらず、どのクラスでも毎日のように出し物の準備が行われていた。


 俺たちのクラスは、ゲームカフェをやることになっていて、マ〇オと〇ケモン、人生ゲーム等の対戦会と体験会が予定されている。別で、カフェのドリンクや食品をつくる係もあるのだが、俺らはゲーム班の担当となった。


 綾瀬はここでもまた、人生を考えているようだった。俺が、人生についてもっと考えないかと、冗談交じりに言ったせいかもしれない。


 ――マ〇オにおいて、命は数多に存在する。それは仲間である姫を助けるため?それとも、自分を終わらせないため?自分を守りたいから?


 ――〇ケモン。レベルは最大100と定められている。そして、瀕死になるだけで、決して死なない。つまり、永遠の命を持っているってこと??

 それに、このゲームはこの社会における他者利用を表現しているようね。絆とか言って、隠しているけれど、キャラクターを道具として扱っているだけなのでは???


 ――人生ゲームで定義される人生は、億万長者になること。その後は、一切考慮さ

れないのに、一時的に億万長者になることを目指す。これは人生と言える?

 そもそも人生ってどの段階で語られるべきなのだろう?


 分かるような分からないような謎の考察に付き合わされる日々は、実に充実した楽しいものだった。


 ◇

 文化祭から2週間はあっという間に過ぎ、10月。

 

「もう、入試が近いから、1秒も無駄にしたくない。」

こう文化祭準備の期間に告げられていたのもあって、特に驚きはしなかった。

 

 文化祭が終わった後、綾瀬は改めて俺にこう言った。

 当然だ。俺もそう思う。きっと、距離を取りたかったのだと思う。


「一緒の大学行ってさ、語ろうよ。また。」

「じゃあね。」


 あまりに淡白すぎる綾瀬との一時的な別れは、まるで、元カノと偶然再会した彼氏のそれみたいな感じだった。

 ただ、それ以降。俺の意識の少なくとも3割は綾瀬に支配されたままだったように思う。



                ◆


 別に大学生になりたかったわけではない。この方が都合が良い。ただ、それだけの理由で、受験を終えた。

 そもそも大学生になりたくてなる奴がどれだけいる?

 「社会で役立つ人材になれるように…」云々。

 社会に迎合されようとするやつらばかりじゃないか。結局は、なんとなくのモラトリアムの延長に過ぎないのは明白だろう。少なくとも俺はそうだ。

 「医者になりたいから」「教員になりたいから」

 こう言って、大学に入る奴らも、大学は所詮、手段に過ぎない。国家の築いたレールに基づいて夢を叶えるための行為でしかない。

 

 だから、幾らキャンパスまでの道がピンクに彩られた入学式や毎日の登下校があったとしても、俺の『人生』に描かれやしない。描かれても、事実の羅列で、心情描写はほとんどしないと思う。

 テンプレートに則った解と自己開示で、大学生活も就活も、全部適当に過ごすんだろう。

 

  俺自身の『人生』の大学編は、何も起こらない平凡なものになることは容易に想像できたし、できればそうしたいと思った。


 そんな受験終わりの春の日。



せっかくだから街散策でもして帰ろう。

同じ大学を受験した、その帰りに綾瀬を誘った。


 久しぶりに話したい。単純に、相当話足りてないし、ストレスもそれなりに溜まっているからだ。綾瀬以外、特に当てがない代償だ。

 まぁ、嬉しいのだけれど。


 綾瀬はこの誘いに、乗り気だった。きっと、楽しみにしてたのだろう。そんな風に思う。

 

 思っていた。



 綾瀬との集合場所に選んだのは、大学からほど近い、坂の上にある広場だった。

綾瀬が来て、それに手を振る。きっと、今までみたくくだらない話をするのだろう。


 けれど、その予想に反して、開口一番、綾瀬は言葉を綴ってきた。


――ねぇ。


――私、死にたい。


あぁ。綾瀬もこんなこと言うんだ。

きっと、受験で相当やらかしたと思っているんだろう。

彼女の冷たい音に、俺は謝ることしかできない。

「失敗や無駄に有意義はないって言ったのは君だよ。」


「ごめん」


成功の為に失敗も必要である。

よく、人生の教訓として聴くけれど、聞いていただけだったことば。

このことは、分かっていた。でも、失敗は怖かった。だから、成功の確率が低いものから、逃げていく。その中で生まれた、強がりの言の葉。

 綾瀬は多分、俺の言葉を認めていた。


 綾瀬の足は震えていた。真っ直ぐな瞳の中には、淡い光が揺れていた。

 それでもなお、俺は綾瀬を崇高な存在とする。即ち、もっと思考して、且つ試行して、どんな恐怖や障壁さえも乗り越えてしまえる人間であると。


「人生という名のパズルに外れのピースは無い。そう思う。」

「思いたいだけなのかもしれない。」

「今さ、何割埋まっていると思う?パズル。」


「君は?第何章まで書けたかな。何文字と言うべきかな。」

「あ。描いただっけ?(笑)」


「ねぇ、ここまで一緒に人生を考えてきた訳だけど。人生は何文字あれば表せると思った?」


「私はね、無限あっても足りないと思う。」


「私の『人生』のパズル、もう真っ黒で、何の為に生きているか分かんないや」


――生きる理由が無くたって。

――それは死ぬ理由になり得ない。


「全部、嘘だ。私、君の『人生』を否定するよ。うーん、否定とか嫌って言うとちょっと言葉が強いと言うか、違うかもだけれど。」


綾瀬の小さな唇が微かに動いている。

そこから発せられるのはどんな言葉だろうか。


――だからさ。


「私のパズルさ。完成には多分。否、確実に。君がいなきゃだめなんだよ。」


 俺は、初めて気づかされた。

 彼女の二人で一緒にいたいという願いに。これが恋であったことに。

 正直、俺は綾瀬の事が多分好きだ。

 これが異性としてなのか、人としてなのかはとかは、明言できないけれど。

 確かな時間を積み上げる中でもずっと、きっと後者だと思い込ませてきただけなのかもしれない。


 ――出会いがあれば別れも。


こんな言葉が頭に浮かんだ。しかし、音には乗せなかった。

人生論者の作家Aとしては、乗せるべきだったのかもしれない。

 けれど。けれど。もう、この気持ちは俺の『人生』からは消すことはできないのだろう。

 ああ、そうだな。


――二人の幸せな人生を。


そうか。そうか。

『人生』の主人公は決して一人でなくてもいいのか。


――もし、別れたら、この『人生』はどんな物語と化すのだろうか。


些細な問題だった。


「わかった。綾瀬も。」


 上を下へしてしまいそうなこの状況に於いてでも、俺は大して立派な人間じゃないのは分かっている。

 でも、君が。綾瀬がいるのなら、自分が自分を肯定できる気がする。

 きっとこれからもそうなのだろう。


 綾瀬。君は俺の心の支えだよ。俺が俺である必要十分のピースだ。

 こんなことは恥ずかしくて口に出せない。


 だけれど。此処は恐らく、人生の分岐点。だから、言わなきゃならないこともある。『人生』の主人公として、相応しく。

 それに。そうしなければ、きっと何かを失う気がしたから。

 その予感が俺の中の何かを掻き立てる。俺はそれに縋るだけ。



――人生の結論、探そうな。一緒に。


俺は、綾瀬を力強く包み込んだ。



 また、『人生』を語ろう。また、アップデートされた『人生』を語ろう。

 いつかきっと、俺は死ぬ。綾瀬も死ぬ。それは明日かもしれないし、存外遠い未来なのかもしれない。

 それまでの物語。これからも、よろしく。


 そして、ふたりだけの『人生』を名作にしよう。

 人の一生でなくて、人と生きる。多分、それが人生。

 高校3年、春。今の俺の人生解釈だ。

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