第7話 ”洋食“は永遠に

また秀樹の思いと軌道を同じくするように、門屋も戦後が終わったと誰もが思った1975年(昭和50年)に取り壊され住人は離散する。

更に時間が流れ、秀樹が門屋での生活から離れ50年近くが経過。房次郎と鶴は鬼籍に入り、秀正は寝たきり、里美は“いつのまにか骨折”から要支援2に。しかし秀樹と香織の家族は貧乏を脱し世間並みの生活が出来るようになり、子や孫の可能性は格段に広がった。

2015年末、秀樹は秀正が誤嚥性肺炎で倒れたと聞き、実家近くの病院に見舞い、帰りに門屋があった場所に寄る。跡地は車16台の駐車場になっていて生活感は全くない。もう元の住民以外、ここで30数名が生活していたことを知る人がいないと思うと、胸に込み上げてくるものがあった。ここは秀樹の原点で、今の自分があるのは、ここでの生活があったお蔭と感謝し、歳月の長さと幸せを実感していた。


そして秀正は2017年秋に94歳で亡くなる。先日、秀正の三周忌で久しぶりに門屋近くの実家に帰省した時、里美の希望で秀樹は昔食べた“洋食”を見よう見まねで作り里美に振る舞う。

さて、久し振りに洋食を食べた里美から「それにしても洋食美味しいな。この洋食が食べられる幸せに、素直に感謝せな罰が当たるよ。お前も家や会社の金で美味しいもん、ぎょうさん食べてると思うけどな。言ってること分かるな」と説教された。

 母の里美から会社の金などの予期せぬ言葉が出て、上の空で聞く秀樹の態度が不安だったのだと思うが、再び里美が「今日の洋食良かったな。昔、思い出した。お前の心からの贈り物として受け取ったで。ほんまにありがとうな」とぽつりと言って、周りを見渡し会釈して笑った。

 ここで里美から「秀樹、お母ちゃんばっかり食べたらあかんな、お父ちゃんにもこれ出したげてくれるか」との言葉が出て仏壇に供える。次に集まった子供や孫にも洋食を振る舞うと次のような意見が……。

「これ美味しいな。隠し味に何使われています。結構、肉々しいからね」長男の嫁が。

「この肉、硬いけど噛んでいると段々と味が出て来て面白い味ですね。それに2種類の肉が」長女の婿。

「これ健康に良いし作り方も簡単。私でも出来るかも。さすが大阪」東京に住む孫娘。

「お爺ちゃん、見かけによらず料理上手ですね。驚いた」孫が言って笑う。

「お父さんの料理。お主やるな……という気持ちです」長男が驚き周りを見渡し同意を求める。

 と昔話に花が咲いたが、秀樹の妻・和子は無言で裏方の仕事である食器洗いに精を出していた。

このように時が経過しても話題の尽きない洋食の思い出だった。


そして最後にまた里美の強烈な一言が。

「この洋食美味しいな。この洋食が家族と一緒に食べられる幸せに感謝せな罰が当たるよ。お母ちゃんは口癖のように家族の仲がいいのが一番大事やって言ってることほんまに分かるか秀樹」

真剣な眼差しで里美に説教されてしまう。最近、秀樹は衣食住足りて家族のつながりが希薄になっているように思い幸せが実感出来ないこともあったが、この気持ちが読まれていると思った。

「でも今日の洋食良かったな。ほんまにありがとう。美味しかったよ」

悪戯っぽくまた里美がぽつりと言って笑った。


かれこれ60年の年月を経ても話題の尽きない“洋食”の思い出。秀樹は里美の口癖である「お母ちゃんは家族の仲が良いのが一番と思っているから頼むよ。家族あっての人生だからね。家族が無いといくら金があって美味しいもん、食べても悲しいよ」を心に留めて生活したいと再確認した。

やはり里美は秀樹の心を読むことができる偉大な母親だった。

                                    完

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門屋の”洋食”物語 @takagi1950

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