石化から目覚めるまで、俺は鬼娘の抱き枕だった

にゃべ♪

何もかも失った俺に残ったもの

 俺は闇の中をさまよっていた。理由が分からないまま、何かに怯えている。そして、それに追いかけられていた。思い切り走るものの、捕まってしまいリセット。それを何度も繰り返す。何度も何度も繰り返す。

 もう疲れた。でもまたすぐに何かに追いかけられる。何度繰り返せば気が済むんだ。またそいつの手が肩に触れ――。


 唐突に俺は目を覚ました。やっと悪夢から逃げ切る事が出来たんだ。久しぶりに目にした景色は、女性の顔だった。その女性と思わず目が合ってしまう。


「うわああ!」

「キャアア!」


 俺は動けなかったものの、女性の方は機敏に飛び上がった。その時、俺の視線は女性の全身に注がれる。彼女の体は筋肉質でとても引き締まっていて、おまけに全裸だったのだ。久しぶりに見る景色が全裸女性だなんて、なんて眼福なんだ。

 女性もまた俺の方を見ている。何か不可思議なものを見るような眼差しで。


「嘘だろ?」

「え?」

「お前、今までの事を覚えているか?」


 質問の意図は分からなかったものの、そこで俺は一旦冷静になる。そして、思い出そうとした。自分の事を、この状況の事を――。

 そこで気付いたのだ。俺は何も覚えていない。記憶の箱に鍵がかかって開けられない事が分かって、俺は軽くパニックになる。


「えっ、あの……」

「覚えてないんだな? お前、今まで石だったんだぞ?」

「えっ?」


 起き上がって確認すると、確かに俺の周囲に石片が散らばっていた。そこで、俺自身もまた裸だと言う事に気付く。


「うえええ? 何で裸?」

「石化が解けたら、服も砕け散るに決まってるじゃないか」

「ああ、確かに」


 取り敢えず、俺はシーツで体を包む。そうして、目の前の女性に尋ねた。


「で、君は?」

「私はルシゥ。見ての通りの鬼だ」


 彼女は胸を張って胸に手をおいて誇らしげに振る舞う。いつの間にか下着のようなものを身に着けていた。鬼と言われても、見た目は人間とさほど変わらない。

 顔は美人だし、髪も黒く長く美しい。背は人間の長身の男ほどあって、鍛え抜かれた筋肉は至高の芸術品のようだった。


「ほら、角があるだろう。これで人では出せない力も出せる」

「俺は……何も思い出せないんだ。何故石になっていたんだ?」

「お前は骨董屋で70年埃を被っていたんだぞ。私が買ったんだ」


 ルシゥの話によれば、俺は70年前に石化したところをトレジャーハンターに拾われたらしい。最初は骨董品屋の目立つ所に置かれていたものの誰も買い手がつかず、最近は奥の間立たない所に追いやられていたのだとか。


「目覚めた時、君が裸だったのは?」

「私はお前を抱き枕にしていたのさ。裸で石の感触を味わっていた。気持ち良くてよく眠れるんだ」

「えっっっ」


 俺は自分の使われ方に絶句する。とは言え、鬼が毎晩抱いたら石化が解けるなんて聞いた事がなかった。石化を解くには、専用のアイテムか魔法を使わなければいけないはずだ。こう言う知識は何故か覚えていた。


「君が石化を解いた?」

「私は何もしていないぞ。お前が勝手に解いたんじゃないのか?」

「そりゃ無理だよ。だって自分が石になっていたのも知らなかったんだ」


 大体の事情が飲み込めてきたところで、俺は恐ろしい事実を思い出し、思わずそれを口にする。


「鬼は人を食べるって聞いたけど……」

「いつの話だそれは。私は食べんぞ、安心しろ」


 ルシゥはそう言うと豪快に笑う。不思議とその言葉は信じられた。話をしているとそこで腹が鳴る。生きているのだから空腹になるのも当然だ。ルシゥが服を用意してくれたので、それを着て食事を摂る事になった。

 鬼の食事もまた、人間のそれとほとんど変わらない。肉にスープに野菜に果実。久しぶりの食事は何を食べても美味しかった。


 スープをずずっと飲んでいる時、ルシゥが俺の顔をマジマジと見つめる。


「これからお前はどうする? どうしたい?」

「俺は、記憶を取り戻したい。どこかに手がかりがあると思うんだ」

「そうか、なら地上に出るのが一番だな。人間は地上で暮らすものだ」


 今俺達がいるのは、ダンジョンのかなり下層に位置している鬼の村だ。そこから地上に出るとなると、人間が1人で攻略するのはとても厳しいらしい。


「危ないから私が一緒について行ってやるよ」

「え? でも……」

「乗りかかった船だ、遠慮するな」


 こうして俺達は地上に向かって旅を始める。道中ではならず者のモンスターが幾度となく襲ってきたものの、その全てをルシゥがワンパンで潰してくれた。その度に俺は鬼の力の強さに感心する。

 ダンジョンはたまに複雑な迷路になっていたものの、ここでもルシゥの直観が常に正解に導いてくれて、全く迷う事なく上層階に進む事が出来た。


 やがて、前方にまぶしい光が射し込んでくる。そう、地上だ。人間だけの冒険だと数週間の日数がかかるらしいこの行程を、俺達はわずか一日でクリアしてしまった。


「うおっまぶしっ!」


 俺はまぶしい陽の光に目を細める。地上に来ただけで記憶が戻るほど単純な話ではない。けれど、何となく何かを思い出す予感だけはしていた。


「戻れて良かったな」

「みんなルシゥのおかげだ。有難う」

「べ、別にお前だけじゃ無理だと思っただけだ。私がそうしたかっただけだから」

「それでも有難う」


 俺は彼女に向かって右手を差し出す。ルシゥもすぐに気付いて握手を交わした。それから、俺は地上に広がる街を歩き始める。どこかに記憶の箱を開ける鍵があると信じて。

 ルシゥも気配を殺して一緒について来てくれた。どうやら事の顛末を見届けないと気がすまないらしい。俺はそんな彼女の心遣いが嬉しくて、頼もしかった。


 街は平穏そのもので、人々の顔も穏やかだ。笑顔も溢れていて一見とても過ごしやすそうに見える。ここなら、もし俺の記憶が戻らなくても安心して暮らせる――と、その時は思っていた。

 けれど、人々は俺を見るなり突然その表情を変える。時に石を投げてきたり、捕らえようとしたりしてきたのだ。治安維持の役人達に追いかけられ、俺は逃げなくてはならなくなってしまった。


 人々から追い回される中で、俺は徐々に記憶を取り戻していった。何故俺がダンジョンに潜ったのか、それは今と同じ状況になったからだ。地上に居場所がなくなり、ダンジョンに希望を抱いたんだ。

 突然頭の中に広がる忌まわしい記憶。思い出した途端、希望に満ちていたはずの地上の景色が醜く歪む。俺は全力でダンジョンに逃げ帰った。地上は俺のいるべき場所じゃなかったんだ。


 同行していたルシゥが人々の攻撃から守ってくれていたおかげで、俺は地上にいる間、ほとんど傷を負わなかった。本来なら彼女にお礼を言うべきなのだろう。

 けれど、心に余裕のなかった俺はそのままダンジョンの奥へ奥へと1人で先走ってしまっていた。


 自暴自棄になって走っている俺の前にモンスターが立ちはだかる。まだ上層だからそこまで手強くはないはずだ。けれど、この時の俺は何も武器を持っていなかった。ルシゥが全て対処してくれていたから必要なかったんだ。

 護身用のナイフを手にしたものの軽く弾かれて、俺は死を覚悟する。まぶたを閉じた時、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。


「バカヤローッ!」


 追いついたルシゥが、またしてもモンスターをワンパンで沈める。危険が去って気の抜けた俺は、その場にぺたりと座り込んだ。

 彼女は両手を俺の肩において、真剣な目でまっすぐに見つめる。


「思い出した記憶が辛いものだったのは分かる。けどそんな簡単に人生あきらめんな!」

「うわああああ……っ」


 ルシゥのまっすぐな気持ちが刺さって、俺の中の感情が爆発して止まらない。ひとしきり叫んだ後、俺は思い出した事を洗いざらい彼女に話した。


「俺の一族は地上を征服しようとしたんだ。従わない民衆を容赦なく殺して……やがて、地上は戦火の海に包まれていった。それで結局征服は失敗。逆に追われる立場になった。ダンジョンの下層へと逃げる内に仲間はどんどん減っていって、ついに俺だけになって……。最後にヘマしてトラップに引っかかって石になった。それから70年が過ぎたんだ。俺、もう88歳のじいちゃんだったよ。はは、笑えるよな」


 一気に喋りきった俺は自嘲する。黙って最後まで聞いてくれたルシゥは、俺に向かって優しく微笑みかけた。


「こんな若いじいちゃんはいないぞ」

「あはは」

「これからどうする?」

「もう行くところなんてないよ」


 全てを思い出した俺は、未来に希望を見い出せなかった。落ち込んで、ただ足元の地面を見る。そんな惨めな俺の肩に、彼女は優しく手を置いた。


「じゃあ、私と一緒に暮らせばいい」

「え……?」

「私じゃ……嫌か?」

「……喜んで」


 こうして、俺は鬼の村で暮らす事になった。鬼が怖かったのは昔の話で、みんな俺によくしてくれる。生きる場所があればそこが希望になるって事を、俺はルシゥから教えられたんだ。


 どうして俺なんかにこんなに良くしてくれるのかと聞いたら、顔が好みだったからと彼女はあっさりと答えてくれた。

 あ、そうそう、何故石化が解けたかだけど、鬼の体液に何かそう言う成分が含まれていると言う事らしい。毎晩裸で抱きしめられていたら、そりゃ石化も解けるか。


 そんな訳で、色んな意味で俺達は仲良く暮らしている。周りからは早く子供の顔を見せろなんてからかわれるけど、人と鬼で子供って出来るのかなぁ……。

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石化から目覚めるまで、俺は鬼娘の抱き枕だった にゃべ♪ @nyabech2016

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