応援コメント

誰もが傷ついた子どもだった」への応援コメント

  • コメント失礼します。

    誰かに傷つけられたことは連鎖していくんですね。
    台湾から引き揚げられた人の話は初めて知りました。

    戦争は命だけでなく、人の心も奪い、壊してしまいますね。それもほとんどが「仕方ない」と片づけられてしまう。

    ずっしりと心にくるものがありました。読んで良かったです。

    作者からの返信

    篠崎 時博さま!
    初めまして!! 読んでくださりありがとうございます。
    台湾からの引き揚げは祖母をモデルにしてるのですが、彼女から話を聞いたことはありません。インターネットで調べました。話すにはとても酷なことだろうなと思います。

    人命を壊すだけが戦争の被害ではなく、その後の人生こそが戦争の被害であると、早く人類が気づいて欲しいです。

    編集済
  • めちゃくちゃ惹きこまれて、読み終わるのも一瞬でした。
    そうなんですよね。被害者は失われた過去を取り戻そうとするあまり加害者に転じるんです。そして新たな被害者になるのは大抵子供……。戦争のトラウマは次世代にも続いていくんですよね。

    この物語のお母さんは、世代を越える負の連鎖を断とうと無理した結果、早くに亡くなってしまい、それがまた娘を傷つけることになってしまった。なんという皮肉でしょう……。
    戦争は起こしてはならないんだと、改めて思いました。このタイミングで宣伝してくださってありがとうございました。

    作者からの返信

    釣舟草さま!
    素敵なレビューまでありがとうございます!!(´;ω;`)
    >被害者は失われた過去を取り戻そうとするあまり加害者に転じる
    まさしくそれで、多分、突き詰めたらおよその不幸はそこから始まるのだろうな、と思います。

    戦争はそのような悲劇を産んでいるのと同時に、
    誰かのせいだとか、誰かを憎むとか、
    それよりもずっと大事なのは、「自分は傷ついている」ことを認めることで、
    それはきっと戦争中ですると生き残れないのだろうな、と。

    お母さんは、平和だからその道を探そうと思えた。だから子どもに残さなかった。そして子どももまた、自分が傷ついていたことを認められた。
    平和でなければ果たせないものが、沢山あると思うのです。

    編集済
  • 誰か一人を悪者に出来たら、どれだけ簡単なことか。
    人間は善と悪の二つには割り切れないのですよね。
    とても考えられる作品でした。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    篠騎シオン様!
    読んでくださりありがとうございます(´;ω;`)
    とても難しい。どうすればいいのかわかりません。
    罰することで安心したい気持ちも、収まらない気持ちもわからなくはないから。

    ただ、自分が「傷ついたこと」を否定せず恥じず、認めてあげて欲しいと思います。

  • グイグイと読ませるお話ですね。肥前ロンズさんの作品は心情に切り込んで来るものが多くて素晴らしいです。
    なんで自分ばかり、と思ってしまうと憎悪の糧になってしまいますが、皆同じ立場であるということに気付けば怒りの矛先を収められるのかもしれませんね。最後、凶器を振り下ろす場面で終えられてホッと安心した気持ちになりました。

    作者からの返信

    結月 花さま!
    〉皆同じ立場であるということに気付けば怒りの矛先を収められるのかもしれませんね。

    すいません。これは私の筆力不足です。
    皆同じ目にあっているから許す、というのは、個人的に残酷な事だと思います。個人の痛みが「どうだってことない」「大したことない」ことにされてしまうから。
    この物語は、祖母の痛みを知ることで、主人公が「自分が傷ついていた」ことを「自分で気づく」物語です。鏡を見た形なのですね。
    なので、祖母のことを許しているわけでもなく、傷は傷のまま横たわっています。
    ただ、「自分は傷ついていた」「被害者だった」ことに気づくだけで、誰かを傷つける加害者になることを防げるのではないか、と思ったのです。

    でも、誰かを傷つけた人は、もう被害者として認められない。
    罰せられ続けるように願われて、ケアされる権利もなく、ずっと放置されて、ずっと加害者のままになっているのが今の社会なのではないか、と思いました。

    まだ上手くまとまらないので、難しいです。拙いのに、そう言ってくださりありがとうございます(*´ω`*)

    編集済
  • あまりに現実的で、身が締まる思いです。まるでフィクションとは思えない深みがあります。この現実的な怒りを政治的な正しいメッセージなどは出さずに曖昧さを残して、抑制をきかせ「出来るのだろうか」という締めにプロフェッショナルを感じましたヽ(^o^)丿スゴイ!

    作者からの返信

    石田宏暁さま!
    ありがとうございます。
    政治は合理的な判断がうんたらかんたらって言う人が多分出るので、文学は感情で勝負してやるって思いました。感情的になるわけにはいかないけど、感情を入れない合理的な判断って、本当に合理的なのか。問いただして欲しかったので、結論は託します。あと利用規約的に心配になったので(((チキン)

    読んでくださりありがとうございます!

  • こんにちは。
    深く傷ついた人が自分でもどうしようもなく人を傷つけて、その傷つけられた人がまた誰かを傷つけて……そんな連鎖をお母さんは止めようとしたのに、堰き止めようとするうち疲労から亡くなってしまった。そのために思春期の子供に傷を負わせてしまったというのが悲しいですね。
    でも誰もが傷ついていたということに想い至って、凶器を振りおろすことが出来たなら、お母さんの努力が実ったということかな、と思いました。ぐさぐさと刺さるお話ですが、ハッピーエンドなんだと思いたいです。

    作者からの返信

    久里 琳さま!
    読んでくださりありがとうございます! 深く読みとっていただけて、本当に嬉しいです。
    誰かに負担をかければ、その分歪みが出来て、その人がそのつもりじゃなくても誰かを傷つけてしまうんじゃないかと思います。だからこれは個人の問題ではなくて、社会システムの問題だと思うのです。
    でも、お母さんが頑張ったからこそ、主人公は気づけたのだと思います。

  • これ、よく書かれましたね。書くのが大変だったのではないかと想像しますがどうでしょう。とても考えさせられるお話でした。私の祖母は満州から引き上げてきました。その時の話を、学校教育の一環として話してもらったことがあります。祖母も、きっと私が想像できないような傷を抱えて生きていたのだと思います。「誰もが傷ついた子どもだった」と忘れないでいたいです。

    作者からの返信

    かしこまりこ様!
    書く時も震えたし、出している今も震えています()
    本当は、KACみたいな短い期間に書いちゃいけないだろうな、と思ったんですけど。今じゃないと書けないと思いました。
    まりこ様のお祖母様は満州からだったのですね。満州や朝鮮と比べて、台湾引き揚げは比較的穏やかだったと言われています。でも今テレビやTwitterを見ていて、
    「この人たちは命はある。でも、多くのものを置かざるを得なかったんだ」
    と思うと、そもそも住んでいた場所を追われるというのは、それだけで傷を負うものだと思いました。
    あの人達が命からがらで逃げ出して、食いつなぐために後回しにされた心の傷って、子供が大人になってから再発した時、どうしたらいいんだろう。地震でもそうだよなって思います。
    読んでくださりありがとうございます。

    編集済
  • 二度読み返しました。
    心に傷を負った人たちを、どうしたら救えるのでしょうか、理解することは何の役にもたたないんでしょうね。

    一緒に傷つくことは救いじゃないし、遠い過去に抱えたマイナスの気持ちをゼロにすることはできない。共に追体験して気持ちをほぐせるならば、そうしてあげたいです。

    作者からの返信

    柴田 恭太朗さま!
    〉二度読み返しました。
    すごく嬉しいです(´;ω;`)

    多分、人の気持ちを完全に理解する、というのは無理なんだと思います。
    わからないから歩み寄る、その歩み寄り続ける姿勢こそが、優しさだと私は信じます。
    それは決して即効性のある解決策ではなく、人によっては馬鹿らしい、無駄なことを、と思うかもしれないけど、誰かが1歩進まなきゃダメな気がするのです。

  • お祖母さんも、お母さんも、傷付いて傷付いて苦しかったですね。
    それが時代のせいだったとしても、何のせいであったとしても、『私』も傷付いた事には変わりない。こういうのが負の連鎖っていうのかな。

    傷って、誰もが持ってるけど、その苦しさは主観で感じて良くて、自分が「苦しい」なら苦しさを訴えて救いを求めてもいい。
    ただ、手段を間違えるとそれは誰かを傷付けることにもなり得る。

    とても考えさせられる作品でした。

    作者からの返信

    無雲さま!
    読んでくださりありがとうございます(´;ω;`)
    誰かのせいにしてもいいけど、まず最初に認めないといけないことは、「自分が傷ついたこと」なんだと思います。それが自分をケアする、最初の1歩になるはず。
    悪人で敵だと思うと、傷を見ても「だからなんだ」「もうこいつは苦しんで死ねばいい」と思うだろうけど、多分、ケアされていない人を放置することは、何もいいことないとも思うのです。
    でも、難しいですね。これもまた、理想論なのかもしれない。せめて正気のうちに思っておきたい……。

  • 母親の優しさを享受して生きてきた主人公が祖母に対して抱えていた葛藤。
    誰もが痛みを抱えて生きていることの気づき。
    そんな心理描写が詩的に描かれていて、素直に圧倒されました。

    作者からの返信

    雪世 明良さま!
    読んでくださりありがとうございます(´;ω;`)
    多分こんな短い時間で書く内容ではないと思うのですが、それでも今だ! と思いました。そう言っていただけて嬉しいです。

  • ある側面から見れば加害者も被害者であり、被害者も知らず知らずのうちに、加害者になる可能性があるのですよね。
    虐待を受けた子が親になると、自分の子供を虐待する率が高いという話も聞きますし。

    怨むのも怯えるのも憎むのも、仕方がないこと。だけどどこかで、負の連鎖は止めなければいけませんね。

    作者からの返信

    無月弟さま!
    そう、相手を許せとか、憎むな、というのは殆ど不可能だと思います。攻撃されたら攻撃し返せ、攻撃される前に攻撃しろ、というのも、抑えるのは無理でしょう。
    でも、何処かケアをすれば、それを止める方法が見つかる気もするのです。

    読んでくださりありがとうございます!(≧∇≦)

  • 人って、被害者であることが加害者となる理由にもなり得るのですよね。
    中には、自分が被害者であることも加害者であることも認めず、何事もない普通であると信じている人だっていると思います。

    それに気づくことができたら、何かを変えることもできるかもしれない。でもどうやって?
    もっと単純に、とにかく悪いだけの人なら話は簡単なのかもしれませんが、実際にはこういう複雑なことがたくさんあるのですよね。

    作者からの返信

    無月兄さま!
    正しく生きていたはずなのに、とんでもない悪意や災害に見舞われて、でも皆が同じような、或いはもっと酷い目にあっていたら、傷ついたことにすら気づかないかもしれないと思いました。
    でも、何かをごっそり奪われたら、ある所に奪いに行く気がして、そうやって今度は加害者になるのかもしれない。物事は複雑だから、言いきれないのですが。

    読んでくださりありがとうございます(≧∇≦)