この先も、どうぞよろしく

櫻葉月咲

私が生きられるその時まで

 何気ない日常は、時として色付くことがある。


「「おばあちゃん、おたんじょーびおめでとう!」」


 パンパン! とクラッカーの音が二重に響き、可愛い双子のひ孫たちに、お祝いの言葉を述べられる。


由奈ゆな美奈みな、ありがとうね」


 にっこりと晴子はるこが笑い、双子の頭を交互に撫でた。


「へへへ〜」

「ふふ、どういたしまして〜」


 由奈と美奈が、蕩けた顔で晴子にされるがままにされている。


「由奈、美奈〜。ちょっと手伝って〜」


 すると、目の前のキッチンから双子たちの母──真弥まやは晴子にとっての孫にあたる──が、手招きするのが見えた。


「はーい」

「おばあちゃん、まっててね」

「えぇ、ちゃあんと待っていますよ」


 二人が目の前にあるキッチンへ駆けていくのを見送り、晴子は慈愛に満ちた瞳でリビング全体を見回した。


 この日のために飾り付けたという可愛らしいオブジェは勿論、今準備しているというケーキを晴子のために作ってくれるらしい。

 久しぶりに可愛い孫とひ孫に会えたというのもあるが、まさかこの年になって祝われるとは思わなかった。


(私も年を取ったという事だわ)


 つるりとした肌は、年月が経つにつれて皺が増えた。

 どこへでも歩いていけた足は、老化からか杖がないとあまり歩けないまでになった。

 誰しもに必ず訪れるものであり、それが歳を重ねるという事だと実感した。


 その事に悲しくなるが、同時に長く生きたなと思う。

 現代の医療は発達しているから、病気にかかっても大抵は本人の気力次第で治る事がほとんどだ。


(昔に比べると便利になったものね……)


 今この時も、実感する。

 目の前でケーキを作ってくれる孫とひ孫は勿論、買い物へ出掛けると言った娘、そしてリビングを抜けた奥の部屋の仏壇には、長年連れ添った夫が見守っている。


 誕生日だからといって何も特別な事をしてくれなくても、娘や孫たちに囲まれて過ごしてくれるだけで十分幸せなのだ。


(私は恵まれている。誰よりもずっと)


 思いすぎかもしれないが、本当にそう思う。

 こうして誕生日に身内が集まってくれる事も、祝ってくれる事も。

 若い頃必死に生きてきた反動だろうか。それも落ち着いた今、余計にそう思うのかもしれない。


「おばあちゃん、できたよ-!」


 高くほのかに甘い由奈の声で我に返る。

 声がした方を見ると、由奈と美奈が自分の顔よりもありそうなケーキを持ってくる所だった。


「はい、どうぞ」


 そう言って、二人がテーブルに作ったケーキを置く。


「可愛い……」


 ぽそりと晴子は呟いた。

 晴子の目の前には五号ほどのホールケーキがあり、チョコプレートには「おたんじょうびおめでとう」と少しガタついた字で書かれていた。


「それね、由奈と美奈がかいたの」


 小学校に上がったばかりだという双子たちが、この日のために練習したらしい。

 一見どこにでもあるケーキだが、可愛い孫とひ孫が作ってくれたというだけで何よりのご馳走だ。


(私のために……)


 自分のために、ここまでの事をしてくれるのか。

 ただ歳を重ねただけなのに、こんなに幸せでいいのか。


 先ほど双子たちが鳴らしたクラッカーも、リビングのあちこちに散らばっているおもちゃも、昔はなかったものだ。

 それだけでなく、ケーキもあまり食べる機会がなかった。特に手作りのものは。


「おばあちゃん、どうしたの!?」

「どこか痛いの?」


 唐突に由奈と美奈が声を上げ、晴子に駆け寄った。


「え……?」


 そっと二つの小さな手が、頬に触れる。


 双子たちの表情、カウンターキッチンから様子を見ていた真弥でさえ、目を見開いている。

 その時にようやく、自分が泣いているのだと気付いた。

 ホロホロと涙が頬を伝い、後から後から溢れ出して止まらない。


「おばあちゃん、この子たちが何かした? 大丈夫?」


 ついには真弥まで晴子の傍にやってきて、そう問い掛ける始末だ。

 全員が全員、心配そうに晴子の言葉を待っている。

 あわあわと目に見えて慌てる孫とひ孫に、段々と愛しさが込み上げる。


「大丈夫ですよ。ふふ、ただ……幸せだと思ったの」


 涙を拭い、安心させるようににっこりと笑う。

 心からの言葉を舌に乗せると、それだけで身体が幸福に満ちた。

 賑やかで涙が出るほどのやさしい時間に、晴子は天に感謝する。


(私をこの年まで生かしてくれた事、何より──隆幸たかゆきさん、私と連れ添ってくれてありがとう)


 六年前の晴子が八十二歳の時の事だ。夫である隆幸は、歳を重ねれば誰もが行き着く場所──天国へ旅立った。

 八十八歳の大往生だった。

 そして今、晴子は愛しい隆幸と同じ年になった。


 亡くなった夫の年になるのは変な気持ちだが、それ以上にここまで生きた事に仰天する。

 歳を重ねてつくづく思うのは「恵まれている」という事実と、日々を生きていく中での些細ささいな出来事が幸せだという事。


(もう少し頑張って生きないと)


 せめて由奈と美奈が成人するまで頑張らねば、と思う。振袖を着た二人は、きっとこの世の誰よりも美しいだろう。


「ただいまー」


 その時、賑やかな複数の声が玄関から離れたリビングまで届いた。

 娘が帰ってきたのだろう。ここから遠い場所に住んでいる息子や、孫たちの声まで聞こえる。


「ばあちゃんだ!」

「由奈、お迎えしにいこ!」


 祖母を出迎えるべく、リビングからバタバタと走っていく双子のひ孫。晴子を心配してか、落ち着くまで傍にいた孫。そして今、大人数の息子や孫たちと共に帰ってきた娘。


(今日は賑やかな一日になりそうね)


 ふふ、と晴子は小さく笑い声を漏らした。

 年に一度の誕生日パーティーが、幕を開けようとしている。

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