コスモスの傘
群青更紗
第1話
何者にもなれないまま36歳になってしまっていた。それすら今は遠いが、それでもなお希望を持ち続けていられるのは伯母の言葉が大きい。伯母というのは父の二番目の姉で、父とは確か二歳違いで、父とは子供の頃に随分仲が良かったとかで、一度こうもりがさを使って二人でメリーポピンズごっこをしたことがあると言っていた。大人の体重では信じられないことだが、当時の二人は近所の背の高い木に二人で登って、せーので飛び降りたところ、本当にフワフワと宙を漂ったのだという。丁度良い感じに風のある日だったらしい。しかしその幸せな感触も束の間、こうもりがさは木に引っ掛かり、穴があいてしまった。当然ふたりは落ちたはずだが、なぜかそのことについては聞いた記憶がない。「ぼのぼの」の中でぼのぼのが、「子どもは死なないと思っていた」と発言したことがあるが、そんな感じで二人とも軽傷だったのかもしれない。さておき二人にとっては自分たちのケガ<<<<<こうもりがさ(親のであった)の穴であり、二人で相談してごまかした。というのはその「親」である祖母から聞いた話だが、二人が傘の前でコソコソしていたので何事かと思い、開いてみたら穴のところにコスモスが一輪差してあったという。かえって目立つ。
話を伯母に戻す。その伯母は私が36歳になる頃、私の実家の隣に住み始めたのである。「紗矢ちゃん久しぶり!」とハグされながら、「いくつになったの?」と聞かれて答えた年齢に対し、「あらいいわねえ、まだ何だって出来るわ」と言われたのだ。父の享年が60歳、それから10年、伯母が父の二歳上として、72歳の伯母。
気付けばあれから6年が過ぎている。今、伯母は危篤である。伯母が父の二歳上として78歳。父亡き今、伯母の情報はその夫である伯父の、隣人として母が聞き、そこから私に伝わるので、最新情報どころかその情報の正確ささえ私には分からない。危篤の報を聞いてからも随分経ったが、伯母はまだ生きている。「便りが無いのは元気な証拠」と昔から言うであろう。78歳だとしたら、喜寿を祝いそびれている。全ては新型コロナウィルスの流行と、それに対する政府の対応が悪い。あな憎し。次の祝いは米寿ではないか。
構わない。10年などすぐだ。10年後、私は52歳。今抱えている憂鬱を想えば、より深い憂鬱を抱えることになると容易に想像できるが、それでも希望を失わない。アキレスに追いつけない亀のように、私は永遠に伯母の年齢に追いつけない。伯母は必ず言うだろう。「あらいいわね、まだ何だって出来るわ」と。
コスモスの傘 群青更紗 @gunjyo_sarasa
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